2回目の人生 ③
アレクシス視点の話です。
どれほど眠っていたのだろう。
重い瞼をゆっくりと開いた。
「………………」
ぼんやりとした視界に見慣れない天井が映る。
ここは、どこだろう。そう考えながら身体を起こそうとして妙な違和感に気づいた。身体が重い。まだ眠気が残っているような感覚にアレクシスは眉を寄せる。
「…………っ」
そこでようやく記憶が戻ってくる。
エドワードが淹れたお茶が妙な味がした。それを吐き出して、その後、四人を問い詰めて。
そして。
――リリアーナが、自分に向かって魔法を使った。
聖女の眠りの魔法。そこまで思い出したところで、アレクシスは勢いよく身を起こした。
そして、絶句する。
「………………」
自分は寝台の上にいた。上半身は乱れたシャツ一枚。前は大きくはだけている。そしてすぐ隣には、身体にシーツを巻き付けたリリアーナがいた。
「……何だ、これは」
声が低くなる。
リリアーナが顔を上げた。
「あ……」
その表情には怯えが浮かんでいる。
けれどアレクシスはその顔を見ているうちに、先ほどまでの記憶と今の状況が一本に繋がっていくのを感じた。
――状況を作り上げちゃえばいいんです!
あのとき、彼女はそう言った。
「……私に、何をした?」
「ち、違います! 私は――」
「答えろ」
静かな声だった。
けれどリリアーナはびくりと肩を震わせた。アレクシスは周囲を見回す。室内には自分たち以外にも何人かの人間がいた。
学園の教師。警備の者。誰もが困惑したような、あるいは気まずそうな顔をしている。そしてその視線が自分とリリアーナの姿へ向けられていることに気づく。
「……そういうことか」
アレクシスは呟いた。ここで何があったのか。傍から見れば、どう見えるのか。考えるまでもない。
自分は聖女と二人きりでこの部屋にいたのだろう。そして自分は上半身はシャツ一枚で、前が大きくはだけている。対して、彼女も身体をシーツで隠している。
これでは何を言っても、信じてもらえない可能性の方が高い。
――いや。
それ以前に、ここまでこの状況を用意されているということは偶然ではない。誰かが自分をここへ運び込んだ。そしてこの状況を見せるために人を集めた。
アレクシスは目を細める。そのとき、扉の外が騒がしくなった。
「殿下を皇城へお連れしなければ」
「ですが、まだお目覚めになったばかりで……」
「皇帝陛下へは、すでにご報告が行っています」
その言葉を聞いて、アレクシスは目を閉じた。
――皇帝。
最悪の相手に、最悪の形で知られてしまった。けれどまだ終わってはいない。何が起きたのかを一つずつ整理する必要がある。
自分は何もしていない。その事実だけは誰よりも自分が知っている。
アレクシスは寝台から足を下ろす。まだ身体に残る眠気にふらつきながらも立ち上がった。
「殿下……!」
教師が慌てて駆け寄ってくる。
「大丈夫だ」
アレクシスはそれを制した。
そして、静かに告げる。
「皇城へ行こう」
◇
皇城へ戻ったアレクシスを待っていたのは冷え切った空気だった。案内された先には皇帝がいた。アレクシスが入室すると皇帝は開口一番、低い声で告げる。
「聖女と不貞を働いたそうだな」
「ありえません」
即座に答えた。
「私は聖女とそのような関係にはなっておりません」
「では、あの状況は何だ?」
「聖女の魔法により意識を奪われました。きちんと調査をしていただければ、何があったのかは明らかになるはずです」
アレクシスは真っ直ぐに皇帝を見た。
「それに、虚偽判定をしていただければすぐに真実が分かるでしょう」
自分は何もしていない。ならば調べれば分かる。それだけの話だ。
ところが。
「黙れ!」
皇帝の怒号が響いた。
次の瞬間。
「――――っ!」
頬に強い衝撃が走った。
身体が大きく揺らぎ、アレクシスは数歩よろめいた。
「なんという無様な!」
皇帝の怒りは収まらない。
「何という恥をさらした! よりにもよって聖女に手を出すなど、皇太子としての自覚がないのか!」
「……ですから、私は――」
「言い訳をするな!」
またしても言葉を遮られ、アレクシスは口を閉ざす。
殴られた頬が熱い。けれど、それ以上に気になることがあった。
――話を聞く気がない。
皇帝は、アレクシスが何を言っているのかを聞こうともしない。
虚偽判定を受ければ真実が分かる。調査をすれば、自分が何もしていないことも明らかになる。それを伝えているだけのに。
