179 「停戦準備始動?」
・竜歴二九〇四年十一月初旬
三之御子らがアキツ本国へと戻る頃、季節が数カ月戻ったかのようだった。
竜都はまだ紅葉の季節には早く、一部の木が少し色づき始めたくらいだった。
その竜都の中枢では、国の上に立つ者達がそれぞれ使われる側の者達とは違う悩みを抱えていた。
「追撃はほぼ終わりました。約120キロメートルを前進し、我が軍の先鋒は軍事都市チハの30キロメートル手前のダラスンという場所まで進軍しています」
「地図を見せられても、距離と地名だけやとよう分からへんなあ」
アキツの首相である太政官の白峰は、腹心と言える太政大輔の石見の説明に渋い表情を浮かべる。
白峰は太政官室の執務机の椅子に深く腰掛け石見がその前で説明するという、アキツ風好みの白峰にしては珍しい姿だ。服装もいつものアキツ風ではなく西方風だ。
何かの仕事をした後だったせいだが、次々に積み上げられていく仕事にうんざりげだ。
しかも、彼の千年にもわたる千代の人生の中にあって、今回の戦場は今まで全く馴染みのない場所なので致し方ないだろう。
アキツの者でもほぼ全員が彼と同様で、説明している石見も知識として以上には知らなかった。
「まあ、餅は餅屋や。細かい事は兵部卿と軍人さんに任せるから、ええけどな。それで捕虜とかの面倒ごとは、内務卿に話振ってええか?」
「そうですな、出来れば外務卿にも。追撃しながらの捕虜の数も、夏より随分少ないとはいえ2万はいるとのこと。早く情報をタルタリアに回すべきかと」
「どうせ信じへんやろ。せやけど、こっちの正義を諸外国に見せとかんとな。まあ、外務卿には話とくわ」
「その必要はないかと」。
石見がそう返す直前に、扉の向こうにいる部下から来客の知らせ。
「戦況は私のところにも概要は届いていましたが、他の事で頭が一杯ですよ」
「銀の髪を短こうするからや。魔力で知恵を高めるとき、結構便利やで。気持ち的にな。それで、何の用や?」
涼しげに答える大仙外務卿に、白峰はお茶を口につけつつ問う。といっても、彼の隠れ家の茶室ではないので、普通のお茶だ。
大仙も出されたお茶に、唇を湿らす程度に口をつける。
「アルビオンなどから、アキツは冬営の準備を最初からしていたのかという問い合わせが殺到しています。短期戦ではなく、最初から長期戦を考えていたのかとも」
「外から見たら、手際良う映っとるわけか。うちらは金持ちやから、強盗に備えるのは当たり前やろ。阿呆ちゃうか」
「常備軍の全ての装備を常に揃えておくというのは、随分と金がかかりますからね」
「軍は当然顔でも、財務卿は渋い顔いっつもしとるからなあ。予算編成で毎年苦労させられたんが、報われただけやからな」
「全くですね」
言い合って、もう一度湯呑みに口をつける。
そして白峰は少し雰囲気を変える。雑談はここまでだった。
「外務卿、新しい捕虜の件は聞いとるか?」
「勿論。白峰さんに、軍との橋渡しをお願いに来ました。まだ夏の捕虜の問題が片付いていないのに、少ないとはいえ2万の追加ですからね。とはいえ今回は、貴族将校は殆どいないそうです」
「兵を置いて先に逃げたんか。それやったら、タルタリアから追加の文句はなさそうやな」
「だといいのですが」
「問題は?」
白峰は目を少し細めるが、大仙は涼しい顔のまま小さく笑みを浮かべる。
「タルタリアとしては我が軍の攻勢をいなした計画的な後退でしたが、多くの土地を譲り渡した。しかも2万の捕虜を出した。両軍が勝利宣言を出したが、アキツ軍を引き込んで撃滅するための計画通りの後退と言われても、素人から見れば強弁に見えます」
「その上、我が軍もそれらしい証拠を見せて勝利宣言も出したからなあ。財務卿が喜んでそうやな」
「でしょうね。外国での戦争債は良く売れる事でしょう」
「それだけ聞いたら、問題はなさそうやな」
「はい。ですがタルタリアは頑なになっています。こうなった以上、春に反撃してアキツ軍を撃滅し、最低でも国境の向こうに押し返さないと西方世界での面子が立ちません。正直、お手上げです」
小さく両手を上げ芝居がかったため息までついた大仙に、白峰が人の悪い笑みを向ける。
「外務省としては、勝ったところでの停戦の算段どころちゃうわな。まあ、交渉の根回しは気張ってんか。戦は、止めるんが一番難しいからな。せやけどうちは、別の手も考えるべきやと思うんや」
そして白峰の目が大仙を見た後、沈黙していた石見に向く。自然、大仙の視線も続いた。
それに応え、石見が机の脇に置いていた紙面を一つ、二人の前に置く。
「本来ならもう何名か重臣と軍の上層部の方がおられた方がよろしいので、今は概要のみとさせていただきます」
「前置きはええて。どうせうちは全部知っとる。外務卿も察しとるやろ」
「ある程度は。ですが、あまり好みではありませんね」
「好き嫌いで外交したらあかんで」
「謀略も外務省の仕事の一つとはいえ、外交とは言わないでしょう」
「愚痴はそこまでや。それで?」
目線で厳しい表情の大仙を制した白峰が石見を促し、石見が小さく頷く。
「紙面にある通り、タルタリア国内は荒れつつあります。もともと国内の少数民族、亜人、それに貧民の一部の反発が強く、混乱が絶えません。加えて今回の戦争で、常備軍の2割が既に消えた上に鉄道の1割を喪失して物流は大混乱」
そこで机の上にある別の紙面を上に置く。
「その上、今年の西方は夏が寒く各地で不作が報告されております。タルタリアは特に酷く、収穫は例年の9割に届かない地域もあります」
「大規模な飢饉ですか。暴動、一揆、そして革命騒ぎですか?」
最後に少し冗談めかした大仙だったが、二人の表情に変化はなかった。石見はいつもの能面、白峰は千代の時を経た古木のごとく。
それを見て大仙は小さく呻いた。
「本気ですか?」
「本気や。少なくとも、あの金髪の別嬪さんらはな。うちらは、それに便乗する。まあ、火に油を一滴注ぐくらいはするけどな」
「……下手をすれば、我が国の国際上での立場が非常に危うくなりますよ」
「金と武器は水面下で渡すけど、基本的には動きに合わせるだけや。それに我が国がするのは、前線での大勝利。それでもう1発、あの国をガツンと殴りつけて国丸ごと動揺させる。内憂外患となれば、流石に頭を下げてくるやろ」
「そう都合よく運ぶでしょうか?」
「運ばせるんや。泥沼の戦争なんかご免やからな」
「そうですね。ですが、それでも駄目だったら?」
「……一応準備は進める。というか、金髪の別嬪さんらはその算段で進める気みたいや。その為には、我が竜皇国の秘儀が必要にもなるやろうと、うちは予測しとる」
白峰が「竜皇国」という言葉をわざわざ使ったので、大仙がハッとして白峰、そして石見の顔を覗く。
だが二人の表情に変化はない。
既に決意したのだと、大仙はそれで察せた。
そして本気で呻いた。
「『竜政復古』を他国で行おうというのですか」
その言葉に白峰が口の端を上げる。
「最後の手段や。せやけど、うちら大天狗にとってすら、一世一代の大勝負になるかもな。腹括ってんか」
その言葉に大仙は頷くしかなかった。
だが内心で思った。
(一つ間違えれば、泥沼どころか奈落の底だな)と。




