2回目の人生 ②
アレクシス視点の話です。
アレクシスは変わらない日々を過ごしていた。
リリアーナと側近候補たちに注意をするのがもはや日課になりつつある。嬉しくない日課ではあるが、しなければならないことは分かっていた。なのでアレクシスとしては淡々と注意をしていくだけだった。
「アレクシス様!」
廊下の向こうから聞き慣れた声がしてアレクシスは足を止める。振り返ればリリアーナが嬉しそうに駆け寄ってくるところだった。
「アレクシス様、聞いてください! 今日――」
「ベルナール嬢」
話を遮るように、アレクシスは静かに呼びかけた。
「以前にも言ったと思うけれど、私は名前で呼ぶことを許可していない。何度言えば分かってもらえるだろうか」
「え……、でも……」
リリアーナが困ったように眉を下げる。
「だって、アレクシス様はアレクシス様じゃないですか」
「そうだな。だからこそ、皇太子である私を名前で呼ぶことが許されていないと、理解してほしい」
「………………」
リリアーナは黙り込んでしまう。けれど謝る様子はない。その横には、いつものように四人の側近候補たちがいる。アレクシスは彼らへ視線を向けた。
「……ところで、お前たちは何故何も言わない?」
「え?」
セドリックが目を瞬く。
「ベルナール嬢が、私の許可なく名前で呼び続けていることについてだ」
「ですが……。ベルナール嬢に悪気はありませんし」
「そうですよ」
ルーカスもすぐに続けた。
「殿下だって、そんなことでいちいち怒るような方じゃないでしょう?」
「怒っているかどうかの問題ではない。私は名前で呼ぶことを許可していない。それなのに、彼女は何度注意しても呼び続けている」
「でも、聖女様はまだ貴族社会のことに慣れていませんから」
エドワードが困ったように言う。
「だからこそ、教えてやるべきなのではないか? それに、私は何度も注意をしているのに、ベルナール嬢は一向に直そうとする気配がない。それはもはや、直す気がないのと一緒ではないのか?」
「それは……」
「それに、私が直接注意するのではなくお前たちが注意してもいいはずだ」
「ですが……」
「でも……」
四人から次々と言葉が返ってくる。しかし、そのどれもが結局は同じだった。リリアーナに悪気はない。まだ慣れていない。悪く思わないでほしい。その繰り返しだ。
アレクシスは小さく息を吐く。
何度言ってもやはり変わらない。だが、そこでふと気づいたことがある。
「では、別のことを聞こう。お前たちはきちんと自分の婚約者と時間を取っているのか?」
「え?」
「ベルナール嬢とこうして毎日のように過ごしているだろう。それならば自分の婚約者たちとも同じように時間を取っているのかと聞いている。エドワードは婚約者がいないからいいとして、他の者は違うだろう」
「それは……」
「まあ、その……」
「聖女様は一人で学園に来ているので、どうしても俺たちが側にいる必要が……」
「そうです。彼女はまだこちらの生活に慣れていませんから」
またしても同じ答えだった。アレクシスは眉間を軽く押さえたくなるのを堪えた。
「お前たちの婚約者も学園生活には慣れているのか? ルシアン。お前の婚約者は今年入学したばかりで一学年だろう。ならばベルナール嬢と条件は同じだと思うが?」
「……えぇと、それは……」
「お前たちが聖女のために時間を使うということは、その分、自分の婚約者と過ごす時間を削っているということだ」
三人は黙り込んでしまう。
「婚約者がいるということは、その相手にも果たすべき責任がある。聖女を大切にすること自体は悪くない。だが、そのために他の人間を蔑ろにしていい理由にはならない。ましてお前たちはいずれ私の側近になる予定なのだろう? 自分が大切にしたい相手だけを優先して、それ以外を放っておくような振る舞いが許される立場ではない」
「………………」
「まずは自分たちが何をしているのか、きちんと考えてみろ」
そう言い残して、アレクシスはその場を離れた。背中に四人の戸惑った視線を感じる。
――これで、少しは考えてくれればいいのだが。
そう思いながらも、アレクシスには何故か嫌な予感がしていた。
それから、結局。
セドリックたちは何も変わらなかった。そんな彼らを見て、アレクシスは一つの決断を下する。
――もう、彼らだけに任せておくのはやめよう。
何度注意しても変わらないのであれば、これ以上アレクシスが直接言い聞かせたところで意味はない。それならば彼らを育てた家に責任を持ってもらうしかない。
アレクシスは四人の家に、それぞれ正式に通達を出すことにした。
聖女との関わり方について、これまでにも何度か注意していること。しかし、未だに改善が見られないこと。このままでは聖女本人だけでなく、学園内の他の生徒たちとの間にも問題が生じかねない。そのため、今後の振る舞いについて各家でも指導するように、と。
もちろん、直接的に「息子をどうにかしろ」と書いたわけではない。けれど意味するところは明白だった。アレクシスとしてもこれ以上彼らが馬鹿なことをするよりは、そのほうがずっといい。四人の家はいずれも帝国の重鎮だ。彼らが問題を起こせば本人たちだけの問題では済まない。ならば今のうちに家の者にも事情を把握してもらい、手を打ってもらうべきだろう。
