1回目の人生 ⑤
アレクシス視点の話です。
妹、アリアンヌとの別れ。
ロザリアの刑が執行されたあと、アレクシスは皇女宮へ向かった。
久しぶりに訪れる皇女宮だというのに嬉しいという気持ちは湧いてこない。
アシュフォード伯から妹の件について、全面的に協力するとの約束を得られたことは幸いだった。アリアンヌを守るための道を用意できたことに安堵もしている。
けれど、これから妹に告げなければならないことを思うと気が重かった。
目にした妹は元気そうで、その姿を見て安堵する。しかしアレクシスの姿を見た途端、妹の表情が強張ってしまう。妹は人の感情の変化に人一倍敏感な子だ。だからこそ、自分が何も言わずともアレクシスの様子から何かを察してしまったのかもしれない。
これから話すことを聞けば、妹はきっと大きな衝撃を受ける。あまりのショックに倒れてしまうのではないか。そんな不安さえあった。
それでも、言わないわけにはいかない。
せめて話をする前に、少しでも緊張をほぐしてやりたかった。そう思ってアレクシスがしたことは、逆効果だったのかもしれない。先ほどよりも不安そうな顔で妹がじっと自分を見つめている。その視線を受けながら、アレクシスは小さく息を吐いた。
そして妹の小さな手を握りながら、まずロザリアのことを説明した。
「……そんな」
妹の口から、掠れた声が零れる。見る見るうちに青褪めていく顔色に、アレクシスは心配でならなかった。これだけでも十分な衝撃だというのに、このほかにも告げなければならないことがある。
けれど。
「……アリア、日を改めるかい?」
あまりにも顔色の悪い妹を見て、やはり一度にすべてを告げるべきではないのかもしれない。そう思って声を掛けた。
「大丈夫です……」
しかし、妹は気丈にも震える声でそう答えた。本当に大丈夫なのだろうか。アレクシスは不安を覚えながらも、次の言葉を口にする。
自分の次の婚約者に、偽りの聖女がなるかもしれないこと。まだ正式に決まったわけではないが、皇帝の口から出た言葉だ。ほぼ決定したも同然だろう。だからこそ、そのことを前提として話す。
そして、それは――。
この先を告げることが、何よりも辛い。
「アリア。……アリアンヌ。気を確かにして、聞いて欲しい」
先ほどよりも少しだけ力を込めて、妹の手を握る。しっかりと。どうか、気を強く持ってほしいと願うように。
妹の目を見て告げなければならない。そう思った。大事なことだから。
けれど。
どうしても、妹の目を見ることができなかった。
これから先に待ち受ける自分の末路を。起こり得る未来を。妹の目を見ながら告げることは、アレクシスにはできなかった。
「聖女は、皇太子妃の器ではない。私はそのうち、良くて廃嫡か、……始末されるだろう」
妹が息を呑む音がした。
しばらく待っても、何の反応も返ってこない。アレクシスはそっと顔を上げる。妹は、……静かに泣いていた。視界の端では、ヘレネとデイルも真っ青な顔で首を横に振っている。
「すまない、……アリア」
何に対する謝罪なのか、自分でも分からなかった。上手く立ち回れなかったことか。ロザリアのことか。偽りの聖女との婚約か。自分の末路か。
それとも、……そのすべてに対してなのか。思い浮かぶことが、多すぎた。
「いやです……」
妹が泣きながら首を横に振る。妹が泣いていることが辛かった。ましてその原因を作ったのは自分なのだ。慰めてやることも、いつものように「大丈夫だ」と言ってやることもできない。
「お兄様が、死ぬなんて……いや……」
妹の瞳から次々と涙が零れ落ちていく。それでもアレクシスには妹に掛ける言葉が見つからない。ただ、握っている手を離さずにいることしかできないでいた。
慰めの言葉を掛けてやることができない。それどころか、まだ告げなければならないことがある。
「アリア。泣きながらでもいい。けれど、聞いてほしい」
