2回目の人生 ⑤
アレクシス視点の話です。
少しずつ身体は回復していった。
すぐに動き回れるようにならないことはもどかしかったが、焦っても仕方がない。今は療養に努め、一日も早く動けるようになることが先決だった。
まだ立ち上がることはできないが、手紙を書くくらいならできそうだ。そこでアレクシスはアシュフォード伯へ手紙を書くことにした。
――アレクシス・ルミナリアは死んだ。
これからは、そういうことにする。皇太子として再び表舞台に立つのはあまりにも危険すぎるからだ。だからそのために別人として生きていく。
それにはアシュフォード伯の協力が必要だ。アレクシスは自分の考えを手紙に記し、伯爵へ協力を頼むことにした。
しばらくして、アシュフォード伯から返事が届いた。
手紙には、全面的に協力するという言葉が綴られていた。それだけではない。すでに新しい身分まで用意してくれていた。
――アレン・グラント。
これから、アレクシスはその名で生きていくことになる。もう皇太子ではない。それでいい。皇太子ではなくなったからこそ、これからはずっと妹の側にいてやれる。そのことが嬉しくもあった。
けれど気掛かりなこともある。
アリアンヌが以前よりも体調を崩すことが増えたのだ。やはり聖女の力を使った代償なのではないか。そう考えると心配でならない。
今日もまた、妹は床に臥せっている。
……早く、よくなってくれるといい。
そう願うことしかできない自分が悔しかった。
それから、前回と同じように皇帝は側妃を迎えた。
けれど宰相、騎士団長、魔導士団長を処刑した影響は大きく、軍の再編は思うように進まず、内政も以前ほど統率が取れていない。そのためか、皇帝が側妃のそばにいる時間もさほど多くはないようだ。今回、側妃が妊娠することはなかった。
それならば、このままひっそりと妹を皇城から連れ出したいと考えた。けれどアリアンヌの体調はあまりよくはなく、無理をさせることはできなかった。
移動するなら馬車が一番いい。しかし、妹を隠したまま皇城を抜けられるとは思えない。まして抜け道を使うとなれば今のアリアンヌの体力では難しいだろう。そう考えると、今は皇女宮に留まるしかなかったのだ。
こんなときは、やはり皇太子の権限があればと思ってしまう。皇太子であれば、妹の婚約を調え、皇城の外へ逃がしてやることもできた。今更ないものねだりをしても仕方がない。そう分かってはいるが、アレクシスは失った権限の大きさを改めて思い知らされた。
◇
平穏な日々は二年ほど続いた。
その間に、巡礼に出されていた聖女が死んだ。そして、それをきっかけにアレクシスの無実も明らかとなる。けれど今更の話だった。正直なところ、アレクシスにとってはどうでもいいことにしか思えなかった。
しかし、聖女の死は思いもよらない方向へと事態を動かした。
――皇帝が、隣国アストリア王国へ宣戦布告をしたのだ。
あまりにも愚かな判断に、アレクシスは頭が痛くなる。戦争になって真っ先に被害を受けるのは国民だ。二年が経った今も帝国の内政は未だにごたついている。
このまま戦争に突入すれば国民の生活はさらに苦しくなるだろう。それが分かっていて何もしないわけにはいかなかった。
アレクシスは何とかアシュフォード伯を通じて策を講じることにした。こういうとき、アシュフォード伯が文官として皇城に出仕してくれるようになっていたことが、本当にありがたかった。
彼がいてくれて良かった。心の底からそう思った。
戦争は、帝国が押されていた。
当然だと思う。二年が経っても軍の再編は終わっていない。そんな状態で戦争を仕掛けたのだから、押されるのも無理はなかった。
戦争が長引く中、叔父が戦線を離脱した。重傷を負い、もう戦争に復帰することはできないほどだという。自分たち兄妹を見捨て、皇帝に媚び諂う叔父に思うところがないわけではない。けれど、だからと言って死んでほしいと思ったことはなかった。それに今はまだ、叔父には生きていてもらわなければ困る。
だから叔父が生きていると聞いてアレクシスは安堵した。
そして。
――皇帝は、それでも戦争をやめなかった。
どこまでいっても、愚かな人だった。
◇
戦争が始まってから、二年が経過した。
