1回目の人生 ②
アレクシス視点の話です。
聖女が学園へ編入してから、しばらく経った。
当初アレクシスが懸念していたのは、聖女本人の振る舞いだった。
貴族社会の常識を知らず、皇太子である自分に対しても距離が近い。何度注意しても名前で呼ぶことをやめず、周囲から見れば誤解を招きかねない行動も少なくない。それでもアレクシスは、自分が注意を続けていればいいと思っていた。
しかし、問題はそれだけではなくなってしまった。
「殿下、リリアーナが――」
「セドリック」
またか、とアレクシスは思う。
「以前にも言ったと思うけれど、彼女のことで私に報告する前に自分で判断できることは自分で判断してほしい」
「……申し訳ありません」
セドリックが素直に頭を下げる。彼は四人の中では比較的冷静な方だ。だからこそ最近の変化がアレクシスには気になっていた。以前ならば聖女の振る舞いに疑問を抱けば、それを口にしていた。けれど今では彼女が何かを言えば、それを肯定することが増えている。ルーカスやルシアン、エドワードに至っては、もはや言うまでもない。
「殿下、リリアーナは悪くありません!」
「そうですよ。少しぐらい大目に見てもいいじゃないですか」
「……そういう問題ではない」
何度目になるか分からない言葉を、アレクシスは繰り返す。
「彼女が悪いと言っているわけではない。お前たちには、私の側近候補として自分の立場を考えて行動してほしいと言っているんだ」
「ですが――」
「ルーカス」
静かに名を呼べば、ルーカスは口を噤む。アレクシスは四人を順に見つめた。彼らが聖女を心配していることは分かっている。彼女が困っていれば助けたいと思うことも、悪意があるわけではないことも。だがそれとこれとは別の話だ。聖女に親しくすること自体を禁じるつもりはない。けれど彼女の言葉を無条件に信じ、何をしても庇うようになれば、それはもう「親しくしている」という範疇を越えている。
ましてや彼らは、将来自分の側近となることを期待されている人間だ。主君の判断よりも一人の女性を優先するようになれば、側近として置いておくことはできない。
「……お前たちは、自分たちが何のために側近候補として選ばれているのか。そのことをもう一度きちんと考えた方がいい」
四人の表情が強張る。
「私は聖女を大切にするなと言っているわけではない。だが、彼女のためなら何をしても許されるわけではないだろう」
「……分かりました」
返事はする。
けれどアレクシスには彼らが本当に理解したようには思えなかった。それでも、それ以上強く言い聞かせても意味はないだろう。
彼らは皆、幼い頃から将来の側近として育てられてきた優秀な人間だ。簡単に見限るつもりもない。だからこそ、どうしたものかとアレクシスは密かに頭を悩ませていた。このままでは本当に側近候補から外さなければならなくなる。それを彼らは分かっているのだろうか。
――本当に、どうすればいいのだろう。
怒りよりも先に、そんな途方に暮れた思いが浮かんでしまう。アレクシスは彼らを切り捨てることも、好き勝手にさせることもできず、その間で静かに頭を抱えていた。
それでも状況は、なかなか変わらなかった。
何度注意してもリリアーナは相変わらず名前でアレクシスを呼び、許可なく皇太子である彼の身体に触れる。側近候補たちもそれを止めようとしない。
その一方で公務は増えていき、ただでさえ忙しい日々が続いている。
久しぶりに学園へ顔を出せば、案の定リリアーナがまとわりついてくる。注意しなければならないことは分かっていた。けれど何度言っても直らない相手に、同じことを繰り返し注意する。そのことが、今のアレクシスにはひどく疲れることだった。
もう、そのことに気力を使うことすら億劫になっていた。
そして、ただでさえ聖女と側近候補たちのことで頭を悩ませているというのに。
