1回目の人生 ④
アレクシス視点の話です。
ロザリアとの最後。
※ここから少し時系列が前後します。
聖女や側近候補たちへの対処に追われる一方で、アレクシスは婚約者であるロザリアとも向き合っていた。
婚約破棄騒動から三日後。
アレクシスはロザリアが収容されている貴人牢へと向かう。扉の前で一度だけ足を止める。この先にいるのは、つい先日まで自分の隣にいた婚約者だ。
これから先も自分の隣にいると思っていた女性。学園を卒業し、皇太子と皇太子妃として共に歩み、いつか自分が皇帝となればロザリアは皇后に。そうやって彼女と家族になり、共に過ごしていけると思っていた。
けれどその未来がやってくることはない。それを理解していても、扉を開ける瞬間はほんの僅かに胸が痛んだ。
「……ロザリア」
アレクシスが部屋に入ると、中にいたロザリアが顔を上げる。
「アレクシス様」
いつもの呼び方だった。その声を聞いただけで、胸の奥が締め付けられる。けれどアレクシスはそれを表情に出さなかった。
「座ってくれ」
静かに促す。ロザリアがソファへ腰を下ろし、アレクシスもその向かいへ座った。沈黙が落ちる。話さなければならないことは分かっていた。けれど何から話せばいいのか分からなかった。
「……卒業パーティーでの件について、お話があるのでしょうか」
「いや」
短く答える。ロザリアが僅かに眉を寄せた。
「では、なぜわたくしはここへ?」
アレクシスはロザリアを見つめる。何度も見てきた顔だ。穏やかに微笑む姿も、少し困ったように眉を寄せる姿も知っている。だからこそ、これから告げる言葉を口にすることが苦しかった。それでも皇太子として伝えなければならない。
一度、息を整える。
「ロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢」
一度声を出せば、覚悟は決まった。
「貴女を、聖女リリアーナ・ベルナール暗殺未遂の容疑者として断定する」
「……何ですって?」
ロザリアの目が大きく見開かれる。
「聖女暗殺未遂の容疑だ」
「……わたくしが?」
「ああ」
「まさか。アレクシス様。何かの間違いではありませんの?」
「間違いではない」
自分でも驚くほど声は静かだった。感情を乗せれば、きっと言葉に詰まってしまう。だから、ただ事実だけを告げる。
「では、証拠はございますの?」
ロザリアが真っ直ぐにアレクシスを見る。
「まさか皇室は、筆頭公爵家の娘に罪を被せるおつもりですの?」
「そのようなことをする必要はない」
アレクシスは首を横に振った。
「君を容疑者とするに足る根拠が揃っている」
ロザリアの表情から僅かに笑みが消えた。
「……根拠?」
「ああ」
アレクシスは一つずつ積み重ねるように言葉を口にした。
「暗殺未遂犯の一人に、過去視の魔法を使用した」
その言葉を聞いて、ロザリアの指先が僅かに強張る。
それを視界の端に捉えた。
「そこで、犯人が裏ギルドと繋がっていることが判明した。その後、裏ギルドの摘発を行った」
淡々と続ける。
「調査の結果、聖女暗殺の依頼が裏ギルドの正式な経路を通して行われたことが分かった」
「………………」
「依頼経路を一つずつ辿った。その結果、聖女暗殺へ繋がった経路が、大聖堂の告解室に行き着いた」
ロザリアは何も言わない。アレクシスもまた、彼女から目を逸らさなかった。
「裏ギルドと繋がっていた神父にも、過去視の魔法を使用した」
その先を口にすることが、ひどく重かった。
「……そこに、君がいた」
沈黙が落ちる。
「……それだけですの?」
やがてロザリアが口を開いた。
「わたくしが大聖堂で告解をした。それだけではありませんか」
「告解をしただけなら、そうだろう」
アレクシスは否定しなかった。
「でしたら、単なる偶然にすぎませんわ」
「そうかもしれない」
本当に、そうであってほしかった。過去視の中に映った彼女の姿が、何かの間違いであってほしいと何度も思った。しかし、何度見返しても結果は同じだったのだ。
「けれど、君は裏ギルドに関する情報を知り得る立場にあった」
声を抑える。
「筆頭公爵家の娘として。皇太子の婚約者として。君には、一般の貴族令嬢よりも多くの情報へ触れる機会があった」
ロザリアは何も答えない。
「そして、君が告解室で取った行動を経て、聖女暗殺の依頼が実行された」
「だから、それは偶然ですわ」
「……そうかもしれない」
アレクシスの言葉にロザリアが僅かに目を見開く。
「君が何も知らず、偶然その行動を取った可能性はある」
その可能性を捨てたくはなかった。
けれど。
「裏ギルドの情報を知り得る立場にあった君が、その方法を取った直後に聖女暗殺が実行された。それを単なる偶然として扱うことは出来ない」
