第4話 皇帝への贈り物
皇城に戻ってすぐ、わらわは桑清虎を丸洗いさせ、主上の御前に出るに相応しい恰好を整えさせた。
成人して封土に発った皇族たちが残した衣装を、桑氏とはいえ末裔の末裔も良いところの清虎に着せるのは不敬やも知れぬが――まあ、貴妃が命じたのだから許されるであろう!
「あ、あの。龍華様――このお方は、いったい……?」
問うてきた侍女の頬が上気していたのは、後宮では若い男を目にするのが稀だから、だけではあるまい。
土や砂が絡んでいた髪は、梳き直してすっきりと幞頭にまとめた。それによって、整った顔立ちの精悍さがより際立つようになっている。
鍛えられた体躯は、絹の袍の艶めきをまとってもまったく見劣りせず、玉で飾った革帯の煌めきが凛々しく映える。
身なりを整えた桑清虎は、背高く体格良く、見る者のため息を誘わずにはいられない、堂々たる貴公子だったのだ。忌々しいが、さすがは宗室の末裔と言えようか。
「昌安門の辺りで難儀されているところをお見かけしてお連れしたのよ。聞けば、桑氏に連なるにもかかわらず、濡れ衣を着せられるところだったとかで」
無論、わらわはまだ嫋やかな美姫として振る舞うことを忘れておらぬ。主上の寵姫のひとりであることも、な。ゆえに、賛嘆も苛立ちも欠片も見せず、慎ましく淑やかに微笑んで応えてやった。
「まあ、何と恐ろしい……!」
<そういうことにするんだ……。で、そこからどうするのさ、龍華様……?>
「紫薇宮に遣いを。主上に、急な外出をお許しいただいたことへの御礼を申し上げなくては。それに、遠方から来た宗室のお方を労いたいと思われるに違いありません!」
鏡の問いかけは無視してわらわが下した命令は、すぐに叶えられた。大路での騒動もお耳に入っていたのであろう、無事な姿を見せるようにとの主上からのお言葉があったのだ。
* * *
「おお、龍華か――」
暑気のせいかお年のせいか、主上はお疲れのご様子であった。貴色の黄と金銀の刺繍の輝かしい袍でさえ、くすんだ肌の色を隠せていない。
そもそも女だけで碧汀湖に出向くことになったのも、外朝で何やら目が離せぬ事態があったからとのこと、至尊の玉座にいてもままならぬことが多いのは、わらわ自身もよく知っておる。
「怪我はなかったか。気晴らしにと思うて外出させたのに、難儀なことであったな」
「もったいないお心遣い、痛み入ります」
だから、枯れ枝のような手を延べて気遣ってくださった主上に、わらわはにこりと微笑んだ。帝位にある者が真に喜ぶことは何か――わらわは誰より分かっているのだ!
「突然の我が儘で、お騒がせいたしました。――けれど、これも天の思し召しだったのではないかと。だって、思わぬめぐり合わせで、思わぬお方にお会いできたのですから……!」
「ふむ、何やら後宮に連れ込んだ者がいるとのことであったが」
わらわの背に控えた桑清虎は、従順に平伏しているようであった。とはいえ、いくら身なりを整え礼に適った振る舞いをしたとて、後宮にある男というのは途方もなく場違いで胡散臭い。
寵姫に悪い虫がついたと見たか、主上の目が猛禽のごとく鋭く光る――が、わらわは気づかぬ振りを通した。
「恭化州の桑清虎殿でございます。聞けば、主上に申し述べたいことがあってはるばる旅してこられたとのこと――さ、清虎殿。思う存分、どうぞ」
「は、はは――夏貴妃様、ありがたく……!」
そうして、桑清虎が語ったことは、わらわが想像していたことと大差なかった。
いわく、恭化州の馮少尹は、地位を利用して民に重税を課していた。国に納める正規の数字との差額は、もちろん少尹やその取り巻きの懐に入ることになる。
「苛烈な徴税に応えられぬ者は、自身や妻女を奴婢に落とされ、抗議した者の家は見せしめのために焼き討ちに遭う始末――国の権を笠に着た、賊と変わらぬ有り様でございました!」
困り果てた恭化州の民は、声望のあった桑清虎に窮状を訴えた。馮少尹を恐れずに声を上げる気概ゆえに非道を改めるように、清虎は宗室の末裔の肩書を利用して諫言した――ところが、ほかならぬ自身が過剰な取り立てを行っていた張本人とされて断罪されることになった。
ふむ、では徴税の任に当たっていたというところからして虚言であったか。
<よくあるっちゃよくある話だよね。表には出ないだけでさ>
わらわの懐で盗み聞きした通天万照鏡が漏らす通り。普通なら、桑清虎は汚職の咎を着せられて追放され、民の溜飲を下げることに利用されて終わり、であったであろう。
だが、馮少尹は桑清虎の声望を見誤っていた。危険を冒しても捕らわれのこやつを密かに逃がし、陰に陽に助けて都まで至らせる者が数知れずいることを知った時は、さぞ焦ったことであろう。
……つまりは、逃れ続けて四十年後にわらわに反旗を翻したのも、この声望があればこそ、であったか!?
