黒い端末
第103話 黒い端末
ガダルカナルから15機の零戦部隊がエスピリトゥサント島から偵察が終わり帰路に着いた頃だった。
未来基地の奥、まだ一度も開いた事の無い部屋、今その部屋の扉が開こうとしていた。
カチャッ。
小さな音が、静まり返った通路にはっきりと響いた。
俺は扉に触れたまま、京子を見た。
「今のは……開いた音だよな?」
「たぶん」
「また、たぶんか」
「誰も開けたことがないのよ。確かめようがないでしょう」
京子はそう言いながらも、扉から目を離さなかった。
俺の手のひらを中心に広がっていた青白い光は、ゆっくりと左右へ分かれ、扉の輪郭へ戻っていく。
幸雄が壁際の操作盤を確認した。
「ロックが消えてるな」
「開けられるの?」
「ああ。今ならいけるかもしれん」
幸雄が端末を操作すると、扉の奥から低い駆動音が鳴った。
しかし、扉は動かない。
「どうした?」
「開閉装置に電力は来てる。命令も通った。それでも動かん」
「壊れているの?」
「違うな。こいつは自動で開く扉じゃないらしい」
幸雄は操作盤から離れ、扉の中央へ手をかけた。
美希が目を丸くする。
「手で開けるんですかぁ?」
「そうみたいだな」
「未来の基地なのに?」
「未来の人間だって、扉くらい手で開けるだろ」
「そうですけどぉ……」
幸雄が力を込めると、ほとんど見えなかった継ぎ目がわずかに開いた。
そこへ俺も手をかける。
「押すのか?」
「左右へ引け」
「重いな」
「何十年も動いてないんだ。軽く開いたら、その方が怖いぞ」
二人で扉を左右へ引くと、金属の擦れるような低い音が通路に響いた。
隙間が少しずつ広がり、その奥から冷たい空気が流れ出してくる。
黴や埃の匂いはしない。
長い間閉ざされていたはずなのに、空気は妙に澄んでいた。
扉が人一人通れるほど開いたところで、京子が中を覗き込む。
「照明は?」
「反応がないな」
幸雄が携帯端末のライトをつけ、室内へ向けた。
白い光が、暗闇の中を細長く切り取る。
それほど広い部屋ではなかった。
窓もなく、壁には装置も配管も見当たらない。基地の他の区画とは違い、床も壁も黒に近い灰色で統一されている。
部屋の中央には、腰ほどの高さの台が一つだけ置かれていた。
「何だ、あれ?」
俺たちは慎重に中へ入った。
照明はつかなかったが、入口から差し込む通路の光で、部屋の中はかろうじて見える。
中央の台の上には、黒い板のような物が載っていた。
大きさは手のひらより少し大きい。
厚さは一センチもない。
ボタンも継ぎ目もなく、表面は光をほとんど反射しなかった。
「これだけですかぁ?」
美希が部屋を見回す。
「ずっと開かなかった部屋に、これ一個だけ?」
「一個だからこそ怪しいんだろ」
幸雄は台へ近づいたが、すぐには黒い板へ触れなかった。
周囲を確認し、自分の端末を近づける。
「何か分かる?」
「電磁反応なし。熱もない。通信も出てないな」
「ただの板じゃないのか?」
「だったら、こんな部屋に閉じ込める必要がない」
幸雄は黒い板の側面を覗き込んだ。
「端子もない。充電口も、外装の継ぎ目も見当たらん。俺の知ってる規格じゃないな」
京子が台の前に立つ。
「基地の記録には?」
「この部屋自体が記録から消されてる。中に何があるかなんて、分かるはずがない」
美希が黒い板をじっと見つめた。
「触ったら起きるんじゃないですか?」
「お前は何でも触ろうとするな」
「だって、見てるだけじゃ何も分かりませんよぉ」
美希が指を伸ばそうとすると、幸雄がその手首を掴んだ。
「待て。何が起きるか分からん」
「扉には触ったじゃないですか」
「触ったのは慎一だ」
全員の視線が、俺に集まった。
「また俺か?」
京子がわずかに笑う。
「この部屋を開けたのは、あなたでしょう」
「俺は触っただけだぞ」
「それで何十年も開かなかった扉が開いたのよ」
反論できなかった。
俺は台の上に置かれた黒い板を見た。
量子コンピューターは、仲川一登の名前を示した。
そして、この部屋の扉も俺に反応した。
偶然で済ませるには、重なりすぎている。
「触ればいいんだな?」
「慎一、無理はしないで」
「触るだけで無理も何もないだろ」
「あなたの場合、触った後に何が起きるか分からないのよ」
「それは俺も同じだ」
俺は右手を伸ばした。
指先が黒い板の表面へ触れる。
冷たくも、温かくもなかった。
硬いはずなのに、触れた感覚が妙に薄い。
まるで、そこに物があることを指先だけが理解できていないようだった。
「反応は?」
幸雄が端末を見る。
「何も出てない」
「やっぱり、ただの板じゃないですかぁ?」
美希がそう言った直後だった。
黒い表面の中央に、小さな白い点が浮かんだ。
「光った!」
美希の声が部屋に響く。
白い点はゆっくりと横へ伸び、一本の細い線になった。
続いて、その上下に文字が現れる。
見たことのない文字だった。
だが、文字列は一度崩れるように揺らぎ、すぐに日本語へ変わった。
幸雄が画面を覗き込む。
「自動翻訳か?」
表示された文字は、短かった。
認証対象を確認。
その下に、もう一行が現れる。
仲川一登。
誰も声を出さなかった。
京子が俺を見る。
「やっぱり、あなたを待っていたのね」
「俺は、こんな物は知らんぞ」
「こいつは慎一じゃなく、中にいる一登を認識したのか」
幸雄の声が低くなる。
「だとしたら、どうやって見分けた?」
その問いに答える者はいなかった。
黒い板の表示が、再び変わる。
認証完了。
長期待機状態を解除。
部屋の奥で、何かが動いた。
壁だと思っていた灰色の面に、一本の縦線が現れる。
その線が左右へ広がり、暗い空間が口を開けた。
美希が、俺の服の袖を掴む。
「まだ奥があるんですかぁ……?」
幸雄がライトを向けた。
光の先に、一台の椅子が浮かび上がった。
その椅子の周囲には、細い金属の輪が幾重にも重なり、天井から床までを覆っている。
京子の顔から表情が消えた。
「これ……転送装置?」
「いや」
幸雄は目を細めた。
「基地の転送装置とは構造が違う」
黒い板に、新しい文字が浮かんだ。




