⑥
それから、しばらくして。
アレクシスが学園に来ていないある日のことだった。
廊下を歩いていたリリアーナは、前方からロザリアが歩いてくることに気が付いた。その後ろには、令嬢たちが数人付き従っている。
ロザリアはリリアーナの姿を認めると足を止めた。
「ベルナール嬢」
「ロザリア様」
リリアーナも足を止める。
これまでならロザリアは何か言いたげな顔をしながらも、アレクシスの前では何も言わなかった。
けれど、今日は様子が違った。
「アレクシス様のお姿を見かけるたびに、貴女がまとわりついているようですけれど」
「え?」
「少しはご自分の立場をお考えになったらいかが?」
思いもよらない言葉に、リリアーナは目を瞬かせた。何せこの場にはリリアーナだけでなく、ルーカスたちもいる。今までだったらリリアーナが一人の時に言っていた嫌味を、攻略対象者である彼らがいるこの場でも言う。これはもしかして、物語が結構進んだのではないかと、内心でとても喜んだ。
「私はただ、アレクシス様とお話をしているだけです」
「ええ。貴女にとっては、それだけなのでしょうね」
ロザリアの口元に笑みが浮かぶ。
しかし、その目は少しも笑っていない。
「皇太子殿下にはわたくしという婚約者がおります。聖女だからといって、何をしても許されるわけではありませんわ」
「そんな……」
「それに、学園ではアレクシス様と貴女だけが特別な関係にあるわけではございません。アレクシス様が貴女の世話係を命じられているからといって、四六時中お傍にいる必要がどこにありますの?」
「でも、皇帝陛下がアレクシス様に私の世話をするよう命じたって」
「存じておりますわ」
ロザリアは淡々と答えた。
「だからこそ、アレクシス様も貴女を邪険にはできないのでしょうね」
「…………っ」
まるで自分がアレクシスを困らせているように告げられてカチンとする。胸の内でそんな訳ないじゃないと反論しながら、リリアーナは傷付いた表情を見せてから俯いた。すると、隣にいたルーカスが眉をひそめる。
「ロザリア様、さすがに言い過ぎじゃないですか?」
「わたくしは事実を申し上げているだけですわ」
ロザリアはルーカスを見ることなく答える。
「そもそも、アレクシス様は以前からベルナール嬢に何度もお名前で呼ばないよう告げておられたはず。ですが、いまだに直っていないではありませんか」
「それは……」
「アレクシス様のお言葉を何度も無視しておきながら、よくもまあ『アレクシス様に大切にされている』などと思えますこと」
「ロザリア様!」
セドリックが慌てて声を上げる。
「その言い方は……」
「では、どのように言えばよろしいの?」
ロザリアが冷たい視線を向ける。
「わたくしの婚約者に、必要以上に近付かないでください。それだけですわ」
「……ひどい」
リリアーナは目に涙を浮かべた。
すると、エドワードがすぐにリリアーナの前へ出た。
「リリアーナ、大丈夫です。ロザリア様も、少し感情的になっているだけでしょう」
「わたくしは感情的になどなっておりませんわ」
ぴしゃりと言い返され、エドワードが口を閉ざす。
ロザリアは扇を開くと、口元を隠した。
「聖女として敬意を払うことに異論はございません。ですが、だからといってアレクシス様の婚約者であるわたくしが、貴女に遠慮する必要があるとは思いませんわ」
「…………」
「貴女も、少しは周囲をご覧になった方がよろしくてよ」
そう言い残して、ロザリアは踵を返す。
その背中を見送ってから、ルシアンが困ったように呟いた。
「何あれ、ちょっと厳しすぎない?」
「リリアーナは何も悪くないだろ!」
ルーカスが憤慨する。
「そうですよ。いくら婚約者だからといって、あそこまで言わなくても……」
セドリックもルーカスたちの言葉に頷く。
エドワードはリリアーナを気遣うように声を掛けた。
「大丈夫ですか、リリアーナ?」
「……うん」
リリアーナは小さく頷いた。
けれど、胸の奥には歓喜があった。
――いい感じに悪役令嬢が突っかかり始めたわね! このまま突き進んでいって欲しいわ!
