17,側近になれなかった男の末路
受け入れたくないと目を背けても、やり直したいと願っても、刻々と時間は進んでいく。
王都の華やかさからかけ離れた、小さな村。目の前に広がっているのは、何度か訪れたことのある農地。
これから俺は、こんなちっぽけな村の管理をさせられるらしい。
与えられた屋敷は、侯爵領にある屋敷どころかタウンハウスよりも小さく、見窄らしい。周辺には高級レストランもなければ、お洒落なテーラーもない。作物や土と肥料の独特な香りが漂う、辺鄙な土地だ。
つい数週間前には、別世界のような空間にいたというのに。そうしてあの日を思い返すと、同時に一人の姿が頭をよぎった。
魔石灯が眩い光を放ち、煌びやかな装飾が輝く下で、俺を見下ろしていたのは実の妹――ソレーヌ。
「俺は……俺が、側近に……侯爵になるはずだったのに」
ウィルクス殿下の婚約者に選ばれた妹。
側近候補にすらなれなかった俺。
自力で公爵位まで上り詰めた妹。
村の管理人にまで落ちぶれた俺。
ずっと俺の方が勝者だとほくそ笑んでいた。それなのに、まざまざと見せつけられた差。一体何処で狂ってしまったのかと……俺は足元を見つめるしかなかった。
会場から追い出された後、その場の全員が調査対象になると近衛騎士団長直々に告げられた。
嘘の話を語ったグリース。その話を吹聴したコランティーヌ嬢。二人の話を聞いて、ソレーヌが悪いと認めた俺。三人の話を真に受け、執拗にあいつを嘲笑していた者達……。
見渡してみれば、周りにいたのはそんな人間ばかりだった。互いを焚き付けて、あいつを『令嬢失格』に仕立てあげ、楽しんでいた。
殿下も言ったように、貴族社会ではよくある話――本当ならそれで終わるはずだった。いや、あいつが屋敷から姿を消し、一年後に侯爵家から除名された時に、誰もが終わったものと思っていただろう。
その後、殿下は「相手が悪かったですね」と続けた。俺達にとって、よくある話で終わるはずだったものが、『第三王子が庇護し、他の王族も認める令嬢への不当な噂や無礼を働いた者達』になってしまったのだ。
まさか、ウィルクス殿下を含めた王族が、あいつの味方をしているなんて……想像出来るはずがなかった。
その後、俺達は謹慎を言い渡され、侯爵家は隅々まで調査された。
屋敷でのソレーヌの扱いは、コレリー先生の証言があるため隠しようがない。淡々と読み上げられていく両親や俺の行いを聞けば、なんて酷い奴らだと思った。それがまさか自分達のした行いだなんて、理解したくなかった。
それでもまだ、家庭内での行き過ぎた教育程度で済まされるはずだった。周りの令嬢らしく育たない、あいつのためを思ってのことだと。
しかし、税務調査官に細かく検められたところ、侯爵家は二年分正しく納税していなかったと明らかになってしまったのだ。
事務や管理を任せていた家令がいたのだが、そういえばあいつがいなくなったのと同じ頃、「年齢的に引退したい」と言われ、父上は退職を認めていた。その後釜の補充や教育をしていなかった気がする。
父上の話を聞く限り、侯爵家の財政が厳しく、人を雇う余裕もなかったため、家令が辞めたあとは自分の判断で処理をしていたそうだ。すると、気付かぬうちに一部の申告が漏れてしまっていたらしい。
「これだから書類仕事や執務は嫌いなのだ!」
そう悪態をついた父上に既視感を覚え、ハッとした。
これは、俺だ――と。何かにつけて勉強から逃げていた自分。父上の姿を見て、あまりにも幼稚で滑稽ではないか……と、今更気付いてしまった。
当主にまでなって、こんな台詞を言うなんて……と思う反面、俺がもしこのまま侯爵を継いでいたら?と考えた時、同じ姿しか思い浮かばなかった。
……俺は……俺は。
税務調査官は、父上の「わざとではない!」という主張は汲んでくれたらしい。故意で脱税したのではなく、認識や知識不足だろうと判断してくれたからだ。おかげで罪人として捕縛されずにすんだ。
だが、故意ではないにしろ修正と支払いは必要だと言われた。こればかりは仕方がないだろう。
税務調査官が提示した、延滞税も上乗せされた金額はそれなりの額になった。
それでも、我が家は侯爵家。払えばいいだけのことだろうと視線を向けると、両親は揃って顔を青くしたまま俯いてしまった。
――そんな金は、侯爵家の何処にも残っていなかった。財政難とは聞いていたが、まさかそれほどだったのか?