「このような醜聞を知られれば、どうなると思っている!」
「……陛下」
「お前がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかった!」
怒りの言葉だけが、一方的に浴びせられる。アレクシスは静かに皇帝を見つめた。
――おかしい。
まるで最初から真実などどうでもいいかのようだった。
一通りアレクシスを罵倒したあと、皇帝はアレクシスから視線を外して眉間に皺を寄せながら何事かをぶつぶつと呟いている。この状態で声をかけても大丈夫だろうか。
そう考えていたときだった。
「殿下」
背後から硬い声がかかった。
「皇帝陛下のご命令により、しばらく皇太子宮でお過ごしいただくことになりました」
「………………」
アレクシスは僅かに目を細めた。軟禁。言葉にはされていないけれど、皇太子宮から出ることを禁じられるのであれば、それ以外に呼びようがない。
皇帝はすでに背を向けている。まるでアレクシスとの話はもう終わったとでもいうように。
アレクシスはそれ以上何も言わせてもらえることはなく、皇太子宮へ戻ることになった。
歩きながら考える。
――おかしい。
何かがおかしい。皇帝が自分の醜聞に激怒すること自体は理解できる。だが調査すらしようとしないのは、どういうことなのか。
虚偽判定という、もっとも簡単に真偽を確かめられる方法を提示しても、それを退けた。そして自分を皇太子宮へ閉じ込める。
そこまでして自分の話を聞かない理由は何なのか。今のアレクシスには分かることは何もなかった。
「………………」
皇太子宮へ戻る。
扉が閉ざされ、外側から鍵の掛かる音がした。
アレクシスはしばらく、その扉を見つめていた。
――何かが、動いている。
そうとしか思えなかった。
その後も、アレクシスは訪ねてくる調査官に何度も事情を説明した。
自分は何もしていない。側近候補たちに薬を盛られ、その後、聖女の魔法によって眠らされたのだと。けれど誰も信じてはくれなかった。
それでも諦めるわけにはいかない。きちんと調査さえしてくれれば、すべて分かるはずなのだ。だからアレクシスは何度でも自分の無実を訴え続けるしかなかった。
恐らく、リリアーナの言葉から考えて、最初に盛られたのは媚薬や催淫作用のある薬だったのだろう。しかし幼い頃から毒への耐性を身につけてきたアレクシスには、それらも効かなかった。そこでリリアーナは聖女の魔法を使い、眠りに落ちた自分を皇太子用の個室から運び出した。貴賓用休養室へ移したのは、おそらく側近候補たちだろう。そしてそこで自分とリリアーナがあたかも男女の関係を持ったかのような状況を作り上げた。
そこまでは分かっている。けれど、どうしても理解できないことがあった。
――何故、皇帝は自分の話を聞こうとしないのか。
苛烈なところはある。けれど皇帝としての務めを果たしていないわけではない。国を治め、臣下を動かし、帝国を維持している。そんな皇帝が、どうしてこれほど明白な疑問を放置するのか。
自分が何もしていないという証拠があるわけではない。だからこそ調査をすればいい。皇太子である自分が聖女と不貞を働いていないと分かれば、それは皇帝にとっても望ましいことのはずだ。帝国の次代を担う皇太子が、聖女との不貞という醜聞にまみれている。そんな事態を皇帝が望むとは思えない。
それなのに調査すらしようとしないのは何故なのか。
「………………」
アレクシスは皇太子宮の窓から外を眺めた。自分が知らないところで、何かが起きている。その確信だけが日に日に強くなっていく。けれど、それが何なのかまでは分からない。何故、皇帝は自分の無実を明らかにしようとしないのか。アレクシスには、どうしても理解できなかった。
◇
皇太子宮に軟禁されてから、どれほど日にちが経っただろう。
ある日、定期的な診察に訪れた専属医からアレクシスはようやく詳しい状況を聞くことができた。
「殿下のお身体に、今のところ問題はございません」
「そうか。……今の状況は?」
「……調査のほうは、まだ進んでおりません」
「何故だ?」
アレクシスが尋ねると、専属医は僅かに言い淀んだ。
「隣国の王太子殿下が、かなり強く追及されているようでして……」
「……隣国の王太子?」
思わずアレクシスは眉を寄せる。何故、クロードがこの件に関わっている?