ロザリアは黙り込んでしまう。アレクシスもしばらく何も言わなかった。
できることなら、ロザリア自身の口から言ってほしかった。誤解なのだと。あるいは、誰かに脅されていたのだと。そう言ってくれさえすれば、自分もそれを信じるために動くことができる。どれほど僅かな可能性であっても、ロザリアを救うための道を探すことができた。
けれどそんな願いを口にすることはできない。筆頭公爵家の令嬢であるロザリアを脅して従わせることのできる者など限られている。皇帝か、ヴァレンティア公爵か。考えられるのはその二人くらいだ。そしてヴァレンティア公爵は、何事もなければロザリアが自分と結婚することを知っている。ならば聖女を排除する理由もない。
ロザリアが誰かに脅されている。その可能性は限りなく低い。そのことをアレクシスは誰よりも理解していた。
「……ロザリア」
アレクシスは静かに呼びかける。
「君は、大聖堂を訪れる数日前に花屋へ侍女を遣わせている」
ロザリアの表情が僅かに強張った。
「スノードロップを五本。黄色のフリージアを三本。ユーカリとかすみ草を添え、ワインレッドのリボンで結んだ花束だ」
「…………」
「そして、その五日後。君は大聖堂を訪れた」
「……それが、何だとおっしゃいますの?」
アレクシスは一つずつ、証拠を示していく。
「その時、君のハンドバッグにはワインレッドのリボンが結ばれていた」
ロザリアの指先が動いた。
「さらに、告解を終えた君はお布施を置いている。その袋にも、同じリボンが結ばれていた」
声はまだ落ち着いていた。けれどその問いに僅かな揺らぎが出てしまう。
「……ロザリア。なぜだ?」
アレクシスはロザリアを見つめた。
「公爵令嬢である君が、花束に使われていたリボンを自分の持ち物に結び付ける。常識的に考えて、あり得ない」
「………………」
「まして、そのリボンをわざわざお布施の袋へ結び付ける理由は何だ」
答えは返ってこない。アレクシスはそれでも返答を待った。
「なぜ、そうした?」
けれど、しばらくしても、ロザリアは答えなかった。
これ以上、聞く必要はないのかもしれない。しかしアレクシスは最後まで説明する必要があった。
「スノードロップは暗殺依頼。五本で、五日後」
ロザリアの顔から少しずつ血の気が引いていく。
「黄色のフリージアは午後。三本で、午後三時」
アレクシスの声は静かだった。
「ユーカリは依頼場所を示す。そして、そのユーカリが示す場所は大聖堂の告解室」
ロザリアは何も言わない。
「裏ギルドへの依頼は、花屋でワインレッドのリボンを指定する。合言葉は『きゅっと結んで』。そうして花束を受け取った依頼人は、そのリボンを身につける」
アレクシスは一度だけ目を伏せた。
もう、分かっている。それでも口にしなければならない。
「その後、同じリボンを依頼金の袋へ結び付ける」
ゆっくりと顔を上げた。
「これらの行動を、君はすべて満たしている」
ロザリアを見つめる。かつて家族になることを願った女性。これからも隣にいると思っていた女性。その人に向けて、最後の問いを投げる。
「……ロザリア。釈明はあるか?」
返事はなかった。
ただ、静かな沈黙だけが二人の間に落ちた。
アレクシスは目を閉じることも、顔を背けることもしなかった。これが最後になるのだと思った。
彼女を、自分の婚約者として見ることが。
――ロザリアと家族になる未来を夢見ていた。
もう、それも終わったのだ。
そう理解しながら、それでもアレクシスは最後まで皇太子としてそこに座っていた。
◇
その後、裁判でロザリアは死罪を言い渡された。犯した罪を考えれば妥当な判決だった。
死罪が決まってからというもの、アレクシスは何度かロザリアのもとを訪れている。もう二度と会えなくなると思うと、どうしても顔を見ておきたかったのだ。けれどロザリアは何も反応しなかった。最初に訪れた時も、その次も、そのまた次も。彼女はただ、窓の外を眺めているだけだった。
何を考えているのか、アレクシスには分からない。それでも無理に話をさせることはしたくなかった。
そして、処刑を翌日に控えた日。
その日もアレクシスはロザリアのもとを訪れた。
扉を開ければ、ロザリアはやはり窓の外を見ていた。
「……最後の食事に、何か希望はあるか」
問いかけても返事はない。しばらく待ったが、ロザリアが振り返ることはなかった。
「分かった。では、こちらで用意しよう」
そう告げても反応はない。何を食べたいかと尋ねたところで、どうせ答えてはくれないだろう。そう思いながら、アレクシスはふと昔のことを思い出した。
まだ妹が幼かった頃。ロザリアとアレクシスの二人きりでしたお茶会で、次回は何を食べたいかとロザリアに尋ねたことがあった。
『では、桃のコンポートを』
そう答えたロザリアは、ころころと笑っていた。