今度はロザリアと聖女の間にも、どうにも穏やかではない空気が流れるようになってしまった。それだけならばまだ良い。問題はその後だった。
学園でリリアーナが他の女生徒たちから嫌がらせを受けるようになったのだ。さすがに看過できないと判断したアレクシスは、すぐに調査を命じた。そしてほどなくして犯人が判明する。それはロザリアの友人の一人だった。報告を受けたアレクシスは思わず眉を寄せる。
ロザリア自身にも確認したが、彼女はその事実を知らなかったらしく明らかに驚いた様子を見せていた。おそらく、本当に知らなかったのだろう。
けれど。
――だからといって、ロザリアまで無関係だとは言い切れない。
アレクシスは静かに考える。皇太子妃教育の中には、当然ながら民衆を導くための教育も含まれていた。人々の意見をまとめ、必要であればその流れを望む方向へと誘導する。そのための知識や方法も、程度の差こそあれ学ぶことになっていた。
もちろん、それは政治や統治のために必要なものだ。しかし使い方を誤れば、人を扇動することもできる。今回の件がロザリアが仕組んだことでないことは分かっていた。それでも彼女の周囲にいる人間が彼女の意向を勝手に汲み取り、行動に移すようなことがあれば話は別だった。ましてやロザリアは将来は皇太子妃となる女性である。本人にそのつもりがなかったとしても、周囲が彼女の言葉や態度をどう受け取るのかまで考えなければならないのだ。
「……また一つ、問題が増えたな」
思わず小さな溜め息が漏れた。
聖女。側近候補たち。そして、今度はロザリア。どれも簡単に切り捨てられる問題ではない。むしろ自分が間に入って調整しなければならないものばかりだ。
アレクシスは頭の中を整理しながら、もう一度小さく息を吐く。
――どうして、こうも次から次へと問題が起こるのだろう。
そんなことを考えながら、アレクシスはロザリアの周囲にもこれまで以上に注意を払うことを決めた。
◇
学園での問題が増えていくにつれて、アレクシスが皇女宮を訪れる回数も増えていった。妹の顔を見ると、それだけで少し心が軽くなる。アリアンヌのいるところだけが、今のアレクシスにとって心から安らげる場所だった。
けれど、その一方で。
ロザリアとリリアーナの間にある溝はなかなか埋まらない。ロザリアは聖女としての振る舞いについて何度か注意していたが、その言い方があまり良くなかったのだろう。少しずつ、ロザリアに対する周囲の評判が悪くなり始めていた。
このままではいけない。そう判断したアレクシスは、ロザリアに告げた。
「ロザリア。……これから先、リリアーナ・ベルナール嬢には関わらないでほしい」
「……何故ですの?」
「これ以上は、君の評判が悪くなる」
アレクシスは静かにそう告げる。ロザリアが悪いと言いたいわけではない。彼女が聖女の振る舞いを正そうとしていることは分かっている。その言葉が正しいとアレクシス自身も思っていた。
けれどロザリアの言い方がきつかったのだろう。ロザリアに注意されて、リリアーナはよく泣いていた。それを見た生徒たちが、ロザリアが聖女をいじめているのではないか。そう捉えるようになってしまったのだ。
これ以上リリアーナに関われば、ロザリアが悪者にされてしまう。
それだけは避けたかった。このまま何事もなく卒業すれば、ロザリアは自分と結婚する。そうなれば彼女は皇太子妃となり、いずれは自分と共にこの国を支えていく存在になる。それに、アレクシスはロザリアと家族になれることを心待ちにしていたのだ。
だからこそリリアーナに関わることで彼女自身の評判や、これからの未来を傷つけるようなことはしてほしくなかった。
アレクシスはロザリアを見つめる。自分にとって大切な人だからこそ、余計な傷を負ってほしくない。それが、アレクシスの偽らざる気持ちだった。
「殿下」
少し離れた場所から、従者がアレクシスを呼んだ。
「失礼いたします。急ぎ、ご確認いただきたい書類が」
急ぎの公務が入ったようだ。本当ならロザリアともう少し話をしていたかったが、そうも言っていられない。