これで少しでも変わってくれればいいのだが。
アレクシスはそう願いながら、執務机の上に並べられた四通の通達書を見つめた。
――少なくとも、自分にできることはした。
そう思っていた。
その後、側近候補たちが何か言いたそうな目で自分を見てきたが知らぬふりをしておいた。自分たちで何がいけなかったのかをきちんと考えてほしい。アレクシスはそう思っていた。
決して見捨てたわけではない。ただ、必要なことをしただけだ。そのつもりでいたし、そう思っていた。
しかし、彼らにとっては違ったのだろうか。
……今となっては、アレクシスには分からなかった。
◇
ある日のことだった。
学園にある皇太子用の個室で、アレクシスは手紙を書いていた。そこへセドリックたちがやって来る。リリアーナも一緒だった。
――また何かあったのか。
そう思っただけでアレクシスは思わず憂鬱になってしまう。けれど今日は特に何かを訴えに来たわけではないらしい。
「今日、学園でこんなことがあったんです!」
リリアーナが楽しそうに話し始める。アレクシスは手紙を書きながらそれを聞いていた。他愛のない話だった。
授業のこと。昼休みに食べたもののこと。特に問題が起きたわけではないらしい。それならば、とアレクシスも余計な口を挟むことはせず聞き流していた。
そのときだった。
「殿下、お茶はいかがですか?」
エドワードが声をかけてきた。
「ああ。頼む」
これもいつものことだった。エドワードがお茶を淹れ、それをアレクシスが飲む。何度も繰り返してきたいつもの光景。
だから何の疑いもなく茶器を手に取った。
そして、口に含んだ瞬間。
「――――っ」
違和感が走った。
アレクシスは反射的に口元を押さえ、持っていたハンカチへとお茶を吐き出す。苦い。いや、苦いというだけではない。舌に残る妙な味。いつものお茶とは明らかに違う。
室内の空気が一瞬にして凍りついた。アレクシスはゆっくりと顔を上げる。視線の先には側近候補たちとリリアーナがいた。誰も何も言わないで、アレクシスを見つめている。側近候補たちの顔は強張っていた。そしてその沈黙が、何よりも不自然だった。
アレクシスは手にした茶器を机へ戻す。
そして。
「……お前たち、何のつもりだ?」
低い声で問いかける。
誰も答えない。その沈黙を破ったのはリリアーナだった。
「え、ど、どうして……?」
彼女は青ざめた顔で、アレクシスの手元を見つめている。
「なんで飲まないの?!」
「……飲めると思ったのか?」
アレクシスは冷たく問い返した。
「私は幼い頃から毒への耐性をつけてきた。少量ずつ毒を取り込み、身体に慣らしてきた」
皇太子という立場にある以上、毒への備えは当然だった。おかげで、毒そのものに対して強いだけではない。
「そのおかげで、何か混入されていればすぐに分かるようになった」
アレクシスは茶器へ視線を落とす。そしてゆっくりと顔を上げてリリアーナを含む五人を睨みつけた。
「お前たち、私に何を盛った?」
「…………っ」
「何をしたのか、分かっているのだろうな?」
「ち、違……」
「俺たちは、そんなつもりじゃ……」
「やばい……っ、ど、どうしよう……」
四人の顔から、みるみる血の気が引いていく。ようやく自分たちが何をしたのか理解したらしい。
皇太子に対して毒、または薬を盛る。それがどれほど重い罪になるのか。
――いや。
もしかすると最初からそこまで考えていなかったのかもしれない。ただ、リリアーナに頼まれて行動に移した。その程度の考えだったのかもしれない。
いまさら焦るくらいなら、なぜ行動する前に実行したらどうなるかを考えられないのだろう。アレクシスは怒りよりも先に、呆れを覚えた。
そのとき。
「アレクシス様!」
リリアーナが突然、アレクシスの前へ駆け寄ってきた。
「……ベルナール嬢?」
「すみません!」
リリアーナは怯えた表情をして、いきなり頭を下げた。
「でも私、どうしても皇太子妃になりたいんです!!」
「……何を――」
アレクシスが言葉を続けるより早く、リリアーナが手を伸ばす。
淡い光が、彼女の手のひらに集まる。
「――――っ!」
アレクシスの目が見開かれる。
まさか、リリアーナが自分に魔法を使う?
そんなことをするとは考えていなかった。だから反応が遅れた。
光がアレクシスの身体を包み込む。強烈な眠気が、一瞬で全身を襲った。
「な……」
身体に力が入らない。
魔力を巡らせようとする。けれど、これはもう、間に合わない。
――普通の魔法なら、そう簡単には効かないはずだった。
生まれつき高い魔力を持つアレクシスには、並の魔法はほとんど通じない。けれど、これは違う。聖女の持つ、特別な眠りの魔法。魔力そのものを封じるような強烈な眠気に、さすがのアレクシスも抗うことができなかった。
「……なぜ……」
膝から力が抜ける。
床へ倒れ込む寸前、辛うじて顔を上げた。視界が霞む。焦ったように騒ぎ始める側近候補たち。そして、その向こうにいるリリアーナ。
彼女は先ほどまでの怯えた表情とは違っていた。口元に笑みを浮かべている。
「大丈夫ですよ」
その声だけが、遠く聞こえた。
「状況を作り上げちゃえばいいんです!」
何を……。
そう問い返すこともできなかった。アレクシスの意識は、そこで途切れた。




