2回目の人生 ②
アリアンヌ視点の話です。
兄が処刑される日が来た。
アリアンヌは皇女宮を出て、兄が処刑される場所へと向かっていた。
動きやすい服に身を包み、認識阻害の魔法具を身につけている。けれど、目的の場所に辿り着く直前にその魔法具を外していた。皇族しか持たない金色の髪も、青い瞳も、そのままにして歩いて行く。それは、アリアンヌが皇女であることを隠さないためだった。
処刑場となる部屋の前まで辿り着くと、デイルが扉の前に立つ騎士へと声を掛ける。
「皇女殿下がお見えです」
「皇女殿下……?」
騎士が驚いたように目を見開く。当然だった。皇女宮からほとんど出ることのないアリアンヌが、よりにもよって兄の処刑の日に、こんな場所へ現れるなど誰が想像するだろう。
けれどアリアンヌは、そんな騎士に構わず扉の前へ進み出た。
「……兄に、最後の挨拶をさせてください」
涙を浮かべたアリアンヌが、そう告げる。
「し、しかし……」
騎士は言葉を詰まらせた。
「殿下は、もう……」
「分かっています」
震える声で、それでもアリアンヌははっきりと答えた。
「それでも、最後にお兄様にお会いしたいのです」
その言葉に、騎士は何も言えなくなった。
やがて、困惑したように扉へ視線を向ける。
「……少々、お待ちください」
騎士が扉を開く。
「皇女殿下がお見えです。皇太子殿下に、最後のご挨拶をされたいと……」
室内にいた者たちが、一斉にアリアンヌへと視線を向けた。
処刑を見届けるために集められた立会人たち。そして、アレクシスの死亡を確認している医師。
誰もが驚きに目を見開いている。
「皇女殿下……」
「……お兄様に、最後の挨拶をさせてください」
アリアンヌはもう一度、同じ言葉を繰り返した。
医師が困ったように眉を下げる。
「ですが、すでに刑は執行されております」
「承知しております」
「でしたら……」
「それでも、お願いします」
震える声で告げ、深く頭を下げる。
「わたくしに、少しだけ時間をください」
十二歳の皇女が、兄のために頭を下げている。その姿に、誰もが言葉を失った。
やがて立会人の一人が小さく息を吐く。
「……分かりました。皇女殿下に、最後のお時間を」
「ありがとうございます」
そう告げると、立会人たちは部屋を出ていく。医師もまた一礼して、その後に続いた。
扉が閉じる。
その音を聞いた瞬間、アリアンヌは小さく息を吐いた。
「……ヘレネ、デイル」
「はい」
「承知しております」
二人が頷く。
アリアンヌは寝台へと駆け寄った。
そこには、兄が横たわっていた。
「お兄様……」
頬に触れる。
冷たい。
けれど――。
「まだ、間に合います」
アリアンヌは両手を兄の身体へと添えた。
祈るように目を閉じる。
「女神様……、どうか」
聖女として授かった力が、アレクシスの身体へと流れ込んでいく。
毒に蝕まれた身体。弱り切った生命。
それでも、まだ完全に可能性がないわけではない。心臓が止まっていても、呼吸が止まっていても、それでも幼い時は兄を治すことができた。だから、まだ大丈夫。アリアンヌはそう信じている。
「お兄様をお助けください」
祈りとともに、光がアレクシスを包み込む。
やがて、アレクシスの頬に僅かだが赤みが戻って来た。
「…………っ」
アリアンヌは息を呑んだ。
「お兄様……」
掠れた声で兄を呼ぶ。
反応はない。それに呼吸も止まっている。けれど、弱々しくも心臓は動き始めていた。
それだけで涙が溢れた。
「よかった……!」
だけど、まだ安心することはできない。
アリアンヌの力だけでは、毒を完全に消し去ることはできなかった。
今はただ、兄の命を繋ぎ止めているだけ。
「デイル」
「はい」
「お願いします」
デイルが頷く。
そして、空間魔法を展開した。そこから取り出されたのは、一人の男の遺体だった。兄と体格の近い男を、事前に整形魔法でアレクシスに似せた顔にしておいたのだ。
「アリアンヌ様、ヘレネ。殿下のお召し物を変えますので……」
