2回目の人生 ①
アリアンヌ視点の話です。
まず、アリアンヌはヘレネとデイルに頼み、聖女の身辺を調べてもらうことにした。
自分では皇女宮を出ることすらできない。ならば、自分の代わりに動いてくれる二人に頼るしかなかった。それと同時に、兄にもそれとなく聖女のことを尋ねてみる。
前の人生で、兄は聖女についてこう語っていた。
人の話を聞かない。何を言っても、自分に都合のいいように受け取る女性だと。ならば、それを原因として、教会へ戻せるのではないか。そう考えたアリアンヌは、兄にそれとなく聞いてみた。
「お兄様。聖女様は、教会へお戻りいただくことはできないのですか?」
すると兄は、少し困ったように眉を下げた。
「それについては、私も陛下に進言したのだけどね」
「……そうなのですか?」
「ああ。けれど聞き入れてはもらえなかったんだ」
兄は苦笑する。
それどころか。
「私の力不足ではないのか、とまで言われてしまったよ」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間、アリアンヌの胸の奥に怒りが込み上げてくる。
――どうして。
どうして兄が、そんなことを言われなければならないのだろう。
兄はちゃんと、聖女を教会へ戻すよう父へ告げていた。それなのに、聞き入れなかったのは父だったのだ。
ふと、兄の顔を見る。
「……お兄さま」
「なんだい?」
「お疲れなのではありませんか?」
以前と同じように、兄は疲れた顔をしていた。それを見るたびに、胸が痛くなる。また、兄が苦しんでいるのだと。前の人生と、同じように。
「大丈夫だよ、アリア」
兄はそう言って、優しく笑う。
その笑顔に、アリアンヌはそれ以上何も言えなくなってしまった。
――もしかして。
兄も前の人生のことを覚えているのだろうか。
前の人生でも、兄は父に聖女のことを進言していたのだろうか。
何も分からない。
けれど、もしも尋ねてみて、兄に何の記憶もなかったら。突然そんなことを言い出した自分を、どう思うだろう。もしかしたら、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。そう考えると怖かった。だから、聞くことができないでいた。
結局、アリアンヌにはどうすればいいのか分からないままだった。
ヘレネとデイルに調べてもらっている。兄にも聖女について尋ねている。それでも、これから何をすれば前の人生を変えられるのか、その答えは見つからない。
そうしているうちに、前の人生と同じように、ただ月日だけが過ぎていった。
◇
平和な日常は、ある日突然、壊れた。
前の人生よりも早く。そして、思いもよらない形で。
――アリアンヌは、兄である皇太子アレクシス・ルミナリアを失うことになった。
皇太子アレクシスと、聖女リリアーナ・ベルナールの不貞。
その噂は瞬く間に皇城内へと広がり、学園でも今はその話題で持ちきりなのだという。その話を聞かされた時、アリアンヌは真っ先に否定した。
「そんなはずありません!」
兄がそんなことをするはずがない。
それだけは、はっきりと言えた。
「アレクシス様に限って、そのようなことは絶対になさいません!」
「何かの間違いです!」
ヘレネとデイルも、アリアンヌと同じように兄を信じてくれた。二人は幼い頃のアリアンヌと兄をずっと見てきたのだ。だからこそ、兄が聖女と不貞を働くなど、到底信じられないのだろう。
「……ヘレネ、デイル」
「はい」
「今、何が起こっているのか調べてもらえますか?」
「承知いたしました」
二人に頼み、アリアンヌは情報を集めることにした。
けれど、ほどなくして届いた報告は、あまりにも最悪なものだった。兄と聖女が不貞を働いている現場を、隣国の王太子と、兄の婚約者であるロザリアが目撃したのだという。しかも、二人が目撃したという状況は、言い逃れができないほど明白なものだったらしい。
