1回目からの回帰
アレクシス視点の話です。
≪ ――……やり……し…、も………いって……い…… ≫
何か、大事なことを言われた気がした。
そして、優しく背を押されたような――。
そんな感覚だけが残っていた。
ゆっくりと目を開く。
見慣れた天井があった。
「…………?」
アレクシスはしばらく瞬きもせずに天井を見つめていた。
――自分は、死んだはずではなかったか。
……息をしている。心臓も動いている。
身体を起こしてみるが、身体に痛みはない。呆然としたまま、自分の身体を見下ろした。
もしかして、と思ってしまう。最後に父が言っていたことを思い出す。
――幽閉して、愛でてやっても良かったものを。
まさか、本当に幽閉されたのだろうか。
母の面影が完全になくなったとはいえない。父にとって、自分はまだ母を思い出すよすがとして残す価値があったのだろうか。それならば、毒を飲ませたのも一時的に意識を奪うためだったのか。そう考えれば目覚めたことにも説明がつく。しかし、それならばなぜ、自分はまだ皇太子宮にいるのだろう。
そんなふうに、アレクシスは混乱状態に陥っていた。
けれど。
視界の端に映ったものに、アレクシスはふと動きを止めた。机の上に一枚のハンカチが置かれている。白い布地に、拙いながらも丁寧に施された刺繍。
「………………」
アレクシスは目を見開く。
そっと手を伸ばし、ハンカチを手に取る。指先に触れた布は、まだ新品のように張りがあった。
このハンカチを覚えている。これは妹が刺繍を施してくれたものだ。初めて自分のために刺繍をしてくれたとき、アリアンヌは少し恥ずかしそうに笑っていた。
『少し失敗してしまったのですが……』
そう言いながら、それでも嬉しそうに渡してくれたのを覚えている。
アレクシスはそのハンカチを大切に持ち歩いていた。何度も使い、何度も洗って。最後には布の硬さもすっかり取れて、柔らかく馴染んでいたはずだ。
けれど今、手の中にあるハンカチはあの頃と何も変わらない。新品同様の張りがあった。
「……そんな」
胸の奥が大きく跳ねる。ハンカチを机へ戻し、部屋を見渡す。机の上にはいくつもの書類が置かれていた。それらにも見覚えがあった。この時期に処理していた公務の資料。アレクシスは震える指で、そのうちの一枚を手に取った。
そして、日付を確認する。
「………………」
息を呑む。あり得ない。けれど、何度見直しても同じだった。
それは。
――最終学年へ上がる数日前の日付。
「……まさか」
記憶を辿る。
母を失った幼い頃。アリアンヌが生まれた日のこと。学園での日々。ロザリア。偽りの聖女。側近候補たち。そして父に飲まされた毒。
すべて覚えている。夢ではない。
ならば。
最後に聞こえた、あの声は――。
「……女神様」
呟いた瞬間、アレクシスは静かに目を閉じる。
何故、もう一度生きる機会を与えてくださったのかは分からない。けれど理由など今はどうでもよかった。
「ありがとうございます」
ただ、それだけを告げた。
もう一度、生きられる。もう一度、妹に会える。もう一度、やり直すことができる。
それだけで十分だった。
「女神様。この機会をもう一度与えてくださったことを、心より感謝いたします」
目覚めるまでに聞こえた言葉は、最後まで聞き取ることはできなかった。
けれど、きっとあの優しく背を押すような感覚は、自分をもう一度生きる場所へと送り出してくれたものだったのだろう。ならば今度は上手くやらなければ。妹を守ることはもちろん、救えるものがあるのならできる限り救いたい。ロザリアも、側近候補たちも。一度目の人生で失ってしまったものを、今度こそ失わずに済むのなら。
そのために、自分にできることをしよう。
そう、アレクシスは決意した。