そう告げても、妹は首を横に振る。いつもなら、こんなふうに泣く妹を見れば仕方がないと苦笑して許しただろう。けれど今回だけは、それをしてやることはできなかった。
詰ってもいい。罵倒してもいい。
……嫌われても、構わない。
それでも、言わなければならない。妹を、生かすために。
「アリアンヌ。……お前は、逃げろ」
握っていた手をそっと離し、妹の頬を両手で包み込む。そして妹の目を見つめながら告げる。今度は、目を逸らさずに告げることができた。
アレクシスの言葉に、泣いて真っ赤になった妹の目が大きく見開かれる。
「アーネスト・アシュフォード伯爵と、お前の婚約を整えた」
「…………」
「アシュフォード伯爵は三十代後半で、十二歳のお前とは年が離れていることも分かっている。けれど、アシュフォード伯なら、お前のことを守ってくれる」
本当なら、妹にはもっと相応しい未来を与えてやりたかった。兄として、ただ幸せになって欲しかった。それなのに自分に用意できたのは「逃げるための婚姻」だけだった。
それでもアシュフォード伯なら妹を守ってくれる。そのための約束を取り付けることができた。少なくとも自分がいなくなったあとも、妹が生きていける場所を用意することはできた。
だからこそ、妹には少しでも早くアシュフォード伯のもとへ行ってほしい。アレクシスの未来は、もうどうなるのか分からないから。だから何が起きても大丈夫なように。自分がいなくなっても、妹だけは安全な場所で生きていてほしかった。
けれど。
「……嫌です」
初めて妹が、自分の言葉を本気で拒んだ。可愛い我が儘で「嫌だ」と言うことはあった。けれど今回の言葉がそれとは違うことは、アレクシス自身にもよく分かっていた。
「アリア」
「嫌です!」
聞き届けてほしいと呼びかければ、さらに強い声が返ってきた。こんなふうに声を荒らげた妹を見るのは初めてだった。
「お年を召していようが、わたくしと年が近かろうが、そんなことは問題ではございません。わたくしは、わたくしはっ……、お兄様のお側から、離れたくありません!」
妹の言葉は、婚約相手が嫌だと告げているものではなかった。
ただ、自分と離れたくない。そのことを訴えていた。そのことに嬉しいと感じていることは確かだ。けれど、妹の願いを受け入れることはできない。
自分の破滅に、妹を巻き込みたくなかった。傍にいれば妹まで巻き込んでしまう。アレクシスは妹に生きていてほしい。そのために、アレクシスは「逃げろ」と告げることしかできないのだ。
「駄目だ、アリア。お前だけでも、逃げるんだ」
妹が泣いている。それでも、これだけは譲れない。自分がどうなろうとも、妹だけは生きていてほしい。
それは、妹が――、アリアンヌが生まれたときから、ずっとアレクシスが願っていることだから。
だから、どうか。生きる道を選んで欲しい。
「……分かりました」
その願いが通じたのか。妹は悲しそうに、辛そうに表情を歪めながら。それでも頷いてくれた。そのことに安堵する。けれど同時に、妹を手放すときが来たのだと、寂しさが込み上げてくる。自分でそうなるよう説得したというのに、ひどい矛盾だった。
しかし、そのあとに妹から思いもよらない言葉を告げられた。
「では、お兄様がご存命の限り……。わたくしを、遠くにやらないでください」
「……アリア」
「お願いです、お兄様。……どうか、少しでも長く、お側にいさせてください」
涙を浮かべ、悲しそうに告げる妹の言葉に心が揺れる。理性ではすぐにでもアシュフォード伯のもとへ送った方がいいことは分かっていた。
だけど。
あまりにも懸命に、健気に、自分の傍にいたいと訴える妹の願いを無視することはできなかった。
「……分かった。すまない、……アリアンヌ」
まだ十二歳の幼い妹に、酷な仕打ちをしていると思う。
そっと妹を抱きしめる。小さな身体だった。身体が弱いからか、背丈も、身体つきも、同じ年頃の子供よりもずいぶんと小さい。
どうか、自分がいなくなったあとも、この子だけは生きていてほしい。