『あら。これはアリアンヌ様がお好きなものでしたわね。でも美味しいですもの。わたくしも、たまに食べたくなりますわ』
そう言って、楽しそうに笑っていたロザリアの顔を覚えている。アレクシスもつられて笑った。あの頃は、そんな時間がこれからもずっと続いていくのだと思っていた。ロザリアは自分の婚約者で、幼い頃から隣にいて、いつか夫婦となり、そして家族になる。それが当然なのだと思っていた。
あの頃の思い出が、頭に浮かんだからだろうか。
「デザートには桃のコンポートを付けておく。……好きだっただろう?」
気付いたときにはそう告げていた。けれど口にした瞬間、ロザリアの肩が跳ねた。ゆっくりと彼女が振り返る。その表情を見たアレクシスには、何故ロザリアがそんな顔をしたのか分からなかった。
ただ、ロザリアがこちらを見てくれたことに、ほんの少しだけ安堵する。
しばらくしてロザリアが口を開いた。
「……一つ、お伺いしてもよろしくて?」
「ああ」
久しぶりに聞いたロザリアの声に、アレクシスは僅かに目を見開いた。声を聞くことが出来て素直に嬉しいと感じた。
「わたくしが処刑された後。……アレクシス様の婚約者は、どなたがなりますの?」
その問いに、表情が強張るのが自分でも分かった。できることなら告げたくない。聖女リリアーナ・ベルナール。次の婚約者として聖女を考えていると、皇帝はそう告げた。まだ決定したわけではない。けれど皇帝が考えていると告げた。それはもう、決定したことと同じだった。
そしてその言葉を聞いて、アレクシスは自分の未来を悟ったのだ。リリアーナが皇太子妃に相応しくないことなど、皇帝も分かっているはずだ。それでも聖女を自分の婚約者にするということは。
――自分を皇太子の座から下ろすつもりなのだ。
廃嫡か、幽閉か、あるいは……。
そこまで考えてアレクシスは思考を止める。今それを考える必要はない。少なくとも、ロザリアの前では。彼女は明日、処刑される。そんな彼女に自分のこれからについて話すことはない。アレクシスの未来を決定づけた出来事の一つに、彼女自身が関わっている。だからこそ、言いたくなかった。
けれど。
「……アレクシス様?」
ロザリアに促され、アレクシスは目を伏せた。嘘をつくことも出来ない。
しばらくの沈黙のあと、アレクシスは諦めたように口を開く。
「……聖女リリアーナ・ベルナールだ」
アレクシスの言葉を聞いた瞬間、ザリアの表情が変わった。
「……ロザリア?」
ロザリアは何も答えない。やがて静かな声が返ってきた。
「……出て行ってくださいまし」
「何?」
「出て行って、と申し上げましたわ」
その声にアレクシスは戸惑ってしまう。ロザリアがこんな声を出すのを、今まで聞いたことがなかった。
「ロザリア」
「出て行ってくださいまし!」
鋭い声が響く。
アレクシスは動きを止める。何故、彼女がここまで怒っているのか分からない。ただ自分が何かを間違えたのだということだけは分かった。
「……ロザリア?」
「いいから、出て行って!」
アレクシスはしばらく彼女を見つめていた。何か言葉をかけるべきなのかもしれない。謝るべきなのかもしれない。けれど何と言えばいいのか分からなかった。
結局。
「……分かった」
それだけを告げて、立ち上がる。
扉へ向かうその途中で、一度だけ振り返った。ロザリアは俯いている。その背中がひどく小さく見えた。けれど声をかけることは出来なかった。
扉を閉め、一人になった廊下でアレクシスはしばらく立ち尽くしていた。胸の奥に、言葉に出来ない痛みが残っている。
――これが、最後になるのだろう。
明日、ロザリアは処刑される。そして自分は、もう二度と彼女と会うことも話すことも出来ないのだ。
アレクシスにはロザリアを救うことは出来ない。罪を犯した者を、自分の感情だけで助けることなど許されることではない。分かっている。分かっているからこそ、ただ、静かに目を伏せた。
――どうして、こんなことになってしまったのだろう。
その問いに、答えを出せる者はどこにもいなかった。
翌日。
アレクシスは何一つ仕事が手につかないでいた。それでも時間だけは過ぎていき、やがて刑部の官吏が執務室を訪れた。
「ロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢の刑は、滞りなく執行されました」
それだけを告げると官吏は深く一礼し、部屋を後にする。アレクシスはしばらく動けずにいた。
やがて窓辺へ歩み寄り、外を見る。雲一つない青空が、どこまでも広がっていた。
そっと目を閉じる。
――どうか、安らかに。
そう祈ることしか出来ない自分が、ひどく情けなかった。
もう、この世にロザリアはいない。
胸にぽっかりと穴が空いたような、そんな気持ちにさせられた。




