③
聖女としての力に目覚めてから、リリアーナは数年間を教会で過ごした。
力を正しく使えるようになるまで学園へ通うことは許されなかったのだ。祈りの作法を学び、聖なる力を使った治癒の訓練を受け、時には教会の人に付き添って小さな町へ赴くこともあった。
聖女として必要な知識や力を身につけるための、大切な時間だったのだろう。
それは分かる。
けれど、リリアーナとしては。
「学校に行かせてよー!」
何度そう訴えたことか分からない。
聖女としての力を持っていることは嬉しかった。自分が特別な存在なのだと証明されたようで、誇らしくもある。けれど、リリアーナだって普通の学生生活を送りたかった。友達を作って、学園で授業を受けて。
そして何より。
攻略対象者たちと出会いたい。
それを一番の楽しみにしていたのに! そう思ったのは一度や二度ではない。
そしてそんな願いが叶ったのは、聖女としての力をある程度使いこなせるようになってからだった。しかもリリアーナと同じ年の生徒たちはすでに最終学年を迎えていた。結果としてりリアーナは、入学ではなく最終学年への編入という形で学園へ通うことになったのである。
「もう! 教会のせいで入学から始められなかったじゃん!」
学園へ向かう馬車の中で、リリアーナは頬を膨らませる。
それでも最終学年には間に合ったのだから、と自分自身に言い聞かせた。それに、今日から始まる学園生活を思えば不満はすぐに吹き飛んだ。何しろここは、貴族たちが通う帝立学園。前世で読んだ物語や遊んだ乙女ゲームの舞台といえば、こういう学園と相場が決まっている。きっとここから、素敵な恋が始まるのだ。そう思うだけで胸が高鳴った。
学園へ到着するなりお付きの女官が「まずは学園長へご挨拶に」というので、リリアーナは学園長室へ案内されることになる。
「失礼します」
緊張しながら扉を開く。
けれど、室内にいた人物を目にした瞬間。
「……え?」
リリアーナは目を見開く。
学園長と思しき壮年男性の隣に立っていたのは、一人の青年だった。
金色の髪。
澄んだ青い瞳。
整った顔立ちに、滲み出る気品。
凛々しさの中に息を呑むほどの美しさを宿したその姿は、まるで現実のものとは思えなかった。
誰が見ても、一目で高貴な身分だと分かる青年だ。
その青年を見た瞬間、リリアーナの心臓が大きく跳ねる。
「こちらの御方は、アレクシス・ルミナリア皇太子殿下でいらっしゃいます」
私が学園長ですと自己紹介をした後に、青年を紹介される。
その名を聞いた途端、リリアーナの顔には自然と笑みが浮かんだ。
――きっと攻略対象者だ。
そう思った。
しかも、皇太子だ。乙女ゲームの世界なら、間違いなくメイン攻略対象だろう。そんな人物がまさか編入初日に自分の目の前に現れるなんて。これこそヒロインである証に違いない。
リリアーナは胸を高鳴らせながら、皇太子を見つめた。
「初めまして、ベルナール嬢。皇帝陛下の命により、君の世話役を頼まれている。困ったことがあったら、頼って欲しい」
アレクシスが穏やかに微笑む。
その笑顔を見た瞬間、リリアーナは確信した。
皇太子が、自分の運命の人である、と。
◇
学園長室での挨拶を終えると、アレクシスはリリアーナを連れて校舎の中を歩き始めた。
「まずは、私の側近候補たちを紹介しよう」
「はい!」
思わず弾んだ声が出た。
言われなくても分かっている。この先にいるのは、乙女ゲームならば攻略対象となる男たちに違いない。そう考え、わくわくした気持ちでアレクシスに付いて行く。
そして案内された部屋には四人の青年が待っていた。
「彼らが私の側近候補だ」
アレクシスの紹介に合わせ、四人が順番に名乗っていく。
「私は宰相を父に持つ、セドリック・ハートフォードです。勉強の事などで分からないことがあれば聞いてください」
「俺は騎士団長の親父がいる、ルーカス・ウォルターズだ! 勉強は役に立てないが、それ以外で何かあったら言ってくれ!」
「僕は魔導士団長の息子のルシアン・クロフォードだよ。魔法のことならなんでも聞いてね!」
「私は大司教を父に持つエドワード・ハミルトンと申します。聖女様に置かれましては、お困りのことがあれば何でもお申しつけください」
リリアーナは内心で歓声を上げた。
――攻略対象者が勢ぞろいじゃん! それに全員タイプの違うイケメン!