さらに隣国の王太子による追及も厳しく、こちらで詳しい調査を行おうにも、その隙すら与えられていないということだった。
「……そんな」
アリアンヌは震える手を握り締めた。
何かの間違いだ。絶対に、何かの間違いに決まっている。あの兄が、そんなことをするはずがない。けれど、証言をしたのは隣国の王太子だけではなく、兄の婚約者であるロザリアもだ。
それでもアリアンヌは、ロザリアなら兄を信じてくれるのではないかと思った。
だから、手紙を書いた。兄を擁護してほしい。何かの間違いだと伝えてほしい、と。
けれど。
返ってきた手紙に綴られていたのは、アリアンヌが望んでいた言葉ではなかった。
『アリアンヌ様には申し訳ございませんけれど、わたくしはこの目でアレクシス様と聖女様の不貞現場を見てしまったのです。もう、アレクシス様を信頼することはできません』
「…………」
手紙を握る手に力が入る。
どうして。
どうして、そんなことを言うのだろう。
あれほど兄を好いていたロザリアが。兄との婚約を、あれほど喜んでいたロザリアが。
どうして、兄を信じてくれないのだろう。
「……ヘレネ」
「はい」
「聖女様のことを再び調べてください。それと……、ロザリアお義姉さまのこともです」
「ロザリア様、ですか?」
「はい」
アリアンヌ自身、思い過ごしなのかもしれないと思う。けれど、どうしても引っかかる。以前のロザリアとは何かが違う。何が違うのかはまだ分からない。けれど、それでもアリアンヌはその違和感を無視することができなかった。
聖女との不貞騒ぎが起きてから、アリアンヌは兄と会えないでいた。兄は今、皇太子宮に軟禁されている。会えないことは寂しい。けれど、今はそれよりも先に、現状を整理しなければならなかった。
どうすれば兄を救えるのか。何が起きているのか。どうすれば、この先に待っている未来を変えられるのか。アリアンヌなりに必死に考えていた。
けれど、そんなアリアンヌを嘲笑うかのように、一つの報せが届く。
――皇太子アレクシス・ルミナリアの廃嫡。
それに伴い、ロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢との婚約を解消する。
父が、それを決定したという。
「…………」
目の前が暗くなった。
また。
また、兄を失ってしまうのか。
そんな考えが頭を過ぎった瞬間、全身から力が抜けていくようだった。
血の気が引いた顔を見て、ヘレネから休むよう告げられる。眩暈もあったので、大人しく寝台に横になることにした。
けれど、そのあと少しして、デイルから新たな報告が届く。
――兄は、無実を訴えていた。しかし聖女は、不貞の事実を認めているという。
それだけでも不可解だった。
けれど、最も驚くべき報告は、その後に続いた。
――ロザリアが学園で、隣国の王太子と密会を繰り返していた。
そして、隣国の王太子の友人として身分を偽っていた側近が、一度、聖女に接触していたという事実。
「…………」
それらを知った瞬間、アリアンヌの顔から表情が抜け落ちる。
腑に落ちた。
どうしてロザリアが兄を庇わなかったのか。
どうして兄が無実を訴え、聖女が不貞の事実を認めているのか。
そして、なぜ隣国の王太子が、激しく兄を追及していたのか。
すべてが、一本の線で繋がっていたのだ。
――ロザリアと隣国の王太子。
二人が仕組んだのだ。
兄を陥れるために。
「……お兄様」
アリアンヌは震える手を握り締めた。
ヘレネはこの事実を皇帝へ知らせるべきだと告げる。けれど、アリアンヌにはそうは思えなかった。
父は自分を憎んでいる。そんな自分がもたらした情報を、父は素直に信じるだろうか。それに、父はアリアンヌが兄に強く懐いていることを知っている。ならば、アリアンヌからもたらされた情報は、兄を助けるために捏造したものだと思うかもしれない。
