⑧
そして、話は冒頭に巻き戻る。
「ロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢。皇太子殿下との婚約は、本日この場をもって破棄していただきます。これ以上、殿下をお縛りすることは、我々には看過できません!」
高らかな声が広間に響き渡る。
その瞬間、リリアーナは胸の奥が高鳴るのを感じた。ついにこの時が来たのだ。
リリアーナが前世で夢中になっていた乙女ゲームや恋愛小説で、何度も見てきた展開。
――断罪イベントが、ついに来た!
「……婚約破棄?」
ロザリアは不思議そうにセドリックを見る。その口元には薄く笑みが浮かんでいた。
「それは、どなたのご意思かしら?」
「決まっている! アレクシス皇太子殿下のご意思だ!」
「まあ」
ルーカスが胸を張って答える。けれど、ロザリアは少しも動じない。
「それでは、アレクシス様ご本人から伺いますわ」
「……なに?」
「ここにはアレクシス様はいらっしゃらないでしょう?」
その言葉に、リリアーナは初めて気が付いた。
そういえば、アレクシスがいない。
「殿下はお忙しい身です! ですから我々が代わりに――」
「代わりに?」
セドリックの言葉を遮り、ロザリアが静かに問い返す。
「貴方たちが、皇太子殿下に代わってわたくしへ婚約破棄を告げると?」
「そうですよ! 殿下のお手を煩わせるわけにはいきませんからね!」
ルシアンが答えると、ロザリアは僅かに目を細めた。
「……そうですの」
そして、扇を閉じる。
「でしたら、なおさら不可解ですわね」
「何がですか!」
「アレクシス様は、卒業式が終わったあとに行われるこのパーティーを欠席なさると、わたくしには事前にお伝えくださっておりますもの」
「え……?」
リリアーナが思わず声を漏らす。何で悪役令嬢が知ってて、ヒロインである自分には伝えてくれなかったのだろう。そこは自分に伝えるべきではないかと、内心でアレクシスに文句を言う。
「殿下は、今日この場にいらっしゃらないことを決めておられたのですか?」
「ええ。ですから、わたくしも存じておりましたわ」
エドワードの問いに、ロザリアは何でもないことのように答えた。
「それなのに、貴方たちは殿下のご意思だと仰るのですね?」
「そ、それは……!」
ルーカスが言葉に詰まる。
「殿下は我々にそう仰ったのです!」
「いつ?」
「……それは……」
「殿下が、貴方たちに婚約破棄を命じたと?」
「そうだ!」
「では、その証拠は?」
「我々が証人です!」
セドリックが即答する。
その瞬間、広間のあちらこちらから困惑した声が上がった。
「証人って……」
「側近候補が四人いるだけでしょう?」
「皇太子殿下ご本人がいらっしゃらないのに……?」
ざわざわと広がる声に、四人もようやく周囲の反応がおかしいことに気付いたようだった。
「そもそも、貴方たちは殿下の代理として、このようなことを告げる権限をお持ちなのかしら?」
「俺たちは殿下の側近候補だぞ!」
「候補、でしょう?」
ロザリアの言葉に、ルーカスが黙り込む。
「まだ正式に側近として認められてもいない貴方たちが、皇太子殿下の婚約者に対して婚約破棄を宣言する。そのようなことが許されると、本気でお考えですの?」
「なっ……。そ、そもそも、ロザリア嬢とて殿下の婚約者でいる資格はないではありませんか!」
「それを決めるのは貴方たちではございません。けれど、わたくしが何をしたと?」
ロザリアの言葉に、四人がはっとした表情になる。
リリアーナもいい流れがきたと思った。ここでロザリアの罪を暴露すれば、この会場にいる人たちにロザリアが皇太子の婚約者にふさわしくないと分かってもらえるに違いない。
思わず四人を見れば、皆同じことを考えたのか、頷き合う。
そうして。
「まず、貴女は学園の令嬢たちを焚きつけ、リリアーナを孤立させた!」
ルーカスが声を張り上げる。
けれど、ロザリアは眉一つ動かさなかった。
「まあ。わたくしが?」
「そうだ! 貴女がリリアーナを嫌っていることは、皆知っている!」
「わたくしがベルナール嬢を嫌っていることと、令嬢たちを焚きつけたことに、何の関係がございますの?」
「それは……!」
「それに、わたくしは誰にもそのような命令をしておりませんわ」
淡々と告げるロザリアに、ルーカスが言葉を詰まらせる。ちらりと視線を向けてくるルーカスに替わり、今度はルシアンが声を上げた。
「お茶会からリリアーナを締め出しました! 以前は誘っていたのに、最近はまったく招いていないではないですか!」
