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【完結保証】女神の愛し子はだぁれ?  作者: 月瀬小春
第三章 本物の聖女の話

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2回目の人生 ⑤

アリアンヌ視点の話です。


 アリアンヌが皇帝に即位すると、兄は皇帝の執務室付きの文官として仕えることになった。そこには、すでにアシュフォード伯もいる。

 侍女長はヘレネに。護衛騎士はデイルに。そこだけは、何があっても変えなかった。

 アリアンヌは皇女宮から皇帝宮へと居を移し、兄と相談しながら、必要な人員を整えていく。兄の専属医だった医師には、今度は皇帝となったアリアンヌの専属医になってもらうよう頼んだ。かつての皇帝の息のかかった医師は信用できないため、別の施設へと移ってもらう。

 こうして、アリアンヌの新しい生活が始まった。


 戦争の傷跡が残る国を、どうにか立て直さなければならない。

 兄とアシュフォード伯は日々、頭を突き合わせては復興のための政策を考えていた。そうして立案された案をアシュフォード伯が宰相室へ持っていき、議会にかける。そこで決められた政策を、皇帝であるアリアンヌが最終的に承認する。

 それが、表向きの流れだった。

 実際には、身体の弱いアリアンヌは度々寝込んでいた。人前に出ることすら難しいほど体調を崩すこともあり、そんな時にはアシュフォード伯に皇帝の代理を務めてもらっている。

 案はすべて持ち帰ってから皇帝であるアリアンヌが検討すると言う建前で、兄に政策を任せていた。実際に政策を考え、国を動かしていたのは兄だった。

 起き上がることもできないアリアンヌに、兄は辛そうな、悲しそうな表情をする。

 そして。


「……傍にいてやれなくて、すまない」


 そう告げては、執務へと戻っていく。

 身体の弱い自分が情けなかった。皇帝になったというのに、自分一人では何もできない。


 そんな思いを抱えていたある日、一通の手紙が届いた。


 差出人は、隣国アストリア王国の王太子妃となったロザリアからだった。

 そこにはアストリア王国の王太子妃として、そしてかつて帝国で生まれ育った者として。帝国の復興を可能な限り支援する、と記されていた。


 ――いまさら、何を。


 手紙を読んだ瞬間、胸の奥から怒りが湧き上がる。


 ――お兄様を罠に嵌めて、殺したくせに。


 アリアンヌから大好きな兄を奪うきっかけとなった女が、何をいまさら。もとを正せば、戦争の発端となったのはロザリアのせいなのに。今更善人ぶって、何のつもりだというのだろう。

 そう、ひねくれた考えを持ってしまう。


 そんなふうに、怒りが湧いてしまう自分は、おかしいのだろうか。いけないのだろうか?


 兄を救うことに成功はした。けれど、それだって絶対に助けられると決まっていたわけではない。女神様の慈悲と導きにより、兄は奇跡的に助かっただけなのだ。


 もし、間に合わなかったら。


 もし、あの時あと少しでも遅れていたら。


 そう考えあると、今でも恐ろしくなる。

 ロザリアの手紙を読んで、悔しさや、怒りや、悲しみ。そして、当時の兄を失うかもしれない恐怖も蘇ってきて、感情がぐちゃぐちゃになってしまう。感情にひっぱられるようにして、熱が上がる自分の身体も忌々しかった。

 自分の様子がおかしいことに気づいたヘレネが、慌てて兄を呼んでしまう。涙の止まらない自分に、兄は心配そうな表情をする。


「アリア、どうしたんだい?」


 優しく問われるそれに、一瞬、手紙を隠してしまおうかと思った。ロザリアは、かつて兄の婚約者だった。裏切られたとはいえ、もし兄が今でも彼女のことを思っていたら……。そんな考えが頭をよぎる。

