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第5話:茨木重朝

「まだだ! 茨木重朝を討ち取れッ!」 清秀は大声を張り上げ、愛馬・安威鹿毛の腹を蹴った。

一方、叔父・惟政の討死を目撃した茨木城主・茨木重朝は、顔色を失いながらも即座に決断した。 「引き揚げる! 城へ戻るのだ! 城に入れば叔父御や高山の援軍が来る! 立て直すぞ!」 重朝の号令に、散り散りになりかけていた茨木勢数十騎が、南東の茨木城方向へ向けて全速力で撤退を開始した。

 だが、その逃走経路の茂みから、突如として二百程の兵が躍り出てきた。 荒木村重の伏兵である。村重は清秀が惟政を討つこと、そして重朝が城へ逃げ込むことまでを事前に完璧に読み切っていたのだ。

 「敵勢発見! 殿、迂回しますか!」 「突き抜けろ! このまま城に入る!」 重朝は緋色縅の鮮やかな鎧を躍らせ、先頭に立って街道を突き進んだ。

 しかし、荒木軍の真の恐ろしさはその先にあった。 村重率いる池田軍の精鋭騎馬隊五十騎が、かける歩兵を前に並べてブラインドとし、横合いから重朝の隊列へ雪崩を打って突っ込んだのである。

逃げる茨木重朝、、、叔父の惟政が摂津守護に任じられた際、茨木家に養子に入る形で若くして茨木城に入った。 茨木城は平城であり、政務に向いていたと思われる。 茨木城下は高槻城の政務だけでなく、収入全般や攻撃防衛を補完する城である。 茨木城下は山城及び丹波への街道、豊能・勢能方面の鉱物を占めている。 これに加えて淀川水系の水運による通行料など、多くの資源や財物を管理している。 若くして茨木城に入場した茨木重朝、政略の思惑があったとはいえ、和田一族の中では出色の人物である。

 その茨木重朝——敗色は塗り替えられないことを察した。 叔父の和田惟政の首は、さきほど、胴体から離れた。 周りにいるのは数十に減ったとはいえ、茨木城の精鋭たちである。主人を守ろうと集団を形成している。

 手柄に飢えた荒木方の歩兵たちが、「城主の首だ! 恩賞だッ!」と口々に叫びながら命がけの捨て身で突入する。 茨木軍の精鋭たちが一人また一人と倒されていく。ある者は討たれ、ある者は地面に投げ出され、重朝の周辺が手薄になった。いよいよ中川軍の歩兵一人が重朝の馬にしがみついた。 「おのれ、離れよ!」 重朝は抜刀して組みつく腕を斬り払った。一人の歩兵の肩から下を切り下げた。歩兵は「げっ」といううめき声を出して地面に転がり落ちた。が、続けて二人、三人と敵兵がつかみかかった。重朝はなだれ込む敵兵の重みに耐えきれず、ついに馬上から引きずり下ろされた。

 暗い土煙の中、一刃が重朝の鎧の隙間に突き立てられた。 茨木重朝、痛みと怒りと恐怖といらだちが錯綜する。 そもそも和田氏の若獅子は手ごわい。血筋と名前だけの人物ではない。 一見して育ちがよく色白で礼節的であるがゆえに、気弱な人物と思われるが、そうではない。 名門和田氏にあって次の跡取りと言われているのは、その身に潜む獣性、というか、一族の誇りに根差した爆発的なエネルギーを認められているからこそである。

 「おどれ、#$%&……!」 アドレナリン全開で茨木重朝が聞き取れない咆哮を挙げる。 しかし相手も引かない。立身出世——という言葉では言い表せない中世の湧き出るかのようなエネルギーが彼らを動かしている。茨木重朝に組み付く歩兵が四人、五人と増えるばかりである。 茨木重朝がいよいよ地面に背を付けて暴れるばかりになる——と同時に重朝の肚に続き、首元に刃物が突き立てられる。

 一人対多数——いかに若獅子茨木重朝がもがこうが、岩のように重い塊と化した複数の歩兵たちは一人たりともはがすことができない。 再び茨木の首に刃物が刺さる、鎧の隙間から腹に刃物が刺さる。 茨木重朝はその都度、熱い火箸が当てられたような強い刺激を感じるが、体内に刺さり入ってくる金属が組織を破り血管を割くごとに、意識が薄れる——。 既に反撃する体力は残っていない。周囲は「首を取ったり」「我が一番槍なり」など、複数の大声が反響している——が、茨木重朝には他人の様子を見ているような感覚しかない——。

