第1話 桑清虎の素性
通天万照鏡は、最初、不遜にも桑清虎の捜索を渋った。
<だって、どうせ偽名でしょう? 顔に傷っていうのも、いつついたのか分からないし……ぶっちゃけ、反乱されたのって龍華様の自業自得じゃないの~~?>
「わらわは決して暴政など行っていなかったぞ! 白虹貫日教でさえ、わらわの即位後は大人しくしていたほどじゃ。にもかかわらず桑氏を慕う残党を集める器がある者を、捨て置けぬ」
盧貴妃の断罪によって後宮の中は慌ただしく、わらわの近侍の者どもも諸用に駆り出されておる。ゆえに、わらわは鏡と対面で言葉を交わすことができる。長榻に膝を立てて寝そべる気楽さ、あるいは行儀の悪さも、猫を被る必要がないからこそ、じゃ。
対面と言っても、実際には、鏡に映ったわらわの顔を見て話すことになるのだが。とにかく、我ながら見蕩れるような美貌であるから、鏡を掲げる腕が少々疲れるのも苦ではなかった。
<うーん……それは、白虹貫日教にも何か事情があったんじゃ……>
通天万照鏡のほうも、人目をはばかる必要がないからと遠慮なく不思議の光を放つ。だが、その色はわらわが望む快諾の桃色ではなく、煮え切らない困惑の紫であった。
ほほう、良い度胸ではないか。
「天に通じ万事を照らす、などと名乗りながら、その及び腰は何ごとじゃ。わらわを帝位に導くために粉骨砕身せぬか」
わらわはにこりと微笑むと、通天万照鏡を床に置いた。そして立ち上がると、沓の先でつついてやる。妃の位に相応しく、金銀の刺繍と玉の珠で彩られた絢爛なものじゃ。
「通天! 役に立たぬのならば、今この場で踏み砕いてやるぞ? あるいは、前のように封じてやるか? 今のわらわなら、独力で玉座に至れるやもしれぬ」
わらわの肢体は羽根のように軽やかであるが、一点に力を込めれば小さな鏡を砕くことはできるであろう。わらわは、逆らう者には容赦せぬのだ。
<封じるって? 前の僕に何したの!? っていうかそれ止めて!!>
鏡面に沓を載せてやると、通天万照鏡は文字通りに青ざめた――つまり、その色の光を放った。声も震えて、人間ならば平身低頭のテイであったであろう。
<ご、ごめんなさい! 分かったから! と、とりあえずやるだけはやってみて――無理だったらまた後で考えよう?>
「通天万照鏡よ」
わらわはあえて長ったらしい名を呼ぶと、唇に弧を描かせた。
「わらわは『無理』という言葉が嫌いじゃ。うかつに口にするでないぞ」
前の鏡なら重々承知していたことのはずなのじゃが。時空を遡行したのはわらわだけゆえ、一からまた教え込まねばならぬのは手間とじゃのう。
<は、はい……気をつけます……>
まあ、ひとまずは骨身に染みたようだから良しとするか。鏡に骨だの身だのがあるのかは分からぬが。
それにしても――
床に置いた鏡には、下から仰ぎ見た時の、見慣れぬ角度のわらわが映っている。なるほど、平伏する者からはわらわはこのように見えるのか。
どこから見ても美しく凛々しく隙のない立ち姿は、やはりさすがと言うほかないな!
<あの、捜索を頑張るのでそろそろ拾ってもらえます?>
「おお、忘れるところであった。首尾よく桑清虎を見つけたら磨いてやるからの、励むと良いぞ!」
どこかしょんぼりとした風情の青紫の光を浮かべる鏡を床から拾い上げ――わらわは、激励として口づけを落としてやった。
<ちょっ、龍華様……!?>
何やら目に痛いほどの鮮やかな桃色を発したゆえ、さぞや発奮したのであろう!