 けれど、自分は今やこの国の皇帝だ。ならば、隣国アストリア王国の王太子妃が、帝国への支援を申し出てきた手紙を隠すわけにはいかない。理性がそう告げていた。

 震える手で、アリアンヌは兄へ手紙を差し出す。


「……こちらを」

「これは……?」


 困惑した表情で手紙を受け取った兄が、その内容に目を通す。そして最後まで読み終えると、兄は何も言わず、アリアンヌの頭を優しく撫でた。


「すまない。……読んで気持ちのいいものではなかっただろう」

「お兄様が謝る必要など、ありません」


 そう言っても、兄は申し訳なさそうに視線を伏せる。その姿を見て、胸の奥がまた痛んだ。やはり、ロザリアのことが許せない。そう思ってしまう。


「……この手紙はもらってもいいかい?」

「どうぞ、役立ててください」


 アリアンヌはきっぱりと告げて、頷く。


「ありがとう。そう判断してくれて、助かったよ」


 穏やかに笑いながら、兄はアリアンヌの涙を拭ってくれる。その手に擦り寄るように頬をよせれば、「甘えん坊だね」と再び笑いながら頭を撫でてくれた。

 その後。

 

「そうだな……」


 そう呟いた兄は、手紙へと視線を落とす。

 そして、ふっと、その表情から温度が消えた。


「……あちらから支援を申し出たんだ。むしり取れるところまで、むしり取ってやろう」


 そう告げた兄の顔は、見たことがないほど冷たいものだった。

 けれど、その直後。


「アリア。また熱が高くなっている」


 兄はいつもの優しい表情へと戻っていた。


「後のことは任せて、しっかり休むんだよ」


 そう言って、ヘレネを呼ぶ。


「ヘレネ。もう一度、医師に診てもらうように。熱が高くなっている」

「かしこまりました」


 兄はそれだけ告げると、部屋を出ていく。

 そして、去り際に振り返って。


「お休み、アリア」


 そう言って笑う。その笑顔は、優しい、いつもの兄の表情だった。

 兄は、ロザリアのことをどう思っているのだろう。アリアンヌには分からない。けれど、もしかしたら、これは自分が手を出さない方がいい領分なのかもしれない。ならば、あの手紙ごと兄に任せよう。

 乱れる感情を少しずつ宥めながら、アリアンヌはそう思うことにした。


 

 ◇



 それから、アリアンヌは寝込むことがさらに増えていった。次第に起きていられる日も少なくなり、執務のほとんどを兄に任せきりになってしまう。

 そんなある日、アシュフォード伯から面会を求められた。

 近頃は体調を崩していることが多く、アシュフォード伯にはほとんどの場で代理を務めてもらっている。いったい何の用だろうと思いながらも、申し訳ないことにベッドから起き上がることができず、そのまま話を聞くことにした。

 けれど、そこでアシュフォード伯から告げられたのは、思いもよらないものだった。


 どうやら、皇帝であるアリアンヌがアシュフォード伯爵の傀儡と化しているのではないか。

 

 そういう噂が出ているらしい。そんなことはない、と否定するのは簡単だ。けれど、アリアンヌがあまりにも人前に姿を見せないため、その噂にも信憑性が生まれてしまっているという。中には、すでにアリアンヌは亡くなっているのではないかなどという噂まで流れているらしい。

 兄もこの事態をどうにかしようと動いているようだが、兄自身が動ける範囲には限界がある。


 つまりは、アリアンヌに、家臣たちの前へ姿を見せて欲しい。


 アシュフォード伯が言いたいのは、そういうことなのだろう。アリアンヌは、一瞬だけ兄に相談するか迷った。

 けれど、すぐにその考えを打ち消す。


「分かりました。二日後の議会に、出席します」


 そう告げると、アシュフォード伯は真っ青な顔をして深く頭を下げる。


「……かしこまりました」


 臣下の礼を取ったまま、アシュフォード伯は苦しそうに言葉を続けた。


「このようなことを申し上げましたこと、誠に申し訳ございません。お叱りはいかなる処分もお受けいたします」


 そう言って、アシュフォード伯は退室していった。

 きっとあれは、皇帝であるアリアンヌと、兄に向けた言葉なのだろう。しかし、アシュフォード伯には無理ばかりを押し付けてしまっている。申し訳ない気持ちはあれど、処分などする必要はないのに。アリアンヌはそう考えていた。