「ええ」
ロザリアはあっさりと頷いた。
「わたくしが主催するお茶会に、誰を招くかはわたくしの自由ではございませんか?」
「ですが、リリアーナは聖女ですよ!」
「聖女であれば、わたくしのお茶会には必ず招かねばならないという決まりでもございますの?」
「それは……」
「ございませんわよね?」
ロザリアが微笑む。
ルシアンは悔しそうに口を閉ざした。
「ならば、次です」
セドリックが眼鏡を押し上げる。
「貴女はリリアーナに対して、何度も嫌味を言っている」
「嫌味、ですか」
「そうです!」
「具体的には?」
「……え?」
「わたくしが、いつ、どのような嫌味を申し上げたのか。覚えていらっしゃるのでしょう?」
「それは……」
四人の間に、微妙な沈黙が落ちる。
「わたくしが申し上げたのは、ベルナール嬢の立場を考えれば当然のことばかりですわ」
「それを嫌味と言うんです!」
「まあ」
ロザリアは小さく首を傾げた。
「正論を申し上げたことを、嫌味と仰るのですか?」
「正論って……!」
「では、具体的にどの発言が間違っていたのか、お聞かせ願えます?」
「…………」
誰も答えられない。
「では、次に参りましょうか」
ロザリアは扇を開く。話が進まないと思ったのか、今度はロザリア自身が問いかけてきた。
「わたくしがベルナール嬢をいじめた、でしたわね?」
「そうです!」
ルーカスが待っていたとばかりに頷く。
「階段から突き落とされそうになったり、酷いことを書いた紙を置かれたりした! 貴女の取り巻きがやったんだろう!」
「証拠がおありで?」
「なに?」
「わたくしが命じたという証拠ですわ」
「貴女の取り巻きが犯人だったんだぞ!」
「取り巻きではなく、友人ですわ。そして、その件については存じ上げておりますわ」
「だったら――!」
「ですが、わたくしが命じた証拠にはなりませんでしょう?」
ロザリアは静かにルーカスを見つめた。
「そもそも、犯人はすでに殿下によって厳重注意を受けておりますわ。殿下が調べた結果、わたくしは関与していないと判断されたのでしょう?」
「……それは」
四人が黙り込む。
けれど、まだ終わらない。
「いいえ、まだあります。最後に――」
エドワードが口を開いた。
「貴女は、リリアーナを暗殺しようとしましたね」
暗殺という言葉に会場がざわめいた。
そしてロザリアは、初めて目を見開く。
「まあ」
そして、扇で口元を隠した。
「それは、なんて恐ろしいこと」
紫の瞳が四人を見回す。
「そのようなことを、わたくしが?」
「そうです! リリアーナは何者かに命を狙われたんですよ!」
「まあ、それは怖かったでしょうね」
ロザリアはリリアーナへ視線を向けた。リリアーナにしてみれば、白々しいとしか言いようがない。
「ですが、それをわたくしがしたという証拠はございますの?」
「貴女以外に誰がいるんです!」
「それは証拠ではなく、憶測ですわ」
「でも!」
「暗殺未遂という重大な罪を、人を疑っているというだけで、その者に着せるおつもりですの?」
静かな声だった。
けれど、その言葉は広間にいた誰よりも重く響いた。
「わたくしが犯人だと仰るのであれば、どうぞ証拠をお示しくださいませ」
ロザリアは扇を閉じる。
「わたくしは、逃げも隠れもいたしませんわ」
「それは……」
四人は言葉を失う。リリアーナも何も告げることが出来ず、不安そうな表情を作ってロザリアを見ることしか出来なかった。
あの暗殺未遂があった後、襲撃者を警邏に引き渡した。聖女暗殺未遂の犯人だと告げ、裏で糸を引いている者が絶対にいるはずだとも伝えていた。犯人の捜索には自分たちも協力すると申し出たけれど、まだ学生にできることはないと、けんもほろろに断られてしまったのだ。
結局、襲撃者を警邏に引き渡したことで何から調べれば良いのか分からず、四人は調べることすらできなかった。ルーカスは父である騎士団長に聖女暗殺未遂の件を告げたが、管轄ではないことに首を突っ込むなと、逆にルーカスが叱責される始末だった。証拠を掴むどころか、何も出来ず今に至る。
証拠を掴むことはできなかった。だからこそ、その場の雰囲気で押し通そうと思ったが、それも駄目だった。
どうする、と四人と視線を交わす。
そのときだった。
「――一体、何の騒ぎです!」
会場の扉が勢いよく開く。そこから入ってきたのは、学園長だった。
ただならぬ騒ぎを聞きつけ、駆けつけたのだろう。学園長は会場を見回し、そしてリリアーナたちへ視線を止めた。
