2回目の人生 ④
アレクシス視点の話です。
――目が覚めた。
けれど身体はひどく重かった。
息をすることさえ苦しくて、手足には力が入らない。頭もぼんやりとしていて、自分が今どこにいるのかさえ、すぐには分からなかった。
「……殿下……!」
聞き慣れた声がする。ゆっくりと視線を向ければ、そこには見知った顔があった。己の専属医が目に涙を浮かべてアレクシスの顔を覗き込んできた。
「殿下……! お目覚めになられたのですね……!」
医師は涙を拭いながら、何度も何度も頷いた。
「……ここ、は?」
「皇女宮でございます」
「こう…、じょ……?」
何故、自分がここにいるのだろう。
毒杯を飲んだ。
それから――。
そこまで思い出したところで眉を寄せる。自分は、死んだはずだ。少なくとも、あの毒を飲んだ時にはそのつもりだった。
「どうして、わたしは……」
掠れた声で尋ねると、専属医は再び涙を浮かべた。
「殿下は、危ういところでございました。ですが……、皇女殿下方が、殿下をお救いするために、随分と無茶をなされたのです」
「……アリアンヌが?」
「はい」
その名を聞いた瞬間、アレクシスの意識が少しだけはっきりした。
妹が、自分を助けるために?
「……何が、あった?」
詳しい話を聞こうとした、そのときだった。
部屋の扉が開く。
「……殿下」
入ってきたのはヘレネだった。
「ヘレネ……」
「お目覚めになられたのですね……!」
ヘレネもまた、安堵したように涙を浮かべ息を吐いた。けれどアレクシスはそれよりも気になることがあった。
「アリアは?」
「………………」
ヘレネの表情が僅かに曇る。
「どうした?」
「アリアンヌ様は……、高熱を出されております」
「……高熱?」
「……はい。ずっと、熱が下がらずにいます」
その言葉にアレクシスの胸が強く締め付けられた。
「何故……」
「……今はまだ、アレクシス様ご自身も回復に専念なさってください」
ヘレネの声は静かだった。けれどその奥には隠しきれない心配が滲んでいる。その様子を見て、アレクシスは何も言えなかった。
自分を助けるために、アリアンヌが無理をした。
あの優しい妹が、また、自分のために……。
「……アリア」
掠れた声で、その名を呼ぶ。
今すぐ妹のもとへ行きたい。けれどいまの自分の身体では起き上がることは無理だった。
それから、数日後。
アリアンヌの熱が下がったと聞いて、アレクシスは胸を撫で下ろす。
自分の身体はまだ回復しきっていなかった。少しずつ体調は戻っているものの、未だに起き上がることすらできすにいた。毒がまだ身体から抜けきっていないのだろう。それに何日も寝込んでいるせいで、体力も落ちていることが分かる。
今は回復に専念するべきだ。そう頭では分かっている。それでも妹が心配でならなかった。
自分は確かに一度、死んだはずなのだ。今回飲まされた毒は前回と同じものだった。ならばあの毒がどれほど強いものなのか、自分が一番よく分かっている。それなのに、今、自分は生きている。
――何故なのか。
考えても、答えは一つしか思い浮かばない。
――アリアンヌが、聖女の力を使ったのではないか……。
それ以外には考えられなかった。
もし、そうなのだとしたら。そのせいでアリアンヌが寝込んでいるのだとしたら、どれほどの負担があの小さな身体にかかってしまったのだろう。
大丈夫なのか。苦しくないだろうか。痛くないだろうか。辛く、ないだろうか。
考えれば考えるほど、不安が膨らんでいく。今すぐ妹のもとへ行きたい。その顔を見て、無事なことを確かめたい。けれど身体はまだ動いてくれない。アレクシスはただ天井を見つめながら、アリアンヌの無事を祈ることしかできなかった。
その翌日。
アリアンヌがようやく起き上がれるようになったと、ヘレネから聞かされた。皇女宮の専属医から歩いてもよいという許可が下りれば、すぐに会いに来るつもりだという。それを聞いて、アレクシスは心の底から安堵した。
妹の熱が下がった。起き上がれるようになった。それだけでも、ずっと張り詰めていたものが少しだけ緩んだような気がする。
けれど、もしも本当に、アリアンヌが聖女の力を使ったのだとしたら。
――その代償は、如何ほどのものなのか。
それが心配でならなかった。
そして、しばらくしてから扉が開いた。
「お兄様……」
アリアンヌがゆっくりと部屋へ入ってくる。
「アリア……」
思わず息を呑んだ。
アリアンヌのその姿は、最後に見たときよりも随分と痩せていた。