「……また今度」
それだけを告げ、アレクシスはロザリアの元を立ち去る。その時のロザリアがどのような表情をしていたか、アレクシスが知ることはない。
この時に、もっとロザリアに寄り添っていれば。ロザリアの話を聞いていれば。
……そう思った時には、すべてが遅かった。
そして、衝撃的な事件が起こった。
聖女の暗殺未遂が起こったのだ。
当然ながら皇室も動くことになり、アレクシスもその捜査に加わることになった。まずはこれ以上の襲撃を防ぐため、聖女には皇室から影をつけることになった。表立って護衛を増やせば余計な騒ぎになるため、密かに警護を固めたのだ。
次から次へと問題ばかりが起こって頭が痛い。聖女と側近候補たち。ロザリアとの関係。そして今度は聖女暗殺未遂。本当に頭の痛くなることばかりだった。
けれど皮肉なことに、聖女暗殺未遂の捜査に携わることになったことでアレクシスが学園へ登校する時間が減った。学園に行けば、また何かが起こる。そう思っていたアレクシスにとって、それは思いがけず少しだけ心が休まることでもあった。
――これで少しの間、学園のことを考えずに済む。
そんなことを思ってしまった自分に、アレクシスは苦笑する。聖女が狙われたというのに、学園から離れられることに安堵してしまう。
我ながら随分と疲れているらしい。そう思ったけれど、今は捜査に集中するしかなかった。
けれど捜査は思うように進まなかった。
聖女暗殺未遂。その言葉だけを聞けば重大な事件であることは誰にでも分かる。それにもかかわらず、捜査は驚くほど進展しなかった。
捕らえた襲撃犯からも黒幕に繋がる情報は得られない。物証もなく、証言もない。それでも黒幕が存在することだけは間違いない。襲撃犯は何を聞いても黙秘を貫いた。自白剤を使うという手段も当然ながら考えられたが、自白剤を使ったところで必ずしも真実が得られるわけではない。薬の効き方には個人差があり、場合によっては意識が朦朧とし、そのまま、まともな意思疎通ができなくなることさえある。最悪の場合、薬の影響で廃人同然になってしまう可能性もあった。そうなれば、ただでさえ一人しか捕らえられていない襲撃犯から二度と話を聞くことができなくなる。それでは何の意味もない。
無理に口を割らせてしまえば、事件を追うための貴重な手掛かりそのものを失うことになりかねなかった。ならば他の証拠を探すしかない。そう考えて捜査を続けていた。けれど、どれだけ調べても事件の核心に繋がるものは何一つとして見つからなかった。
こうして、時間だけが過ぎていく。
黒幕が捕まっていない以上、事件が終わったわけではない。また聖女が狙われる可能性がある。そう考えると、アレクシスは焦りを覚えた。
皇室の威信をかけて捜査しているというのに、何一つとして黒幕に近付けない。このままではいけない。けれど、どうすればいいのか分からなかった。これまで積み重ねてきた知識も、人脈も、使える権限も、すべて使っている。それでも何も見つからない。
机の上に積み上げられた報告書を眺めながら、アレクシスは深く息を吐く。
――過去を見ることができれば。
ふと、そんな夢物語のような考えが脳裏に過る。
襲撃犯の過去を見ることができれば、何か分かるのではないか。捜査は進展するのではないか。そう考えてしまった。
けれど、そんな魔法が存在しないことは分かっている。少なくとも、アレクシスが知る限りでは。そう思った、そのときだった。不意に、頭の中へ何かが流れ込んできた。
「…………?」
最初は何が起こったのか分からなかった。
けれど、それはすぐに知識へと変わっていく。魔法の使い方。その理論。これまで存在すら知られていなかった術式。
そしてその中に――、過去を見るための魔法があった。
アレクシスは目を見開く。それだけではない。次から次へと、膨大な魔法の知識が頭の中へ流れ込んでくる。まるで最初から知っていたかのように理解できた。