リリアーナはほっとする。もしかしたら、断罪イベントが失敗するのではないかと思ったからだ。あの場で失敗したら、きっと乙女ゲーム的にはバッドエンドに違いない。だから間に合ううちに止めてくれて良かったと安堵した。
「……これは、何をしているのですか?」
「学園長!」
セドリックがすぐに声を上げる。
「ちょうど良かった。我々は――」
「ハートフォード侯爵令息」
学園長の低い声が遮った。
「まず、何をしているのかを説明しなさい」
「ですから、ロザリア嬢との婚約を――」
「婚約を?」
学園長の眉間に深い皺が寄る。
「まさか、皇太子殿下の婚約を貴方たちが破棄すると?」
「……はい」
答えたのはセドリックだった。
学園長はしばし四人を見つめたあと、深く息を吐く。
「……話は別室で伺います」
「ですが!」
「ここは卒業を祝う場です。これ以上騒ぎを大きくするわけにはいきません」
有無を言わせぬ声音だった。
「ヴァレンティア公爵令嬢も、こちらへ。貴女にも事情を伺います」
「承知いたしましたわ」
ロザリアは静かに頷く。
「それから、聖女様もです」
「わ、私もですか?」
「当然です。この騒ぎの中心にいる以上、事情を確認する必要があります」
リリアーナが戸惑っている間にも、学園長は教師たちへ指示を出していく。何で自分も……、と思いつつ、学園長の剣幕に従う他なかった。
「四名もこちらへ。誰も勝手に動かないように」
「待ってください! 俺たちはリリアーナを守るために――」
「それについても、別室で聞きます」
「でも――」
「ウォルターズ伯爵令息」
ぴしゃりと言われ、ルーカスが口を閉ざした。
こうして、華やかな卒業パーティーの真っ只中。
リリアーナと側近候補の四人、そしてロザリアは、教師たちに囲まれるようにして別室へと連れて行かれることになった。
◇
別室へ移動すると、学園長は険しい表情のまま四人とリリアーナ、そしてロザリアを見回した。
「……事情はおおよそ把握しました。しかし、これは学園内で判断できる問題ではありません」
「学園長?」
リリアーナが首を傾げる。
「皇太子殿下のご婚約に関わることです。すでに皇城へ連絡を入れました。これより皆さんには、皇城へ向かっていただきます」
「皇城……?」
その言葉に、リリアーナは大きく目を見開いた。
皇城。この国の中枢であり、皇族が暮らす場所。
「ということは……」
リリアーナの胸が高鳴る。
「アレクシス様に、お会いできるんですか!?」
「ええ、まあ……」
学園長が答えるより早く、ルーカスが嬉しそうに声を上げた。
「そうか! これで殿下に直接お話しできるぞ!」
「そうですね。殿下ご本人に確認していただければ、我々が嘘をついていないことも分かっていただけるでしょう」
セドリックも頷く。
「殿下なら、きっと我々の気持ちを理解してくださいますよ」
ルシアンも自信満々に笑った。
「そうですよ! リリアーナだって、これで安心できますね!」
「はい!」
四人に笑顔を向けられ、リリアーナも嬉しそうに頷いた。
これから皇城に行って、アレクシス本人の口で悪役令嬢に婚約破棄を告げるのかもしれない。そう考えたら、それが正解な気がした。
――やっぱり、私はヒロインなんだ!
皇城に行けば、アレクシスに会える。そして、アレクシスが自分の気持ちを皆の前で明らかにしてくれるに違いない。
「アレクシス様……」
思わず名前を呟く。その隣では、ロザリアが呆れたように小さく息を吐いていた。
けれど、そんなことに気付く者はいない。
「殿下に直接お会いできるなら、話は早いですね」
エドワードがそう言うと、学園長は何とも言えない表情を浮かべた。
「……皆さん」
「はい?」
「皇城へ向かうという意味を、もう少し重く受け止めていただきたいのですが……」
学園長の言葉に、四人は顔を見合わせる。
「もちろん分かっています」
「重大なことですからね」
「だからこそ、殿下に直接お話しするんです」
「そうですよね!」
学園長は頭を抱えた。
「…………そうですか」
どうやら、何一つ伝わっていないようですね……。
そう小さく呟いた学園長の声は、浮かれているリリアーナの耳に届くことはなかった。
ほどなくして皇城から迎えが到着する。こうして一行は、皇城へ向かう馬車へ乗り込んだ。
リリアーナは期待に胸を膨らませる。
――やっとハッピーエンドを迎えられるんだわ!
そのことだけを考えて、にこにこと嬉しそうに笑っていた。