<ほら~~だから早く処刑させようよ~>
傍観者に徹したわらわが鏡と戯れる間にも、桑清虎の切々とした訴えは続いていた。
「馮少尹を任命したのは、畏れ多くも主上であらせられます。ですが! かの者の本性を知っていたなら必ずやほかのご聖断があったものと信じてここまで参りました」
「む――」
主上にとっては耳の痛い奏上でもあろう。眉間に皴が寄ったままではあるが――桑清虎への怒りが理由ではないのは、わらわの目には明らかであった。
「夏貴妃様にお手を差し伸べていただき、希望はますます強まりました。大路を騒がせ、罪ある者と吹き込まれた私でしたのに――このように、お姿だけでなくお心までも美しいお方を寵愛なさる主上ならばきっと、と……!」
桑清虎が言い終えた後も、主上はしばらく何も仰せにならなかった。皇帝であるお方が何も言わず動かぬ以上は、余人も身動き取れぬ。主上の隣に立つわらわはともかくとして、平伏したところから身を乗り出した恰好の桑清虎は、少々苦しいのでは、と思っていたのだが――
「龍華よ」
「はい、主上」
主上は、低く静かにわらわの名を呼ぶと、すっくと立ち上がった。十も二十も若返ったかのような、俊敏かつ覇気に満ちた所作であった。
「この者を朕の前に連れて来てくれたこと、礼を言うぞ。恭化州の惨状が真実ならば捨て置けぬ。すぐに調査させるのだ! 職責を汚し朕の名を貶めたこと、償わせてやらねば……!」
最後のお言葉は、控えていた宦官に向けたもの。込められた怒りは馮少尹に対するものではあろうが、直に浴びせられれば生きた心地がせぬであろう。
「は、はは――直ちに……!」
転がるように退出したその宦官は、その勢いのまま、主上のお怒りを外朝に伝えるであろう。馮少尹の命運も風前の灯、じゃな。
命じた後の主上はというと、至尊の御身には似合わず、床に膝をついて桑清虎の手を取っておられる。
「そなたもよく伝えてくれた。朕の目が行き届かなかった埋め合わせとして、恭化州の民にはこの先十年の免税を約しよう。不当に身を落とした者がいるならば、それも調べて救わねば。そなたにも望みのままに褒美を取らせようぞ!」
「そ、そのような――もったいないお言葉……!」
桑清虎は、感動のあまり涙を浮かべているようであった。皇帝直々のお言葉であるから当然であろう。
<……桑松黎にこんな慈悲があるとはね>
通天万照鏡は、不思議そうに、どこか不満げにつぶやくが――わらわは、頭の中で苦笑して宥めてやる。
主上を何だと思うておる。不正は当然憎むし、民が苦しむことは望んではおられぬ。むしろ我が子と思うて慈しんでおられるのだ。
<本当に?>
疑うものじゃのう。ま、白虹貫日教の宗徒となれば話は別であるが、な。
同族の誼があるからであろうか、皇帝と臣下というよりは父と子、あるいは祖父と孫を思わせる親しさで、主上と桑清虎は語らっている。
話を振られない手持ち無沙汰を良いことに、わらわは鏡に問うて聞かせる。
至高の玉座から見える景色は、皇城の高く厚い壁に遮られ、思いのほかに小さく限られておる。地方からの奏上は、間に入る官どもの粉飾だの欺瞞だの保身だのによって歪められ、往々にして真実とかけ離れているものなのだ。
<それは、龍華様の経験談? 女帝になってからの?>
うむ。だから、玉座にいる者にとっては、市井の真実こそが何より欲しい。
<真実?>
民が何をささやいておるか、官に欺かれてはおらぬかどうか――ま、真実を装った欺瞞もままあるのだが。とにかく、真実らしきことを聞かせる者は得難いと思い可愛がるものじゃ。ほれ、主上のお喜びようを見るが良い。
<うん、まあ……嬉しそうだけど>
罰したくとも尻尾を見せぬ奸臣も多い中、分かりやすい悪人を堂々と断罪できる機会は貴重ぞ? 民を喜ばせることができるし、何よりすっきりするからのう。
<すっきり――ええと、政務で溜まった鬱憤が、ってこと?>
まさしく! このように良い機会を差し上げたわらわのことを、主上はますますご寵愛してくださるであろう!
<そっかあ!>
と、これまで人間なら眉根を寄せていたであろう、怪訝そうな調子だった通天万照鏡が、明るく弾んだ声を上げた。
<龍華様はそこまで考えてたんだね! 良かったあ。寵愛が深まれば権力も強まるもんね!?>
うむ? うむ……そうとも言えるかのう、そういえば。
<え?>
鏡の、呆気に取られたような声を聞きながら、わらわは都の大路での一瞬を思い起こしていた。
桑清虎の顔。旅塵と汗にまみれてなお、輝くばかりであった。凛としたまなざしは、わらわを貫くようであったし、粗末な身なりでも覆い隠せぬ、気品というか品格というかが溢れておった……。
<龍華様? 何言ってるの?>
いや――すぐに殺すには惜しい男である、と。あの顔が黥で損なわれるのはならぬと、咄嗟に思うただけであったのだが。
<龍華様ーーー!?>