そして皇帝が戦場で命を落とした。流れ矢に当たったのだという。別に深追いをしていたわけでもない。周囲を護衛で固めてもいた。それなのに真正面から飛んできた一本の矢に射抜かれたらしい。あまりにもあっけない死に方だった。
――なんとも、あの人らしい。
アレクシスが思ったのはそれだけだった。
それよりも、指揮官である皇帝が死んだのなら戦争を終わらせることができる。帝国の敗北となってしまうが、これ以上犠牲が増えるよりはそのほうがずっといい。そう考え、アレクシスはアシュフォード伯を通じて、宰相室へ働きかけた。
その結果、なんとか戦争を終結させることができた。これ以上、戦争が続かないことに安堵する。けれど、のんびりしている暇はない。これから始まる戦後処理で、どこまで帝国の財産を守れるか。それによって国民への影響をどこまで抑えられるかが決まる。
時間が勝負だった。妹には悪いと思う。けれど、しばらくはこのことにかかりきりになるだろう。そう詫びを入れて、アレクシスは偽りの身分であちこちを駆け回った。
その甲斐あってか、帝国の属国化も、賠償金も、なんとか免れることができた。これ以上、国民を苦しめずに済む。そのことにアレクシスはようやく胸を撫で下ろした。
そしてもう皇帝であった父はいない。だからこそ、アリアンヌは皇女宮から自由に出歩けるようになるはずだった。そのことは喜ばしいと思う。けれど今の妹には、もうそんなことができるだけの体力は残っていなかった。
聖女の力を使った代償なのか、以前よりも身体は弱り、少し動くだけでも疲れてしまう。せっかく皇帝という呪縛から逃れられたのに。アレクシスはそれが悔しくてならなかった。
その後、誰を皇帝にするのかについて話し合いが持たれた。アレクシスとしては叔父を皇帝にしたかった。けれど叔父は未だ療養中。そのため、皇位はアリアンヌが継ぐことになってしまった。
「……分かりました」
妹が、静かにそう告げる。その言葉を聞きながら、アレクシスはただ見ていることしかできないでいた。妹が自分の望んだものではない重責を背負わされていく。それを止めることも、代わってやることもできない。
――ただ、見ていることしかできない。
それが、辛かった。
そして皇女宮へ戻ってからのことだった。
アリアンヌが困ったように眉を下げて、アレクシスに問いかける。
「お兄様。……わたくしを、助けてくださいますか?」
「当たり前だろう」
アレクシスは笑顔で答える。言われるまでもない。アリアンヌが皇帝になると決まった時から、手伝うつもりでいた。そもそも皇帝の仕事は思うよりもずっと大変だ。帝王教育を受けていない妹が、一人ですべてを背負えるはずがない。だからこそ、自分にできることなら何でもしようと思っていた。
けれど。
「……すみません、お兄様。きっと、頼りきりになってしまいます」
そんなふうに申し訳なさそうに告げる妹に、アレクシスは目を丸くする。
頼ってくれて構わない。やれることなら何だってやる。そう思っていた。けれど、もしかすると自分のその姿勢を、アリアンヌは重荷に感じているのだろうか。
自分に頼ることを申し訳ないと思っているのかもしれない。ならば、もっと気軽に頼っていいのだと伝えたほうがいい。そう思い、少しだけ考えてから口を開いた。
「帝王教育を受けていないアリアが、何の助けもなく立派な皇帝になったら、それはそれで私の面目が立たないよ」
少し冗談めかして言えば、アリアンヌは困ったように眉を下げた。けれど、やがて小さな笑みを浮かべる。その笑顔を見て、アレクシスはほっとした。
これでいい。妹が少しでも気楽に自分を頼ってくれるのなら、自分は何だってやるのだから。
その後、アレクシスは侍従ではなく皇帝の執務室付きの文官として仕えることにした。皇帝の執務室付きには、アシュフォード伯にも加わってもらった。他にも文官はいるが、アシュフォード伯が筆頭として指示を出し、その補佐を遠縁という設定のアレンが務める。
実際に政策を考え、指示を出しているのはアレクシスだったが、それを表に出すことはしない。あくまでアシュフォード伯の指示を受けて動いている文官として振る舞っていた。
戦後の復興を第一に進めなければならず、アレクシスはなかなか妹の側へ行くことができなくなってしまう。度々寝込むようになってしまった妹の側に、いてやれないことが申し訳なくてならなかった。