 お飾りの皇帝でさえ、満足に務めることができない。自分の身体が弱いばかりに、あちこちに迷惑をかけてしまっている。そのことが、とても辛かった。


 その後、兄に二日後の議会へ出席することを告げる。すると、兄はすぐさま反対した。


「そんな必要はない、アリア」


 いつになく必死な兄に、アリアンヌは首を横に振る。


「いいえ。こればかりは譲れません」


 そう言って、二日後に議題に上がる政策について、事細かに教えてほしいと頼み込んだ。


「お兄様。お飾りとはいえ、皇帝はわたくしです。ならば、これ以上、臣下に好き勝手を言わせるのは、よくないのではないでしょうか」


 そう告げると、兄は辛そうに視線を伏せた。ぐっと握り締められた掌が震えている。アリアンヌはその掌に、そっと手を添えた。すると、兄はゆっくりと顔を上げる。

 そして、一度、深く息を吸って。


「……分かった」


 そう、静かに告げた。

 けれど、その表情は、ひどく辛そうだった。



 それから、二日後。


 アリアンヌはヘレネに無理を言って、少しでも人前に出られるように化粧を施してもらった。

 そしてヘレネに寄りかかるようにして支えてもらいながら、何とか議場まで辿り着く。本当ならば、デイルに運んでもらった方が身体は楽だった。けれど、退出するときならまだしも、入場するときから護衛騎士に抱き上げられているのでは、皇帝として格好がつかない。

 それくらいのことは、アリアンヌにも分かっていた。だから、自分の足で歩いて議場へ入る。


「皇帝陛下、ご入場です」


 アリアンヌの入室が告げられる。

 扉をくぐった瞬間、議場がしんと静まり返った。誰もが驚いているのが分かる。それも当然だろう。何せ、アリアンヌは皇帝となったときとは比べものにならないほど、痩せ細っているのだから。

 頬はこけ、腕も指も、身体全体がほとんど骨と皮だけになっている。顔色はヘレネが化粧で整えてくれたけれど、それでも病人であることは隠しきれなかった。何せ鏡を見た自分がそう思ったのだから、間違いない。

 けれど、ここで怯んでいるわけにはいかなかった。


「わたくしが入室したというのに、礼の一つも取らないとは。いつからこの国は、身分制度を廃したのですか?」


 静かな声で告げると、議員たちははっと我に返り、慌てて臣下の礼を取る。最初からアリアンヌに礼を取っていたのは、アシュフォード伯爵、一人だけだった。


「……よろしい。議会を始めてください」


 一通りの挨拶を受け、アリアンヌはそう告げた。

 それからは、兄に教えられた通りの手順で議会が進んでいく。

 これまでなら、アシュフォード伯が受け答えしていたであろう政策についても、今日はアリアンヌ自身が説明し、質問にも答えていく。

 途中で声が掠れれば、すぐにヘレネが水を差し出してくれた。咳が出れば、背中をそっとさすってくれる。そうやって、何とか与えられた役目を果たしていく。

 けれど、アリアンヌの役目はそれだけでは終わらない。


「質問があるなら、受け付けましょう」


 そう告げれば、一人の議員が手を挙げた。質問というより、ただの難癖だった。

 それに答えれば、今度は別の議員から質問が飛んでくる。先ほどよりはまともだったが、それでも中身のあるものとは言い難い。

 そんなやり取りを続けているうちに、咳が止まらなくなった。


「陛下……」


 ヘレネが心配そうに声を掛ける。


「大丈夫です」


 そう答え、アリアンヌは議員たちへ視線を戻した。


「続きを」


 やがて議会が中盤に差し掛かる頃には、呼吸をするたびに胸の奥からひゅうひゅうと不吉な音が聞こえるようになっていた。それでも、アリアンヌは席を立たなかった。何とか最後まで、皇帝としての務めを果たす。