しかもリリアーナもそうだが、四人全員が見事にカラフルな髪と瞳の色をしている。これはもう、乙女ゲームの世界に違いない。
前世で遊んだ乙女ゲームでは、こういう場面では攻略対象者たちと出会い、少しずつ距離を縮めていくものだった。これから自分も、そんな素敵な学園生活が待っているに違いない。そう思うと頬が緩んでいく。
「彼女が今日から編入する聖女リリアーナ・ベルナール嬢だ」
「よろしくお願いします!」
アレクシスの紹介に合わせ、勢いよくお辞儀をする。そしてお辞儀をしたら、一瞬だけ間が空いた。
あれ? と思ったが、一拍置いてから四人が挨拶を返してくれる。そのことに内心首を傾げつつ、まあ、気のせいだよねと思うことにした。
だってこれは、間違いなく物語の始まりだ。これからリリアーナには素敵な学園生活が待っている。
そう確信していたから、小さなことは気にしないことにした。
◇
それから数日後。
リリアーナは改めて一人の令嬢を紹介された。
「ベルナール嬢。こちらが私の婚約者、ロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢だ」
「初めまして、ベルナール嬢」
そう言って微笑んだのは、美しい赤髪と紫色の瞳を持つ令嬢だった。その立ち姿に隙はなく、見るからに高貴な雰囲気を纏っている。
――なるほど、これが悪役令嬢ね!
乙女ゲームといえば、主人公のライバルは恋路を邪魔する傲慢な令嬢と相場が決まっている。実際、ロザリアも釣り目の美女で、見るからに気が強そうだ。
「アレクシス様より、ベルナール嬢のことは伺っておりますわ。聖女として学園へ編入されることになったのでしょう? これから大変でしょうけれど、早く馴染めるよう祈っておりますわ」
「ありがとうございます」
ロザリアが穏やかに微笑んでリリアーナに告げる。それに笑顔で礼を告げれば、にこりと笑みが返って来た。……なにを考えているのか、まったく分からない笑顔だった。
今のところ嫌な感じはしない。むしろ親切な令嬢に見える。けれど、リリアーナの直感が告げていた。これはアレクシスがいるからだと。この場にアレクシスがいるから親切を装っているだけで、きっとリリアーナと二人きりになったら悪役令嬢としての本性を現すに違いない。
そんなことを考えていると、ロザリアがふとアレクシスに視線を向けた。
「アレクシス様、本日はこの後もご予定がおありでしょう?」
「ああ。皇帝陛下から任された仕事がある」
「まあ。それでしたら、あまりお引き止めしてはいけませんわね」
ロザリアはそう言って控えめに微笑む。アレクシスも穏やかに笑いながら礼を告げ、そうしてこの場はお開きとなった。
一見皇太子に配慮したように見せて、アレクシスとリリアーナの時間を奪う。
なるほど、やっぱり悪役令嬢に違いないと、リリアーナは一人納得した。
◇
学園生活はリリアーナにとって夢のような日々だった。
最初こそ、側近候補の四人は皆「ベルナール嬢」と呼んでいた。けれど、日々を過ごすうちに少しずつ距離は縮まっていった。
セドリックには勉強を教えてもらう。素直に「セドリック様、すごーい!」と褒めれば、セドリックの頬は淡く色付いた。
ルーカスには騎士団の訓練について話を聞かせてもらった。大変そう、すごい、尊敬しちゃう。そんな風に言えば、ルーカスはドヤ顔で「俺が守ってやるからな!」と言ってくれるようになった。
ルシアンとは魔法について語り合い、聖女の治癒魔法を見せたり、ルシアンと一緒に魔法の訓練をしたりすることで距離が近付いた。いつだったか、「こんなに魔法の話に付き合ってくれるの君だけだよ!」と目をキラキラさせて笑っていた。笑顔が可愛かった。
エドワードとは教会で過ごした頃の話や、休みの日に一緒に奉仕活動をしていたら自然な笑顔を見せてくれるようになった。「貴女と一緒にいると、素の自分でいられるのです」と嬉しそうに笑っていた。
こんな風に、一緒に過ごす時間が増えていくにつれ、四人の態度も少しずつ変わっていった。
最初はどこかよそよそしかった彼らも、いつしかリリアーナに本当の笑顔を向けてくれるようになったのだ。
そして、ある日。
「リリアーナ、これなら分かりやすいと思いますよ」
セドリックがそう呼んだ。
「リリアーナ、今度騎士団の訓練を見に来るか?」
ルーカスも。
「リリアーナ、この魔法すごく面白いんだよ!」
ルシアンも。
「リリアーナ、お加減はいかがですか?」
エドワードまで。
いつの間にか、四人は皆、リリアーナのことを名前で呼ぶようになっていた。その度に、リリアーナの胸は高鳴った。
――そうよ。これよ、これ!