兄の衣服を男の遺体に急いで着せ、兄の身には別に用意していた衣服を着せる。その間、アリアンヌは男の遺体の顔を、より兄に近づけるために聖女の魔法を使った。
身体の輪郭が変わっていく。髪の色が自分たち皇族だけが持つ金へと変わり、顔立ちも少しずつ変化していく。やがてそこに横たわっていたのは、誰が見ても兄であるアレクシスにしか見えない姿だった。
兄の治療に続いて、男の遺体にも聖女の魔法を使ったことで、アリアンヌの身体が悲鳴を上げている。けれど、今は何としても、この企みを成功させなければならない。
「アリアンヌ様、殿下を……」
「ええ、お願いします」
デイルが再び空間魔法を開く。
本来、そこには生きた人間を収納することはできない。けれど今の兄は、毒によって仮死状態に近くなっている。さらに聖女の保護魔法をかけておいた。そのため、特殊な状態として空間魔法に収めることができるのだ。
「お兄様……」
アリアンヌは兄を見つめる。
「必ず、助けますから」
デイルが兄の身体を空間へと収める。
その直後、アリアンヌは横たわる遺体へと視線を向けた。金色の髪。自分のよく知る兄と同じ姿。これならば、誰も疑わない。
「……アリアンヌ様、完了いたしました」
ヘレネが小さく呟く。
「はい」
アリアンヌは頷き、デイルとヘレネを連れて扉へと向かう。
デイルが目配せをしてくるので、それに再び頷く。
そして、デイルが扉を開いた。
「お別れは、済みました。ありがとうございました」
アリアンヌは立会人たちへ頭を下げた。
「兄との最後の時間をくださった皆様に、感謝いたします」
そう告げたアリアンヌの目は真っ赤だった。目の淵も赤く腫れ上がっており痛々しい。このアリアンヌを見て、誰もが兄との別れを悲しみ、泣いていたのだろうと思うだろう。
アリアンヌは感謝を告げ、皇女宮へ戻っていく。その背中を、立会人たちは痛ましそうに見送った。
やがて扉が閉じられる。
室内に残されたのは、皇太子アレクシスの遺体だけ。誰も、その遺体が偽物だとは気付かなかった。
こうして。
皇太子アレクシスは、正式に死亡した。
部屋を出て、皇女宮へ戻る。
その途中で、アリアンヌは認識阻害の魔法具を身につけた。金色の髪も、青い瞳も、皇族であることを示すものを、今は隠さなければならない。皇帝やその側近たちに見つかれば、ただでは済まないだろうからだ。
けれど、そこまで考えたところで、アリアンヌの身体から力が抜けた。
「アリアンヌ様!」
倒れそうになった身体を、デイルが咄嗟に支える。
「……ごめんなさい、デイル」
「謝られる必要はございません」
そう言って、デイルは失礼しますと告げてから、アリアンヌを抱き上げる。
伝わる温もりに、アリアンヌは申し訳なさを覚える。
「……ヘレネ、デイル。あとは、お願いします」
「はい」
「お任せください」
「お兄様のことも……」
兄は今、デイルの空間魔法の中にいる。
まだ、完全に安心できる状態ではない。
「わたくしの力が必要になったら……、いつでも、わたくしを呼んでください」
自分の身体の事だから分かる。
……もう、限界にきている。身体の節々が痛い。あの時と、聖女の力を初めて使った時と同じ感覚がする。
ヘレネとデイルには、この計画を立てた時に自分が聖女であることを告げていた。けれど二人から返ってきたのは、「存じておりました」という言葉だった。
兄が何かあった時のためにと、二人にはすでに伝えていたらしい。
そのことを思い返し、アリアンヌは兄がどこまでも自分のことを考え、守ろうとしてくれていたのだと改めて実感した。
「承知いたしました」
ヘレネの返事を聞いて、アリアンヌは小さく頷く。
もう限界だった。
身体が重い。瞼を開けていることすら、辛かった。
「……ごめんなさい。少しだけ、休みます」
「はい。どうぞお休みください、アリアンヌ様」
優しいヘレネの声を聞きながら、アリアンヌはゆっくりと目を閉じた。
そして、そのまま意識を手放す。
次にアリアンヌが目を覚ましたのは、それから一日後のことだった。