 そして、ようやく議会が終わった。

 退場しようと立ち上がった瞬間、身体が大きくふらついた。


「陛下!」


 慌ててヘレネが身体を支えてくれる。

 正直なところ、もう立っているだけで精一杯だった。

 そんなアリアンヌに、声が掛けられた。


「陛下。このたびは、ご無理を申し上げてしまい、誠に申し訳ございませんでした」


 そう言って臣下の礼を取ったのは、一人や二人ではなかった。議場にいたほとんどの者が、アリアンヌへ頭を下げている。


「構いません。これまで皆の前に姿を現さなかったのは、わたくしの落ち度でもあります」


 息を整えながら、アリアンヌは告げる。


「これからは、身体を起こせるときには、できる限り議会にも出席することにいたしましょう」

「陛下!」


 思わず、といった様子でヘレネが声を上げる。

 けれど、アリアンヌはそれを視線で制した。


「陛下、それではお身体に障ります。……我々は、今まで通りでも――」


 宰相が苦しそうに告げる。

 けれど、アリアンヌは静かに首を横に振った。


「なりません」


 自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。


「わたくしは、この国の皇帝です。あなた方は、わたくしの臣下でもあります。ならば、臣下を不安にさせないよう努めることも、わたくしの務めでしょう」

「ですが……」

「お兄様なら――」


 その言葉に、議場が静まり返る。


「アレクシス・ルミナリアなら、きっとそうしたでしょう」


 アリアンヌは兄の姿を思い浮かべる。


「あの方は、たとえご自身が病に倒れたとしても、最後まで臣民のために尽くされたに違いありません。そういう方でした。わたくしは……、あの方に誇れる皇帝でありたいのです」


 たとえ兄が生きていて、自分のすぐそばにいてくれるとしても。

 それでも、よく頑張ったと、兄に褒めてもらえるような皇帝でありたかった。

 お飾りならお飾りの皇帝らしく。兄が考えてくれた政策が通るよう、円滑に議会が進むように。それくらいのことは、したかった。


「……陛下」


 誰かが、呟くように名前を呼ぶ。

 しんと静まり返った議場に、アリアンヌの咳の音が響く。

 その音に、皆がはっとしたように顔を上げる。


「どうか、お大事になさってください」

「すべては、陛下の御心のままに」


 そう告げて頭を下げる臣下たちに、アリアンヌは小さく頷いた。


「……ありがとう」


 それだけを告げて、議場を後にする。

 そして――。


 議場の扉を一歩出た瞬間、身体から力が抜けた。


「陛下!」


 崩れ落ちる身体を抱き止めたのは、背後で護衛をしていたデイルだった。


「お身体をお運びしてもよろしいでしょうか」


 デイルの声が聞こえる。


「……許します」


 それだけを告げるのが精一杯だった。

 その後のことは、よく覚えていない。アリアンヌは、そのまま意識を失った。


 次に目を覚ましたときには、――二日が経っていた。


 その間、夢を見ていたような気がする。

 兄が、アリアンヌの手を握っていた。

 そして、……泣いていた。ような、気がする。

 けれど、それが本当に夢だったのか。


 ……アリアンヌには、分からなかった。



 ◇



 アリアンヌは兄やヘレネが止めるのも聞かず、度々議会に出席するようにした。

 そんな日々が続く中、アリアンヌの知らないところで一つの動きがあった。宰相とアシュフォード伯を中心に、議会の重臣たちが大公のもとへと使者を送ったのである。

 内容は至って簡潔だった。


 ――大公殿下には、一日も早く療養を終え、皇城へお戻りいただきたい。


 戦争で負った傷は、未だ完治していない。それは皆、承知している。けれど、現在の皇帝は、まだ幼い少女なのだ。しかも、その身体は生来弱く、皇帝として公務をこなすだけでもたびたび体調を崩している。三、四週間に一度の議会出席ですら、途中で咳が止まらなくなり、退席を余儀なくされるほどだ。しかも聞くところによれば、議会に出席したあと、数日は寝込んでいるという。

 そんな皇帝に、これ以上の負担を背負わせるわけにはいかない。


 ならば。


「……大公殿下には、そろそろお戻りいただきたいものですな」


 宰相が重々しく告げる。


「まったくです。皇帝陛下があのような御身体で政務を執られているというのに、いつまで療養されているおつもりなのか」


 アシュフォード伯も、珍しく険しい顔で同意した。


「いや、しかし大公殿下も戦場で負傷された身。そう強くは……」

「命に関わる傷ではなかったのでしょう?」

「……それは、そうですが」

「では、なおさらです」


 淡々と告げる宰相に、周囲の議員たちも頷く。誰も、大公を責めたいわけではない。戦場で負った傷を癒やすことは当然の権利だ。むしろ、十分に休んでいただきたいと誰もが思っていた。