母との約束だけは、最後まで守りたい。
――それだけが、今のアレクシスに残された最後の願いだった。
◇
その後、聖女と婚約したこと、そして聖女が巡礼の旅に出されたことを妹に告げた。
それよりも問題だったのは、父が後妻として側妃を迎えたことだった。やはり父は、自分を皇太子の座に留めておくつもりはないのだろう。側妃を迎えたことで、そのことはより決定的なものとなった。
そしてそれが正しいと示すかのように、自分に与えられる公務が少しずつ減っていく。それに伴い、皇太子の執務室付きだった文官たちも、少しずつ減らすようにした。自分の行く末に巻き込まれる前に、彼らを逃がさなければならなかった。
皆、異動を告げるたびに名残惜しそうな顔をしてくれた。そのことは、純粋に嬉しかった。けれど彼らまで巻き添えにするわけにはいかない。だからそれぞれに次の異動先を用意し、順次そこへ移ってもらう。
やがて自分一人でも公務を回せるほどしか仕事が来なくなる。そこまで仕事が減ってしまえば、もう文官を残しておく理由もない。
そして空いた時間は、すべて妹のために使った。
――いや。アレクシス自身も、アリアンヌと一緒にいたかったのだ。
最後の思い出を残すように、静かで穏やかな時間を妹と過ごす。
少し前に、側妃が懐妊したことも知っていた。自分に忠誠を誓ってくれる者たちが、密かに手を打とうとしていたことも知っている。けれど皇帝の後宮に囲われている側妃に、手を出せるはずがない。そんなことをすれば、死にに行くようなものだ。だからこそ、彼らを諭した。余計なことはするな、と。
そして、とうとうその日を迎えた。
――側妃が、子供を生んだ。男児だった。
その知らせを聞いて、すぐに妹へ別れを告げた。もうこれ以上、時間を引き延ばすことはできないと分かっていたからだ。
「アリア。これから先、私は狙われる身となる。……ここに来ることは、もうないだろう」
「……お兄様」
そう告げれば、妹の目に涙が浮かぶ。拭ってやりたい。けれど、もう自分はそうしない方がいい。そのことは分かっていた。自分がいないことに、妹は少しずつ慣れていかなければならないからだ。
それでも、言葉にせずとも「嫌だ」と訴えるように、妹が抱きついてきた。これくらいは、とアレクシスも妹を抱き返す。
妹を、この子を、自分は忘れないでいよう。この子にも、確かに自分を愛してくれる家族がいたのだと、覚えていてほしい。
――お前は、愛されるために生まれてきたのだと。
「アリア。アリアンヌ。私の可愛い妹。お前の幸いだけを、私は祈っているよ」
そっと身体を離す。妹は口元を押さえ、涙を流しながら。それでもずっとアレクシスを見つめていた。
それから、扉の前に立つヘレネとデイルへ視線を向ける。
「ヘレネ、デイル。アリアンヌを頼む。……お前たちだけが、頼りなんだ」
そう言って、頭を下げた。皇族が頭を下げる。きっと皇帝である父が見れば、激怒するような場面だろう。けれど、もう自分にはそんなことは関係なかった。皇族だから、なんだというのだろう。これから先、自分に未来などない。ならば、誠意をもって頼むことしかできないのだ。
幸いなことに、二人とも妹を守ると約束してくれた。これから先、妹の側にいるということは二人自身の未来も不透明になるということだ。そのことが分からない二人ではないだろう。それなのに、自分たちに、自分に向けられる忠誠に、もう何も返してやれないことが歯がゆかった。
「……ありがとう」
そう言って微笑めば、ヘレネとデイルの目にも涙が浮かぶ。情に厚いこの二人になら、妹を託せる。良い人たちが妹の側にいてくれれば、自分も安心して逝ける。そのことに、少しだけ安堵した。
もう一度、妹へ向き直る。
「さようなら、アリア」
子供のころと同じように、妹の頬に口づけを落とす。泣いている妹の頭をそっと撫でて、部屋を後にした。
――どうか、幸せに。