「どうやら、ロザリア様とご一緒にあの現場を目撃されたそうです」
「……そうか」
アレクシスは小さく息を吐く。
ロザリアに見られた。その事実は辛かった。
一度目の人生では、最後まで彼女を救うことができなかった。だから今度こそ、と思っていた。そんな彼女に、あの光景を見せてしまったのか。聖女とは何もなかったとはいえ、ロザリアには酷な光景を見せてしまった。そう思うと、胸が重くなるのを感じた。
けれどそれでも、アレクシスはどこかで思っていた。
――ロザリアなら、分かってくれるのではないか。
自分が何をされたのかを説明すれば、信じてくれるのではないか。少なくとも話を聞いてくれるのではないか。そして何かがおかしいと気づいてくれるのではないか。そう考えた。
けれどそのロザリアへ、今のアレクシスから連絡を取ることはできない。手紙を書こうとしても、常に誰かの目がある。誰が味方で、誰が敵なのか。それすら分からない状況で迂闊に動くことはできなかった。
もちろん、アリアンヌにも連絡を取れない。妹に余計な心配をさせたくないという気持ちはある。けれどそれ以上に、もし自分が何者かに狙われているのだとしたら、アリアンヌまで巻き込まれる可能性があるのではないか。そう思うと連絡を取ることすらできなかった。
そして専属医の話を聞いて、皇帝が自分の話を聞こうとしない理由も何となく察することができた。
自分と聖女が不貞を働いた。それ自体は事実ではない。けれど、よりにもよって、その現場を他国の、それも王太子に見られてしまった。
――皇帝が激怒するのも、無理はないのかもしれない。
自国の人間が相手ならば、皇帝の権力で圧力をかけ、今回の件を表に出さないようにすることもできる。けれど他国の王族となれば話は別だ。
相手は隣国の王太子。帝国の皇帝がいくら圧力をかけたところで、簡単に口を封じられる相手ではない。
聖女との不貞。そしてそれを他国の王族に目撃されたことによって、隠蔽することすら難しい状況になってしまった。その事態を招いたのが自分だ。皇帝からすれば、アレクシスが本当に無実なのかどうかなど、もはや問題ではないのかもしれない。皇太子として聖女との醜聞を起こした。しかもそれを他国の王太子に見られた。その責任を負うべき立場にある自分が、あろうことか「何もしていない」と訴えている。
だからこそ、皇帝は怒りに任せて自分の話を聞こうとしないのだろう。
――そう考えれば、皇帝の態度にも納得がいった。
◇
それから間もなく、アレクシスは廃嫡された。それに伴い、ロザリアとの婚約も解消となった。そのことを聞かされて、納得したくはないが、理解はできた。
けれど、あまりにも流れが早すぎる。
皇太子である自分の廃嫡が決まり、婚約が解消され、そして、ロザリアが隣国へ移住することになった。どうやらそれを言い出したのは隣国の王太子であるクロードで、ロザリア自身もそれに頷いたという。
その話を聞いてもすぐには理解できなかった。自分の知るロザリアは、決して弱みを見せない女性だった。筆頭公爵家の令嬢であることに誇りを持っていた。そんな彼女が、公爵家を出て隣国へ行く。
――何故?