 ――だが。


「陛下は、まだ十四歳ですぞ」


 その一言に、誰もが口を閉ざした。


「それも、ご自身の命を削るようにしてまで皇帝として務めておられる」

「……あの御方に、これ以上の負担を強いるわけにはいかないでしょう」

「大公殿下には、少々ご無理をお願いすることになりましょうが……」


 そこまで言って、宰相は深く息を吐いた。


「こちらも、もう少し早くお戻りいただけるようお願いするしかありますまい」


 その言葉に、全員が頷いた。

 こうして、本人の知らぬところで、大公の療養は急かされることになった。皇帝であるアリアンヌが、それを知ったのはしばらく後のことだった。



 そうして、アリアンヌが皇帝になってから一年と少しが過ぎた頃。


 アリアンヌは周囲の勧めもあり、皇位を退くことになった。

 表向きの理由は、復興にある程度の道筋が立ったこと。そして、生来の身体の弱さに加え、前皇帝の実の娘として、帝国が招いた戦争の責任を取るため。

 そうした理由を掲げ、アリアンヌは叔父である大公に皇位を譲った。


 皇帝を退いた後は、アシュフォード伯も自領へ戻るという形を取り、アリアンヌもその領地へ身を寄せることになった。

 もちろん、兄も、ヘレネも、デイルもついて来てくれた。

 アシュフォード伯の好意で用意されたのは、湖のほとりに建つ別荘だった。そこでアリアンヌは、穏やかな日々を過ごしていた。

 けれど。


 アリアンヌの身体は、もうすっかり弱りきっていた。


 少しずつ起きていられる時間が短くなっていく。起きていても身体のあちこちが痛み、息をすることさえ苦しい日もあった。

 それでも、アリアンヌは幸せだった。

 大好きな兄がいる。ヘレネも、デイルも、そばにいてくれる。

 もう、命を狙われる心配をする必要もない。

 それは、とても幸せなことだった。それだけで、十分だったのだ。



 この地へ移り住んでから、まだそう日は経っていない、ある日のこと。


 その日はなんだか、身体の調子が良かった。身体も痛くないし、咳も出ない。

 だから、久しぶりにお外に出て、お日様に当たりたい。そう言ったアリアンヌの我が儘を、兄は叶えてくれた。

 兄に抱き上げてもらい、外へ出る。

 あたたかい陽の光に目を細めた。風が優しく頬を撫でていくのが心地良い。

 しばらく、そうやって陽の光と、風と大地の匂いを堪能した。


 そして、そっと、大切な人を呼ぶ。


「おにいさま」

「なんだい、アリア」


 呼びかければ、兄は優しい表情で笑ってくれる。

 アリアンヌをいつも守ってくれた人。無償の愛を注いでくれた人。この世界で、ただ一人の、アリアンヌの家族。


 その人に、いままでの感謝を込めて。囁くように、そっと告げた。


「だいすき」


 ゆっくりと、そう告げると、兄の目が潤んでいく。

 唇を震わせながら、それでも兄は笑ってくれた。


「私も、アリアが大好きだよ」


 優しく笑う兄が、好きだった。

 自分と同じ青い瞳が、自分を見つめて微笑んでいる。

 ああ、幸せだな。そう、思った。


 ――とても、幸せだった。


 その思いを抱えたまま、アリアンヌの意識は落ちて行く。

 これで、終わり。

 目を覚ますことは、もうない。



 ……そのはず、だった。






 目を開けると、見慣れた天蓋が目に入った。


 淡い色合いの布地も、その向こうにぼんやりと差し込む朝の光も、何もかもアリアンヌは覚えている。

 ここは皇女宮にある自分の寝室。

 そこでアリアンヌは目を覚ました。ゆっくりと身を起こせば、身体が少し重い。けれど、それはいつものことだった。しかし、二度目の人生の最後を迎えた時とは比べものならないほど、体調がいい。

 枕元に置かれた水差しも、窓辺に飾られた花も、壁に掛けられた肖像画も、記憶の中にあるものと何ひとつ変わっていない。


「わたくしは、また戻って来たのですか?」


 呆然としながら、アリアンヌは呟いた。

  

 こうして、話は冒頭に巻き戻る。

 アリアンヌの三度目の世界が、始まるのであった。


これでアリアンヌ編は終了です。

次から違う人物視点の話となります。

よろしければ、そちらもお付き合いくださいますと嬉しいです。

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