* * *
通天万照鏡は数日にわたってただの鏡のように沈黙した。
広い東華の国土を、本名かどうかも分からぬ名と年ごろだけを頼りにたったひとりを探すのがいかに困難か――草の根分けて探すのはいかに困難か――鏡は、「無理」「ダメ」の言葉を慎重に避けて、切々と説いておった。
ゆえに時間はかかるものと考えて、わらわは放っておいた。
空席となった貴妃の位に、順当に上ったために忙しかったこともある。
祝宴に出席するために衣装や化粧や髪型を考えたり、より紫薇宮に近い殿舎に住まいを移したり。一気に増えた近侍の者を把握したり、祝いの品を送ってきた者、そこに毒や針を仕込んできた者に相応の礼をしたり――唯一無二の女帝には及ばずとも、一介の寵姫でもすべきこと考えることは多いものじゃ。
とはいえ、多忙を極める中でも、通天万照鏡は常に身につけておった。わらわが鏡に見入っていたとて何の不思議もなく、侍女たちもあれこれ話しかけて煩わせることもない。
<龍華様、龍華様。見つけたよ、桑清虎>
「ほう、早かったな。やればできるではないか」
ゆえに、辺りに人の目も耳もないのを見計らって通天万照鏡が話しかけてきた時も、即座に労ってやることができた。
夏の昼下がり、窓辺に持たれて鏡に見入る美姫――傍目にはさぞ眼福な光景であろう。無論、鏡が交互に桃色と黄色の光を瞬かせるところなど、余人に見せるわけにはいかぬのだが。
<何と本名、本物の宗室の末裔だったからねえ。ダメ元と思って当たってみたら、意外とあっさり見つかったってわけ>
通天万照鏡は、探し出した桑清虎の情報をわらわの頭に伝えてきた。その詳細なこと、声と光の両方で得意満面さを押し出すのも道理であった。
桑清虎。二十二歳、東華国の南西の田舎、恭化州の人。
東華国の太祖――初代皇帝の八世孫。ふん、桑氏といっても傍流も傍流ではないか。
宗室と一括りにしても、当然のことながら代を経るごとに子孫の数は増えるし、与えられる禄も特権も少なくなっていく。桑清虎のような末端ならば、富裕な農家のほうが良い暮らしをしているくらいかもしれぬ。
主上や、権力の中枢に近しい諸王との伝手など無論ないという点でも大方の民と変わりない。
「これなら消すのも容易いな!」
わらわが思わず漏らした歓声は、池の魚を脅かしたようであった。一匹が宙に跳ね、銀の鱗と水しぶきを陽光に煌めかせる。だが、その輝きも失せぬうちに、通天万照鏡は不穏な緑色に瞬いた。
<それが……その桑清虎、どうも都に向かっているっぽいんだよね>
あの醜い傷の男が近づいてきている、との報に、わらわの肌はざわめいた。それは、あまりに前の最期を思い出させる。
二十歳をいくつか過ぎたばかりの若造に、それも、主上がご存命の今、大軍を集めることなどできるはずもない――が、これはそのような理性とは別の、本能的な不安だった。
「……まさか、わらわのことを主上を惑わす悪女、などと謗って讒言しようというのではなかろうな!?」
冗談ではない、わらわがお傍に上がってからというもの、主上はご機嫌もご体調も良いというのに。先日の祝宴でも、食も酒も進んでおられたのだぞ!
<桑清虎の内心までは、分からないよ>
憤怒の表情で覗き込むわらわに、鏡は宥めるように、あるいは考え込むように深い青の光を湛えた。
<何度も言うけど、僕だって何もかも分かるわけじゃない――人の心の中までは覗けないんだから>
わらわの顔色を窺うように鏡面がちかちかと瞬せながら、通天万照鏡は続けた。
<商売かも知れないし、知人がいるのかもしれない。もしかしたら、単なる物見遊山かも――>
だが、挙げられたのはいずれも、あまりに楽観的な予想であった。わらわを安心させるにはほど遠い。
「仮にも桑氏に連なる者が、卑しい商人のまねごとをするものか。人に会うとして、その者が後にわらわに背く一味にならぬと、どうして言える!?」
わらわが声を荒らげると、鏡はしょんぼりと暗い色に染まった。
<うん……考えだしたら、キリがないけど>
「思い悩んでいる暇はないな。通天よ、こちらから出迎えるぞ」
<え? あの、貴妃様ともあろう方は、そうそう後宮から出られないんじゃ――>
怪訝そうに問うた今の鏡は、やはりまだわらわのやり方に慣れておらぬな。まどろっこしい……!
「口実などどうとでもなる。桑清虎の故地は恭化州と申したな? どの経路で都に向かっているかは分かるな?」
<は、はい>
それでも、先日の脅しが効いているのであろう、通天万照鏡はすぐに答えを返した。
<恭化州から――魏城、錦陵を経由して、今は――あ、もう臨水の辺り!>
慌てた声も道理、挙げられた地名は、都の目と鼻の先だ。だが、だからこそどこから入城するかも読める。
「では、到着は昌安門か。よし、行くぞ!」
<え!?>
「誰かある! わらわは城外への行楽を所望する!」
通天万照鏡の声を無視して、わらわは声高に呼ばわった。今のわらわ、淑やかで可憐な美姫には不釣り合いな居丈高さの命であったが――至急のことゆえ、致し方あるまい!