そう思ったとき、ふと、ある可能性が頭を過った。
……もしかしたら。
ロザリアにも前回の記憶があるのではないか。そう考えると納得できることがあった。前回の最後、何故ロザリアがあれほど怒ったのか。アレクシスには未だにその理由が分からない。けれど、あのときのロザリアは確かに自分に怒っていた。
そして今回、ロザリアは自分を避けているようにも見えた。もしもロザリアも前回の人生を覚えているのだとしたら。あのときの感情を抱えたまま、もう一度この人生を生きているのだとしたら。自分を避けているように感じたのも、気のせいではなかったということになる。
そして本当にロザリアに記憶があったのなら、その記憶があったからこそ前回とは違う行動を取っていたのかもしれない。
そう考えると、アレクシスの中でいくつもの疑問が繋がっていく。
そういうことだったのか、と思ってしまう。ロザリアがリリアーナと距離を置いていたこと。自分を避けるようになったこと。そして今、クロードの申し出を受け入れ、帝国を離れようとしていること。
この騒動の、どこからどこまでをロザリアが仕組んだのかは分からない。けれどロザリアとクロードが第一発見者だったというのなら、あのときにはすでに、この騒動が起こることを知っていたのではないだろうか。だからこそ、二人があの場所にいた。
隣国の王太子という身分を持つクロードなら、皇帝も容易には圧力をかけられない。クロードが激しく追及し、その結果、自分は廃嫡され、ロザリアとの婚約も解消された。そしてロザリア自身は、クロードとともに隣国へ行く。そう考えれば、すべてが繋がるように思えた。
――自分は、ロザリアに謀られたのではないか。
そのことをアレクシスは悟った。
◇
何もできない。
その事実がアレクシスを再び無力感へと突き落としていた。
幽閉であれば、まだいい。温情が与えられているのなら、その間にできることはある。妹のために、彼女を安全な場所へ逃がすための手筈を整えることもできるだろう。
けれど、処刑となれば話は別だ。処刑が決まった瞬間、自分の行動はすべて封じられる。妹を逃がすこともできない。そのための準備をすることすらできくなってしまう。
そして見張られている今の状況では、誰かに助けを求めることも密かに指示を出すこともできなかった。何か手を打たなければならない。そう思っているのに、そのための手段が何一つなかった。
「…………」
アレクシスは拳を握りしめた。
――まただ。
一度目の人生でも、アリアンヌを守りたいのに何もできない自分を何度も思い知らされた。そして、今もまた。もう一度人生をやり直す機会を与えられたはずなのに、自分は何もできず、ただ時間だけが過ぎていくのを待つしかない。
……せっかく、やり直しの機会を与えられのに。
そう思っても、何もできない自分が惨めでならなかった。
処刑が決まり、毒杯を賜ることになった。
このままでは、一度目の人生の二の舞になってしまう。
幽閉であれば、まだできることがあった。けれど処刑が決まったいま、自分にできることは何もない。
側近候補たちもまた、連座によって一族郎党、処刑されることになったらしい。彼らのことも、救いたいと思っていた。彼らのことを思えばこそ、厳しいことも言った。間違っていることは間違っていると伝えた。今度こそ、同じ道を辿らないようにと。
それなのに、まさかそれがこんな形で自分に返ってくるとは思わなかった。
そして、ロザリアも。
――自分は、何を間違えたのだろう。
彼女に恨まれるようなことをしてしまったのだろうか。分からない。何度考えても、その答えは見つからなかった。
けれど、ロザリアにはもう、自分は必要ないのだろう。そう思うと、少しだけ寂しかった。
――そして、アリアンヌ。
妹には、自分しかいなかった。それなのに、何もしてやれないことが心残りでならない。生きていくための道を、用意してやることもできなかった。せめて自分がいなくなった後も、生きていけるようにしてやりたかった。けれど、それすらできなかったのだ。
大丈夫だろうか。ちゃんと、生きていけるだろうか。そう、心配することしかできないでいた。
そして、処刑当日。
案内された部屋には、簡素な机と椅子が一つだけ置かれていた。その上には杯が置かれている。中には透明な液体が入っていた。
――毒杯。
それを見た瞬間、アレクシスは一度目の人生を思い出した。あの日も同じように毒を前にした。けれど、あのときとは違う。
今度は妹の行く末を決めてやれなかった。何も残してやれていない。それなのに、自分はまたここで死ぬ。
「…………」
静かに杯を手に取った。
――アリア。……すまない。
心の中で、妹に詫びる。
そして、アレクシスは毒杯を煽った。