けれど自分がこれまで学んできた魔法とはあまりにもかけ離れている。今ではもう、その存在さえ知られていないものばかりだった。
――これは、一体……。
戸惑いながらも、アレクシスには一つだけ思い当たることがあった。
幼い頃、毒に侵され死を覚悟したあの日。妹を助けてほしいと願ったときに聞こえた、あの声。自分が勇者の魂を持つ者であることを知ったときにも感じた、あの不思議な感覚。
あの時と同じ感覚がした。
――女神の力……、なのだろうか。
そう考えれば、妙に納得できた。きっと女神が知識を与えてくれたのだろう、と。それが分かった瞬間、アレクシスは静かに息を吐く。あまりにも途方もない魔法ばかりだった。けれど今はそれを疑問に思っている場合ではない。
これで事件の真相に近付けるかもしれない。再び聖女が狙われる前に、犯人を見つけられるかもしれない。そう思えば自然と背筋が伸びた。
――それにしても。
過去を見るための魔法だけではない。どう考えても一人の人間が知るには多すぎるほどの魔法知識まで一緒に与えられている。今や古代魔法と言われるであろう、それらの魔法。それを女神によって与えられた。そう理解するしかなかった。
アレクシスはしばらく考えたあと、静かに目を閉じる。
そして。
――女神様。ありがとうございます。
ずいぶんと色々いただいてしまった。内心でそう思いながら、アレクシスは女神に感謝の祈りを捧げる。
祈りを終えると、アレクシスは早速授かったばかりの魔法を使うことにした。そして過去視の魔法を使い、黒幕へと繋がる痕跡を一つずつ辿っていく。
その結果、ようやくたどり着いた先は――ロザリアだった。
「………………」
アレクシスは、しばらく何も言えなかった。信じたくなかったのだ。
何かの間違いではないのか。自分が見落としているものがあるのではないか。そう思って何度も過去を辿った。けれど何度見てもそこに映る過去が変わることはない。
黒幕は、ロザリアだった。
その事実に胸の奥がひどく冷たくなる。ロザリアが何を考えていたのかは分からない。けれど自分の婚約者が聖女の暗殺を企てたという事実だけは、覆しようがなかった。
――なぜ。
最初に浮かんだのは、そんな言葉だった。自分は、何かを間違えたのだろうか。聖女とロザリアの間に不穏な空気が流れ始めたとき、もっと注意しておくべきだったのではないか。
二人をできるだけ関わらせないようにしていれば。ロザリアの話をもっと聞いていれば。もっと彼女に寄り添っていれば。そうすれば、何かが変わっていたのだろうか。
――自分は、どうすればよかったのだろう。
リリアーナは何かあるたびに自分のもとへやって来た。何度注意しても名前で呼ぶことをやめず、何度距離を置くよう告げても気がつけば自分の隣にいる。そのたびに自分は注意してきた。聖女として、貴族令嬢として相応しい振る舞いをするように。婚約者のいる自分に必要以上に近付かないように。そう、告げてきた。そしてそのどれもを聞き入れてもらえなかった。
そのことをロザリアが気にしていることは知っていた。だからこそ、これ以上関わるなと告げた。ロザリアの評判をこれ以上傷つけてほしくなかったからだ。
――それでも、足りなかった。
もっと早く気づくべきだったのか。それとも、もっとロザリアの側にいるべきだったのか。考えても答えは出なかった。
幼い頃からいつか彼女と家族になるのだと思っていた。女性として愛せるかどうかは、今でも分からない。けれどロザリアと共に過ごす時間は穏やかだった。自分の家族になってくれる人として、大切にしたいと思っていた。その未来が、今、目の前で途切れてしまった。
「……なぜ、こんなことに」
小さく呟く。
それ以上の言葉は出てこなかった。悲しいのか。悔しいのか。それとも自分自身を責めているのか。アレクシス自身にも、もう分からない。
ただ一つ、分かっていることは。