絶句していると、ついには借用書さえ出てきてしまったのだ。
本来納付すべきだった税を納める資金もない。借用書に記載された金額を返せるあてもなく、パーティーであのような醜態を晒した我が家に金を貸してくれるような相手もいないだろう。
父上は責任を追及され、このまま侯爵家や領地運営を任せるわけにはいかないと言われてしまった。
気が付いた時には、爵位を返上する方向に話が進められ……俺達はあっという間に平民になってしまったのだ。
侯爵領のうち、一部は王家直轄領に、一部はあいつの……スヴィエクト女公爵の領地に取り込まれるという。
俺は、元侯爵領から切り離されて王家直轄領となった村を、監視の下で管理することになった。父上や母上は借金返済のため、別の地で強制労働させられるそうだ。
そんな俺にもう一つ、王命で処分が下された。それは、アンネと結婚することだった。
側近候補になれなかった俺は、父上と顔を合わせるたびに喧嘩になってしまうからと、屋敷の自室に引きこもり続けていた。
そんな時、優しく声をかけてくれたのがアンネだった。自分も周りから酷い視線や言葉を向けられて傷付いていたのに。あいつとは違って、妹らしく可愛く寄り添ってくれて。
そんなふうに接しているうちに、いつの間にか柔らかな腕に包まれて。アンネの言葉と体に身を委ね……俺達は義兄妹の関係から足を踏み外していた。
まさか、俺達の関係を王族に知られているなんて。
だが、結婚は俺にとって唯一の救いのように感じた。侯爵令息という肩書きを失い、屋敷や居場所を失い、父上や母上とも引き離され、親しくしていた友人達との関係も破綻していたから……。
これまでの行いを悔い改め、アンネと二人で一つの村を管理すること。それが俺達への罰だという。アンネとだけは一緒にいられるのだと思うと嬉しかった。
……それなのに。
「はぁ!?あたしが平民になるの!?しかも、たかが平民の男と結婚するなんて嫌よ!どうして!?」
アンネの叫びで、唯一の希望として残っていた足場さえ崩れていった気がした。結婚出来ることを喜んでいたのは、俺だけだったから。
抵抗しても無意味なのに、嫌だと泣いて暴れるアンネ。「王命に逆らうのか」と圧をかけられ、歯を食いしばりながら署名をする姿を見下ろす。
――俺は、この女を選んでしまったのか。
そう感じた時に、何故かあいつの顔が過ぎった。
父上が、わざわざ王室教師を務めたこともあるコレリー先生を家庭教師にしてくれた時、嬉しく誇らしかったことを覚えている。先生に気に入られたくて、最初は張り切っていたことも。
だが、そんな熱量が続いたのも始めのうちだけ。そのうち付いていけなくなって、辛くてしんどくて腹立たしくて、投げ出すようになっていった。
なのにあいつは……いつも楽しそうに先生から学んでいた。認めたくなかった。俺より二つ下の妹の出来があまりにもよすぎて。
あいつは、俺とは違う。そう肌で感じた。遠くを見ているような静かな目を向けられるたびに、怖かった。これが本当に自分の妹なのかと。
そういえば、最初の頃は「お兄様も勉強しましょう」「一緒にコレリー先生の授業を受けませんか」と誘ってくれていたな。そんな妹らしいところもあったのに、ずっと忘れていた。
そんな声をかけられなくなったのは、いつだっただろう。俺が突き放すようになったのが先だったのか、あいつが俺を見放したのが先だったのか、もう思い出せない。
俺が唯一、優秀なあいつに勝てるところがあるとすれば、社交性だけだった。
だから、あのパーティーの日。あいつに悪意が向いた時……これであいつに勝てると思ってしまった。
優秀さなんて令嬢には求められないのだからと、あいつの欠点をついて貶めて。家でのことなんて誰も知りようがないのだから、「いつも手を焼かされている」と言えば、同情的な言葉が返ってきた。
すると、心が満たされたんだ。優秀なあいつよりも、俺の方が認められていると……。
俺の方があいつよりも周りから評価されて、殿下にも近しくて、父上や母上からも褒められている。あいつを踏み台にして築いたものを、俺の実力だと思い込んだ。そうすれば気持ちが楽だったから。
――俺が、あいつを助けていたら。
俺を慰め、励まし、愛の言葉を囁いてくれたアンネ。だが、それは上辺でしかなかった。その本性を知った今、あいつの顔が浮かぶのはきっと……ずっと分かっていたからだ。
あいつの方が優秀で、それを認めたくない俺が弱かっただけで、本当は――誘ってくれたあいつの手を掴んで、先生の授業を一緒に受けるべきだったんだと。
ずっと耳を塞いでいた、「侯爵家のことを考えるなら」というあいつの言葉こそ、俺や家のために言ってくれていたのだと。
俺も父上も、聞きたくなかったんだ。優秀な妹に、優秀な娘に、自分の立場や未来を脅かされたくなくて。男の自分の方が優秀なんだという自負を壊されそうで。
――そうして今。
言い渡された沙汰の通り、指定された村へ到着して、現実味を帯びてきたこれからの未来を前に、俺は打ちひしがれていた。
「どうしてこんなド田舎に……!あたしは侯爵令嬢なのに!未来の侯爵夫人になれるはずだったのに!?」
「……」
あれから俺達の仲は、険悪なんて言葉では言い表せないほど修復不可能な状態に陥っていた。だというのに、俺はこれから一生、この女と生きていかなければいけない。
こうして行き先を与えられたのは間違いなく温情だというのに、まるで地獄に来てしまったように感じた。
アンネはというと、飽きもせず恨みつらみばかりを繰り返している。「あの女が許せない」「どうにか仕返してやりたい」と。
俺には、もうそんな気力などない。あるのは完全な敗北感と、寂寥感。
「……父上があいつを認めて、侯爵家の後継者はソレーヌだと言ってくれればよかったんだ。そうしたら俺だって、さっさと諦めがついたのに……」
アンネに聞こえないように呟くと同時に、ぽつぽつと足元が濡れた。地面にじわりとシミが広がっていく。
人は簡単には変われない。こうして今も、人を責めることでしか自分の心を保てない。俺はこれからもずっと、こういう人間なのだろう。
あの時、あいつの手を掴めていれば。
受け入れたくないと目を背けても、やり直したいと願っても……あの時には、もう戻れない。