そうなれば、後になって再調査を行うことになったとしても、その情報そのものが足枷になってしまう可能性がある。だからこそ、下手なことは言えなかった。
アリアンヌの名前を出さなくても、情報の出どころを探られるだろう。そして、もしそこから自分の名前に辿り着けば、結局は同じことになる。アリアンヌには人を動かせるような伝手がない。そのような力もない。誰を信用していいのかも、分からなかった。
ならば、今は動くべきではない。
兄の廃嫡が決まってしまった。それはもう、変えようがない。あとは次に、父がどのような決断を下すのか。それを知ってからでも遅くはない。アリアンヌは、そう決めた。
前の人生での兄の最期を思い出す。兄は、毒を盛られて死んでしまった。ならば、もしもの時に備えておく必要がある。同じことが起きるとは限らない。それでも、何もせずに兄を失うことだけは、もう二度としたくなかった。
「ヘレネ、デイル。お願いがあります」
「何なりとお申し付けください」
「まず、用意できる限りの毒の解毒剤を揃えてください」
「……解毒剤、ですか?」
「はい。それから……」
アリアンヌは一つずつ、必要なものを口にしていく。
今の自分でも着れる動きやすい服。歩きやすく、長時間履いていても疲れにくい靴。
そして。
「認識阻害の魔法具も、用意してください」
「承知いたしました。必ず、ご用意いたします」
「はい。お任せください」
そう答えてくれる。そのことが、何よりも力強く思えた。
そして、二人は何も聞かず、アリアンヌが願ったものをすべて用意してくれた。
それから二ヶ月後。
兄の処刑が決まった。
婚約者でもない女性。それも、世界で唯一の聖女の身を汚した罪により、毒杯を賜ることになったのだという。
「アリアンヌ様……」
ヘレネが心配そうな表情でアリアンヌを見る。けれど、アリアンヌは泣かなかった。前の人生の自分なら、ただ泣くだけしかできなかっただろう。けれど、今のアリアンヌは決めたことがある。
絶対に、兄を救って見せる。そう、決めたのだ。
「デイル」
「はっ」
「お兄様の処刑の日はいつですか?」
「……三日後とのことです」
「時間は分かりますか?」
「いえ、申し訳ございません。そこまでは……」
「どんな手段を使ってでも、調べてください。それと、執行される部屋もです」
「……かしこまりました」
強張った表情をしてデイルが頷く。その隣では、ヘレネが心配そうな表情をしてアリアンヌを見つめている。
そんな二人に向けて、アリアンヌは頭を下げた。かつて、兄が二人にしていたように。自分もまた、二人に助力を求めるために。
「ヘレネ、デイル。お願いします。お兄様を助けるために、どうかわたくしを手伝ってください」
二人を巻き込むことに、罪悪感がないわけではない。もし露見すれば、二人とも死罪に問われるだろう。それほどの大罪だ。それでもアリアンヌには二人の力が必要だった。二人の助けがなければ、兄を救うことために動くこともできない。
だから、必要なら頭くらい、いくらだって下げることができる。
「アリアンヌ様、おやめください! 貴女様が頭をお下げする必要などないのです!」
デイルの慌てた声が聞こえる。その声に、ゆっくりと顔を上げた。
顔を上げた先では、ヘレネとデイルが真剣な表情をしてアリアンヌに臣下の礼を取る。
「もとよりこの身は、アレクシス様に拾われ、アリアンヌ様をお守りするためのもの。どこまででも、お供いたします」
ヘレネが迷いなく告げる。その言葉に、デイルもまた頷く。
「私も同じです。アレクシス様より見出され、生きる希望を与えてくださいました。この命、お二人のために使うことに、何の迷いもございません」
「……ありがとう、ヘレネ。デイル」
ヘレネとデイルの言葉に、涙が浮かぶ。
父には愛されなかった。けれど、自分は兄に愛されている。そして、そばにはいつも、ヘレネとデイルがいてくれた。
アリアンヌは二人を見つめる。
――わたくしは、とても恵まれているわ。
そう思うことができた。