――ロザリアと家族になる未来は、もう、存在しなくなってしまった。
そのことだけは分かっていた。そしてこれを報告しないわけにはいかない。アレクシスは過去視で見たものを皇帝へ報告する。それを聞いた父は、明らかに怒っていた。ロザリアに対して向けられた怒り。そしておそらく、自分にも。
――自分の婚約者すら制御できないのか。
そんな言葉が、父の表情から聞こえてくるようだった。けれど今はそれだけを気にしている場合ではない。
過去視の魔法で見たものを、証拠として認められるようにしなければならなかった。アレクシスが見たものをただの夢や幻ではないと証明する必要がある。そのためにアレクシスは大聖堂へと連絡を取り、教皇への面会を求めた。
そして大聖堂側と予定を合わせた結果、どうしても時間を取れるのが卒業パーティーの時間と重なってしまう。それ以外日程が合わなかった。
「……そうか」
仕方がない。そう思うしかなかった。
ロザリアには欠席することを伝えなければならない。そのことを伝えるために手紙を書く。手紙を書きながら、ふと筆が止まった。
――これが、最後になるのだろうか。
卒業パーティー。
本来なら婚約者として彼女の隣に立つはずだった。幼い頃から、いつかそんな日が来るのだと思っていた。ロザリアと共に学園を卒業して、その先で夫婦になって、家族となる。そんな未来を当たり前のように思い描いていた。けれど、その未来はもうない。
それでも。
最後になるかもしれないのなら、せめて彼女には贈り物をしたかった。
卒業パーティーに着るドレスはすでに贈っている。ドレスに合う宝飾品も送っていた。けれど追加で宝飾品をもう一つ贈ることにした。ロザリアによく似合うものを。それから謝罪の手紙と花束も添えた。婚約者でありながら、卒業パーティーに共に出席できないことへの詫び。それだけを書いた。
贈り物を届けるよう侍従に命じたあと、アレクシスは一人、静かに息を吐く。
――これが最後の贈り物になるのかもしれない。
そう思うと、胸の奥が痛んだ。
「……ロザリア」
小さく名前を呼ぶ。返事があるはずもない。
それでもアレクシスは、しばらくその名前を口にしたまま動けずにいた。
そして、卒業式の日がやってきた。
卒業式には出席する。けれどその後に行われる卒業パーティーには出席しない。それはもう、決まっていた話だ。
式が終わったあと、アレクシスはロザリアのもとへ向かう。
「ロザリア。……改めて、すまない」
卒業パーティーを欠席することを直接詫びる。するとロザリアは穏やかに答えた。
「きちんと連絡をくださいましたし、贈り物も頂きました。公務でしたら、仕方のないことですわ」
責める様子はない。だからこそ胸が痛んだ。彼女は何も知らない。自分が何を調べているのかも、この先、二人の間に何が起こるのかも。
「……そうか。ありがとう」
それだけを告げる。それ以上、何も言うことはできなかった。
卒業式が終われば、本来ならばこのままロザリアと共に卒業パーティーへ向かうはずだった。けれどアレクシスは一人、学園を後にする。胸の奥には、言葉にできない罪悪感を抱えたまま。
――すまない、ロザリア。
心の中で、そう呟く。
まずは過去視の魔法によって得た情報を、正式な証拠として扱えるようにしなければならない。そのために大聖堂へ向かうのだ。
事前に教皇との面会を予約していたため、大聖堂には案内役が待機していた。案内されて部屋へ入ると、そこにはすでに教皇が待っている。アレクシスの希望通り、室内には二人以外の者はいない。教皇との面会は、二人きりで行われることになっていた。
「教皇猊下。お願いがございます」
「何でしょうか、皇太子殿下」
アレクシスは、慎重に言葉を選ぶ。
「私は、過去視の魔法を使うことができます」
アレクシスの言葉を聞き、教皇の表情が僅かに変わる。けれど言葉を挟むことなく、静かに続きを促した。