ヒロインであり聖女でもある自分を邪魔に思っている。だから、アレクシスと話すことすら許さない。そう考えると、先ほどの言葉もすべて納得できる気がした。
そして四人に慰められながら、リリアーナは再び思う。
――早くアレクシス様に会いたいな。
ロザリアに辛辣なことを言われたと報告したい。アレクシスなら、きっと自分のことを分かってくれる。
そう思うと幸せな気分になれた。
それから。
ロザリアの言葉は日を追うごとに厳しくなっていった。
アレクシスが学園にいないある日のこと。
廊下で鉢合わせたロザリアは、リリアーナを見るなり足を止めた。
「……ベルナール嬢、貴女もいい加減になさいませ」
「ロザリア様……」
「アレクシス様がお忙しいことはご存じでしょう? それなのに、アレクシス様の姿を見かければすぐに駆け寄る。アレクシス様が貴女の世話係を命じられているからといって、それを免罪符にしているのではありませんこと?」
「私はただ、アレクシス様とお話ししたくて……」
「その『ただ』が、どれほど迷惑になっているかお分かりにならないのね」
「……………っ」
その声には、以前までの取り繕った柔らかさはなかった。
リリアーナは強張った表情をする。すると、隣にいたルーカスが口を挟んだ。
「ロザリア様、そこまで言わなくても――」
「貴方は黙っていてくださいませ。それに、貴方もですわ」
ぴしゃりと言われ、ルーカスが目を丸くする。
「え?」
ロザリアはルーカスだけではなく、その場にいたセドリックとルシアンにも視線を向けた。
「貴方たち三人は、いったい何をなさっているの?」
「何って……」
「ベルナール嬢の周りを取り囲んで、殿下がいらっしゃらない時まで付き添っているではありませんか」
三人が顔を見合わせる。
「聖女様が困っていたら、助けるのは当然でしょう」
セドリックがそう答えると、ロザリアは呆れたように息を吐いた。
「聖女だから?」
「ええ」
「では、貴方たちの婚約者はどうなさったの?」
「……………」
三人が一斉に黙り込む。
「セドリック・ハートフォード侯爵令息。貴方には婚約者がいらっしゃるでしょう?」
「そ、それは……」
「ルーカス・ウォルターズ伯爵令息も。ルシアン・クロフォード伯爵令息も同じではなくて?」
三人とも、言葉を失った。
「ご自分の婚約者を差し置いて、別の女性に付きっきり。それを見て、婚約者の方々がどう思われるか、考えたことはありますの?」
「……………」
「貴方たちがベルナール嬢を大切に思うことを否定するつもりはございませんわ。ですが、婚約者がいる身であることをお忘れにならないことね」
ロザリアの視線が、今度はリリアーナへ向けられる。
「そして貴女もですわ。ご自分の周りにいる殿方が、皆それぞれ婚約者を持つ身だということくらいは理解していただきたいものですわね」
「私は、そんなつもりじゃ……」
「ええ。貴女にそのつもりがないことは存じていますわ」
ロザリアは淡々と告げる。
「だからこそ、申し上げているのです。自分にその気がないからといって、周囲がどう見えるかまで変わるわけではありませんもの」
「……………」
誰も何も言い返せない。
ロザリアは扇を閉じると、小さく息を吐いた。
「わたくしから申し上げたいことは以上ですわ」
そうして、その場を去ろうとしたところで足を止める。
「……それから」
振り返ったロザリアの紫の瞳が、四人を射抜いた。
「側近候補として殿下のお傍に立つおつもりなら、もう少しご自分の立場をお考えになった方がよろしくてよ」
「………………」
四人は返す言葉もなく、黙って俯くしかなかった。
その様子を見ていたリリアーナだけが、納得できないように唇を尖らせる。いい感じに悪役令嬢が突っかかってくるのは良い。だけど。
――どうして、みんな悪役令嬢に怒られてるの?
自分たちは何も悪いことをしていないのに。もしかして、四人にちやほやされている自分に嫉妬しているのだろうか。ロザリアにはアレクシスという婚約者がいながら? でも、思い当たるのなんてそれくらいしかない。
そう思いながら、リリアーナは去っていくロザリアの背中を見つめていた。
そしてロザリアの姿が見えなくなった途端、ルーカスが大きく息を吐く。
「……なんだよ、あの女!」
「ルーカス!」
慌ててセドリックが制止する。
「何だよ! いくら殿下の婚約者だからって、リリアーナにあんな言い方する必要ないだろ!」
「まあ、確かに……」
ルシアンも困ったように眉を寄せる。
「ちょっと言い過ぎだよね。リリアーナは何も悪くないのに」
「そうですよ。リリアーナはただ殿下とお話ししているだけでしょう?」
エドワードも頷く。
「それに、僕たちがリリアーナの傍にいるのだって、困っている聖女様を放っておけないからだし」
「本当だよな!」
ルーカスが勢いよく頷く。
「俺たちはリリアーナを助けてるだけだ!」
「……婚約者の方々には、少し申し訳ない気もしますけど」
セドリックがぽつりと呟く。
「でも、それとこれとは話が別でしょう」
「そうだよ!」
ルーカスが即座に返した。
「だいたい、俺たちがリリアーナと一緒にいるのがそんなに悪いことか? 友達なんだからいいだろ!」
「うん。僕もそう思う」
「私も、リリアーナが嫌な思いをしているなら、できる限り支えて差し上げたいと思います」
四人が口々にそう言う。
リリアーナはそんな四人を見て、嬉しそうに微笑んだ。
「みんな……。ありがとう!」
「当然だろ!」
「僕たちはリリアーナの味方だからね」
「ええ。何があってもお力になります」
その言葉に、リリアーナは満面の笑みを浮かべた。
ロザリアに何を言われても、この四人が味方でいてくれる。そのことが嬉しくてもう一度笑顔で礼を告げた。そんなリリアーナを見て、四人もまた笑顔になる。
誰一人として気付いていなかった。
ロザリアの言葉が、自分たちの婚約者を蔑ろにしているという事実を、正面から突きつけたものだったことに。




