第3話:長巻直し黒兵衛
先鋒隊を破った清秀と村重の軍勢は、そのまま勢いに乗って南下を開始した。 白井河原から一キロほど南、五日市周辺の街道上で、撤退を図る和田惟政の本隊約数十騎に追いついた。
「和田摂津守殿! 勝負は決した!」 荒木村重が馬上から声を張り上げる。 「この池田軍、荒木村重の勝ちである。もはや劣勢は覆せぬ。摂津守護を名乗られたお方なら、見苦しく逃げ回らず潔く腹を切られよ!」
和田惟政は馬上で振り返り、凄まじい様相で一刀を抜いた。 「荒木ッ! 主家池田家を乗っ取った野心家が何をぬかす! 足利将軍家の名において、貴様をここで討ち取ってくれるわ!」
「兄者、ここは我らに任せられい」 清秀が村重の前に馬を乗り進めた。 「中川瀬兵衛清秀である。和田殿、都から来られた貴殿には分からぬかもしれぬが、ここは北摂。都とは勝手が違う。北摂には北摂のやり方があるのだ。悪いことは言わん、都へお帰り召されよ」 「口賢しいわ、中川! 刀を抜け! 叩き斬ってくれる!」
惟政が馬を躍らせ、襲いかかってきた。手にする太刀は刃こぼれ一つなく、見事な拵えが施されている。流石は将軍家の幕臣、そして織田信長に目をかけられた男であった。 だが、この日の清秀は普段とは違う。身体が自由に動き、時間の流れがはっきりしている。生涯何度もないであろう「ゾーン」に入っていた。敵の剣の軌道が、恐ろしいほどはっきりと見えている。 惟政の放った一太刀目を、清秀は腰に差した刀の鞘で受け流した。まだ刀を抜いてさえいない。
「逃げるか中川! 噂ほどの男でもないわ!」 馬を返した惟政が、二の太刀を渾身の袈裟斬りで振り下ろす。鋭い風切り音が響き、清秀の右首筋へと迫った。 しかし、清秀の体捌きが一瞬早く、太刀は兜の鉢すれすれを滑り落ちた。金属音が響いたが、致命傷には至らない。
(抜かせん!) 至近距離に肉薄した惟政は、清秀が長い太刀を抜く隙はないと踏み、下段から一気に切り上げようとした。 その瞬間——清秀の腰元から、漆黒の鞘を抜け出した一閃が走った。
ズスッ。 鈍い音が響き、惟政の動きがピタリと止まった。 信じられないという目で自らの胸元を見下ろす惟政。鎧の隙間、みぞおちの深くへ、清秀の脇差が柄元まで突き刺さっていた。
「……な、長巻直し……か……」 惟政の口から鮮血が噴き出した。
長巻直し——それは古来の長柄武器「長巻」の柄を切り詰め、刀身を再加工して作られた特殊な脇差である。普通の脇差に比べて反りが浅く、刀身が幅広で重い。一般的な刀剣とは描く軌道が全く異なるため、独自の鍛錬を積んだ者でなければ扱えない代物であった。 清秀の母は豊能の豪族・塩川氏の出であり、輿入れの際にこの長巻直しの脇差を携えてきた。清秀は幼少期からこの長巻直しを「黒兵衛」と名付けて鍛錬を続けていた。黒兵衛は中川の手の一部のように馴染んでいたのである。
洛中育ちの惟政は、間合いの計算において「通常の脇差の反り」を想定していた。反りの浅い直線的な「黒兵衛」の刃筋を読めなかったこと——それが、将軍側近たる名将の明暗を分けたのである。