 信じる理にもよるが、、、まさに茨木重朝の魂はその身体を離れ昇天しようとしている——。 何がどうしてこうなったのか——悔いる時間がないのは分かる、自分の身体に多くの敵兵が組み付いている。 茨木重朝「ああ、俺は終わりか……」と思うのだが、執着がなくなっている。 なぜか幼き日々にやさしく抱いてくれた母を思い出す。暗い——というよりも曇ったような風景が見えている。 痛みは感じない。音も聞こえない。浅い河原の向こうに祖父の姿が見える——。 つい先ほどまで布陣していた白井河原の河辺か——。 無口であるがやさしかった祖父を見つけて近づくが、祖父は何とも言えない顔をしたと思いきや、目を合わせないで対岸に向かって歩いていく——。自分についてくるなと言いたげだが、何も見えない重朝は「ジジさま、ジジさま」と幼き日の呼び方のとおり述べて、いや、述べたつもりで付いていく。

 家で飼っていた紀州犬「シロ」が対岸から走ってきた。 うれしそうに見えた。尻尾を、それこそ千切れんばかりに振っているように見えた。 しかし、重朝に向かって吠えている。 「どうした、シロ。ここにおったか」 重朝は手を差し伸べる。 シロ——一瞬うれしそうなそぶりを見せたが、祖父に遠慮するかのようにいったん下がった。 祖父は横目で、ついてくるのか、そうなのか——といった表情を見せている。 シロだけは、渡ってきた元の岸側に移動して、吠えている。 シロの表情や吠え方は知っている。傷兵を見つけて救助したときのことを思い出す。重朝の命令に従わず、さかんに粘ったことがある、あのシロだ。「こっちだから、主人こっちに残って。」と言っているのが分かる。

 誰かがシロを蹴った。重朝は腹が立った。 幼き日から自分だけには懐き、養子に入った茨木市中の街中でからんできた酔っぱらいの脚に噛みついたことを覚えている。あの時のシロの姿である。なぜシロが蹴られるのか。言い返してやりたい——が、声が出てこない。 蹴ったのは女性である——どうしたことか憎しみがわかない——遠目に祖母に似ている。そう思ったら、その先々に見たことあるような、それぞれ雰囲気の似た女性たちが残念そうな表情で自分を見ている。

 女性たちに敵意がないのは分かってきた。残念そうな表情とは裏腹に、どうしたことかこちらの胸が温かくなる——。 女性たちは各世代の茨木家の女性たちであり、その集団の中で申し訳なさそうに頭を下げ、赤子をあやしている女性がいる——亡くなったはずの母に見える。 「ははさま、ははさま」と口に出そうとするが、言葉にならない。 件の女性は自分には気が付いていない。足元でずずる赤子を抱き上げようとしている——。 その赤子——自分であると重朝は気が付いた——。

と同時に浅瀬を歩いていたはずが、足が付かない沼のような水場になった。シロが背後で盛んに吠えている。 ジジさまは恨めしそうな顔をしていたが、涙を浮かべている。 と思ったら自分の口も鼻も泥でふさがれた。苦しい、息ができない!!!と思ったはずが、なぜか対岸で身が軽くなってたたずんでいる。 元の岸には大勢の動物が騒いでいる——いや、違う。動物ではない。人である。

 茨木重朝——自分の今の状況を理解した。 自分は死んだのだ。 元の岸は現世、今いる岸は「あの世」である。 三途の河——ジジババが言っていた河こそが、自分が渡ってきた河であることが分かった。 対岸の現世、苦しかったが、温かさに包まれた。やり残したことがあるような気がする。家族がいたはずである。 愛情豊かな嫁はどうなるのか。生まれたばかりの赤子はどうなるのか。思いが湧いた——。 が、それらは過去のことのように、自分では何もできない何らかの縁の糸で繋がっている世界——と察したような気がした。 時間にして何秒という世界ではない——。色即是空、空即是色——。 茨木重朝の思考は突如として真っ黒な闇に包まれた。そして茨木重朝という生命は消滅した。そして和田惟政に代表される名門一族も、長きに渡る歴史の大舞台のキーマンとしての名をここに終えることとなる。

 勢いに乗る荒木・中川軍は、そのまま茨木城へと押し寄せた。城主を失った茨木城では、わずかな兵で籠城の手はずを整えようとしたが、乱戦の末に裏切り者が出て本丸が炎上。深夜、茨木城はあっけなく落城した。


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