この数ヶ月、自分が突然廃嫡され、処刑されることになった。その一連の出来事だけでも、大きな心労をかけてしまったことは分かる。けれど明らかにそれだけではない。以前のアリアンヌを知っているからこそ分かる。ただ心労が重なっただけでは、こんな痩せ方はしない。
顔色が悪い。身体も以前よりずっと細く見える。アレクシスの胸に、嫌な予感が広がっていった。やはりあのとき、自分を救うためにアリアンヌは聖女の力を使ったのだ。その代償として、この小さな身体が、これほどまでに削られてしまったのではないか。そう思うと、胸が締め付けられるようだった。
「お兄様……!」
笑顔で駆け寄ってくる妹に、アレクシスは優しく答えてやることができなかった。まずは妹と二人で話をしなければならない。そう考え、三人に向かって告げる。
「……すまない。アリアと二人にしてくれ」
その言葉に皇太子宮の専属医とデイル、そしてヘレネが一礼する。静かに扉が閉じられ、部屋にはアレクシスとアリアンヌだけが残された。
心配そうに自分を見つめている妹の手を握る。一度目の人生のときと変わらない、小さな掌だ。この小さな手に、この小さな身体に、自分のせいでどれほどの負担をかけさせてしまったのだろう。
「アリア。……どうして、聖女の力を使ったんだい?」
「お兄様を助けたかったからです」
もはや質問ではなく断定する形で問いかけても、妹はそれを否定することはなかった。それどころか迷いなく、はっきりと告げるアリアンヌの言葉に胸が苦しくなる。
「生きていてほしかったのです」
「……聖女の力は、使ってはいけないと言っただろう」
「ですが……、お兄様を助けるためでした」
アリアンヌの目は、なぜそれがいけないのかという疑問が浮かんでいた。
「わたくしは、お兄様に生きていてほしかった。それだけです」
もしも妹の身体が丈夫だったのなら、力を使っても何の問題もなかったのかもしれない。けれど身体の弱い妹は、聖女の力に耐えられない。そのことは、何度も説明したはずだ。
聖女の力を使えば身体に大きな負担がかかること。身体が今以上に弱ってしまうこと。それは自分自身の命を縮めることにも繋がるのだと。だから絶対に聖女の力を使ってはいけない。そう、繰り返し言い聞かせてきた。
それなのに。
それでも、力を使ってしまった。しかも、それが兄である自分を助けるために。
「……私を助けるために、お前の命を削ったのか」
こんな言い方をしたくなかった。こんな問いを、妹に投げかけたくなかった。けれど、どうして、と問わずにはいられない。
そして、しばらくの沈黙の後。
アリアンヌは、自分にとって残酷な真実を告げた。
「……お兄様のいらっしゃらない世界に、わたくしは、意味を見出せません」
静かに、けれどはっきりと告げられた言葉に。
ああ、と小さく息を吐く。
妹を生かすために、これまで努力をしてきたつもりだった。そのために、ずっと動いてきた。生きて、幸せでいてほしい。少しでも平和に、穏やかに、暮らしていてほしい。ただ、それだけを願っていた。
それなのに。
そんな大切な妹が、自分のために命を削ってしまった。自分のために、命を削らせてしまった。
妹に、皇女宮という小さな世界しか与えず、周りを遮断して、結果的に自分に依存させてしまったのだ。
――アリアンヌをこんな風にしてしまったのは……、私の、せいなのか。
あの時は、それが正しいと思っていた。
皇女宮の全権限を父からもぎ取り、妹の周囲を安全にしなければと必死だった。怪しい人物が入り込まないように。怪しい持ち物を持ち込ませないように。厳重過ぎるほど厳重に管理し、そして、人の出入りも制限した。
妹にも、決して皇女宮の外に行ってはいけないと約束させていた。皇女宮の外で父と出会ってしまえば、何が起こるか分からなかったからだ。
だから行動を制限し、会う人も制限した。今にして思えば、妹が、アリアンヌが自分に依存してしまったのは当然のことだったのかもしれない。
このとき、アレクシスは初めてそのことに気が付いた。
そして、妹を歪めてしまった。……自分の罪を知った。
――ならば。
「……ありがとう、アリア」
「お兄様……?」
アリアンヌは不思議そうに自分を見上げていた。その頭を、そっと撫でる。
自分がいなければ生きられないと、そう、思い込むようにしてしまった。自分に依存させてしまった。純粋に、生きて幸せになって欲しい。ただ、それだけを願っていたはずなのに。
けれどその妹は自分に依存して、自分がいなければ生きる意味がないという。こんなふうにしてしまった責任を、自分は取らなければいけない。その意味するところは。
――アリアンヌを生かすために、自分も生きなければいけない。
そのことを、アレクシスは知った。