前世で読んだ恋愛小説や乙女ゲームでも、最初は「〇〇嬢」だった攻略対象者が、親しくなるにつれて名前を呼ぶようになる。
それはつまり、攻略対象者との距離が縮まった証なのだ。
そして気付けば、四人ともリリアーナのことを特別扱いするようになっていた。
勉強で分からないところがあれば、セドリックがすぐに教えてくれる。
廊下で重い荷物を持っていれば、ルーカスが何も言わずに運んでくれる。
新しい魔法を覚えれば、ルシアンが自分のことのように喜んでくれる。
少し疲れた様子を見せれば、エドワードがすぐに気遣ってくれる。
誰もが優しい。
誰もが自分を大切にしてくれる。
けれど、ふと思った。
「……皆、チョロくない?」
もう少しくらい、苦労するものではないのだろうか。思わずそう首を傾げてしまうくらいには、チョロかった。もっと何度も話しかけたり、困難を乗り越えたり、恋のライバルと争ったり。そういうものがあると思っていたのに、気付けば四人ともすっかりリリアーナに心を許している。
けれど、まあ。
「……ま、いっか!」
だってリリアーナは聖女なのだ。それに美少女である。そんな自分が好かれるのは、当然のことなのかもしれない。何より、ここは物語の世界で、自分はヒロインだ。そう思えば、何もおかしいことではないのだろう。
けれど、皇太子であるアレクシスだけは、相変わらずリリアーナを「ベルナール嬢」と呼んでいた。だけどそれもリリアーナにとっては些細なことだった。
アレクシスは皇太子という立場がある。だから、きっと名前で呼べない事情でもあるのだろう。そう都合よく解釈して、リリアーナは気にしないことにした。
何しろ、物語は順調に進んでいる。
けれど、ここで一つだけ気を付けなければならないことがあった。恋愛小説や乙女ゲームを数えきれないほど読んだりプレイしてきた自分には分かっていた。
――ハーレムエンドを、狙ってはいけない。
そのことを、リリアーナは知っている。
複数の男性から愛されるなんて、物語の中ではとても魅力的に見えるだろう。自分だって狙えるものなら狙いたい。けれど、そんな欲張りなことをしたヒロインは、大抵ろくな目に遭わないのだ。
婚約者に浮気を疑われたり、攻略対象同士が争ったり、悪役令嬢に足を引っ張られたり。最後には誰からも見放されてしまう話だって、いくらでも読んできた。
「うん。だからハーレムエンドは狙わないわ」
リリアーナはそう固く決意する。
欲張ってはいけない。狙うのは一人だけ。
「皇太子殿下ルート。それ一本でいくわ!」
何より、皇太子殿下ならば最高だ。帝国の皇太子なのだから、結婚できれば一生裕福な暮らしができる。しかもリリアーナは聖女なのだから、きっと皇太子も自分を選んでくれるはず。必ずそうしてみせる。
ハッピーエンドになれると、リリアーナは信じていた。