「この力を使い、今回の聖女暗殺未遂の事件について調査をしました。そこで得た情報が、真実であることを証明していただきたいのです」
「……虚偽判定を、ということですか」
「はい」
アレクシスは頷く。そして、もう一つ。
「それと、過去視の魔法のことは秘密にしていただきたい」
過去視の魔法を使えることを知られるわけにはいかない。その力が知られれば、今後どのようなことに利用されるか分からないからだ。さすがに皇帝には告げなければならなかった為、告げている。しかし、安易に他に漏らしていい魔法ではないとアレクシスは考えていた。
「承知しました」
教皇は迷うことなく頷いた。
神聖ルミナリア帝国の皇族は、創生神である愛の女神に選ばれし初代勇者と聖女の血を引く者たち。そして、その皇族からの正式な依頼である。
教皇はアレクシスの話を受け入れ、虚偽判定を行った。アレクシスが過去視で見たものを述べ、それが偽りでないか、捏造や妄想でないかの判定だ。結果として、アレクシスが過去視によって得た情報に偽りがないことが確認された。その証明として、教皇は宣誓書を作成する。教皇自らが作成した宣誓書だ。これ以上ないほどの証拠となる。
これでようやく、過去視によって得た情報を正式な証拠として提出することができるようになった。アレクシスは胸の内に残っていた僅かな不安を押し殺すように息を吐く。
これで先へ進める。その先に待っているのはロザリアとの別れだとしても。それでもアレクシスは前に進むしかないのだ。
しかし皇城へ戻ったアレクシスを待っていたのは、思いもよらない事態だった。
側近候補たちが、婚約破棄を宣言したという。
自分の婚約を。皇太子アレクシス・ルミナリアと婚約者であるロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢との婚約を、側近候補たちが勝手に破棄すると告げたらしい。
「………………」
正直なところ、意味が分からなかった。
なぜ彼らが自分の婚約を勝手に破棄すると宣言したのか。そもそも婚約を破棄するかどうかを決めるのは皇帝だ。アレクシス本人でさえ、その権限はない。それなのに皇太子である自分にさえ何の相談もなく、婚約者であるロザリアへと告げた。
一体、何を考えているのだろう。本当に頭が痛かった。
けれど、今はそれについて考えている余裕もない。まずは事件についての経過を皇帝へ報告することにした。
教皇に作成してもらった、過去視によって得られた情報に虚偽がないことを証明する宣誓書を提出する。それを受けて、ロザリアは今回の事件について正式に裁判にかけられることとなった。
その報告を終えたあと、アレクシスは側近候補たちは貴族牢へ。聖女も貴人牢へ入れられているという話を聞かされた。どうやら婚約破棄の件は冗談ではなかったらしい。
「……そうですか」
それだけを返す。本当ならば聞かなかったことにしたかった。けれどそういうわけにもいかない。そして皇城へ連れてこられたロザリアもまた、貴人牢へ入れられたと聞かされる。
……そのことについては、胸が痛む。しかし罪を犯してしまったのはロザリアだ。自分が彼女を大切に思っていたとしても、犯した罪をなかったことにはできない。助けたい。そう思っても、助けることはできない。そのことを、アレクシス自身が一番よく分かっている。
「………………」
アレクシスはただ拳を強く握り締める。何もできない自分が、ひどく無力に思えた。
しばらくは事件の後始末や裁判の準備で妹のもとへ行くことも難しくなるだろう。そう考えたアレクシスは、そばにいた侍従へ使いを頼む。
「妹のところへ、毎朝花を届けてくれるように手配をしてほしい」
「かしこまりました」
そう告げて、アレクシスは小さく息を吐く。
自分が行けない間も寂しい思いをさせたくない。だからせめて、花だけでも妹に届けてあげたかった。今の自分にできることは、それくらいしかなかったから。




