2回目の人生 ④
ロザリア視点の話です。
それから数日後。
ロザリアはいつものように庭園でクロードと向かい合っていた。
あの日から何度も考えた。アレクシスのこと、帝国のこと、ァレンティア公爵家のこと。そして自分が、これからどこで生きていきたいのかということを。
「決めましたわ」
ロザリアは不敵に微笑む。
クロードの赤い瞳が僅かに細められる。
「そうか」
「ええ」
ロザリアは頷く。
「アストリア王国へ参ります」
その言葉を口にしても、不思議と後悔はなかった。
前の人生にあったものをすべて捨てると決めた。それは道筋を決められた人生だった。ならばこれから先は、自分で選んだ人生を歩けばいい。
「ですが、一つ条件がございますの」
クロードが僅かに眉を上げる。
「条件?」
「ええ」
ロザリアは穏やかな笑みを浮かべたまま告げた。
「確証が欲しいのですわ」
その言葉にクロードの眉間へ僅かに皺が寄る。
「……確証?」
「ええ」
ロザリアは真っ直ぐにクロードを見た。
「あなたが、わたくしを裏切らないという確証ですわ」
「………………」
「裏切られてからでは、遅いでしょう?」
クロードは、何も答えなかった。
「わたくしは、帝国を捨てるのです」
ヴァレンティア公爵家を。これまでの人生を。すべてを置いて隣国へ行く。
「それだけのものを捨てるのですもの。何の保証もなく、あなたを信じることなど出来ませんわ」
ロザリアはゆっくりと微笑む。
「確証がなければ、お受けいたしません」
その言葉を聞いて、クロードはしばらくロザリアを見つめていた。
そして、ふっと小さく笑う。
「慎重すぎる女は、好ましい」
「まあ」
「軽々しく国を捨てると言われるよりは、ずっといい」
クロードは腕を組み、考えるように目を細めた。
「……確証、か」
すぐに答えは出さなかった。それがロザリアには少し意外に思えた。
クロードはやがて、真っ直ぐにロザリアを見て告げる。
「時間をくれ」
「時間?」
「ああ」
その赤い瞳には、先ほどまでの冗談めいた色はない。真剣な表情でロザリアを見つめていた。
「お前が納得出来るものを用意する」
静かにクロードを見る。彼が安易に信じろと言わなかったことに、ロザリアはどこかほっとした。
「分かりましたわ。お待ちしております」
そう言って頷いたロザリアに、クロードは満足そうに口元を緩めた。
こうしてロザリアは、自らの未来を決めるための最後の答えを待つことになった。
◇
あれから数週間が過ぎた。
いつものように庭園を訪れる。
約束の日を決めていたわけではない。けれどクロードから「時間をくれ」と言われてからというもの、ロザリアは彼が何を用意するつもりなのか考えずにはいられなかった。
その答えを、ようやく知ることになる。
「待たせたな」
背後から聞こえた声に、ロザリアは振り返る。
「クロード王太子殿下」
「……レオ・サラザールだ」
「あら。失礼いたしました」
ロザリアが微笑むと、クロードは呆れたように息を吐く。
「お前は、本当は分かっていてやっているだろう」
「さて、どうでしょう」
そんな言葉を交わしながら、周囲に人の姿がないことを確認してクロードは懐から一通の手紙を取り出した。
「お望みのものだ」
差し出されたそれをロザリアは不思議そうに見つめた。
「……これは?」
「開けてみろ」
言われるまま手紙を受け取った。
そして次の瞬間、驚きに目を見開く。
「……まあ」
手紙には、漆黒の封蝋が押されていた。
そこに刻まれているのは見間違えるはずもない紋章。
――アストリア王国の王家の紋章。
それが押されていた。
ロザリアはゆっくりと顔を上げる。
「……まさか」
「読め」
クロードはそれだけを告げる。
ロザリアは再び手紙へ視線を落とす。慎重に封を開け、中に入っていた書状を取り出した。そして書かれていた文章を読み始める。
中に書かれていたのは。
神聖ルミナリア帝国アレクシス皇太子殿下との婚約が解消された暁には、ぜひともアストリア王国にロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢を王太子妃として迎え入れたい。
そういった内容のことが書かれていた。
「…………」
ロザリアはしばらく言葉を失った。
これはクロード個人の考えではない。アストリア王国、その国の意思だ。国王自らロザリアを王太子妃として迎え入れると、正式な書状で示している。
「……本当に」
ロザリアは、小さく呟いた。
「本当に、国王陛下から?」
「俺が偽造したとでも?」
「まさか」
クロードの言葉に首を横に振る。ただ、まさか隣国の国王から書状が来るとは思わず、呟いてしまっただけだった。
王家の紋章、漆黒の封蝋。そして書状に記された正式な文面。それらを偽造するなど、そう簡単に出来ることではない。
これがクロードの用意した確証。ロザリアがアストリア王国へ渡った後、クロード一人の気持ちが変わったとしても、国そのものがロザリアを王太子妃として迎える意思を示している。
それは、ロザリアが求めていたもの以上だった。
「……分かりましたわ」
ロザリアはゆっくりと微笑んだ。
「アストリア王国の本気を、確かに受け取りました」
クロードの口元が僅かに緩む。ロザリアは手にした書状を胸元へ寄せた。
そして真っ直ぐにクロードを見る。
「では」
もう、迷いはなかった。
「アレクシス皇太子殿下との婚約が正式に解消された暁には」
一度、言葉を区切る。
「ぜひ、アストリア王国へ参りましょう」
クロードの赤い瞳が僅かに細められた。
「……俺の婚約者になると?」
「ええ。喜んで、お受けいたしますわ」
ロザリアは微笑んだ。
その言葉にクロードはしばらく何も言わなかった。
けれど。
「そうか」
短く、それだけを答えた。けれどその口元には、隠し切れないほどの嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
ロザリアはそんなクロードを見て、意外と可愛い方なのかもしれない。ほんの少しだけ、そんなことを思った。
「さて」
クロードのその一言で思考を切り替える。見ればクロードもまた思案するような表情をしていた。
「問題は、どうやってアレクシス様との婚約を解消するか、ですわね」
「ああ」
ロザリアの言葉にクロードも頷く。
「帝国側が素直に婚約を解消するとは思えん」
「ええ。特に皇帝陛下は、絶対にわたくしを手放しませんわ」
ロザリアは迷いなく言い切った。自分はヴァレンティア公爵家の娘。そして長年にわたり、皇太子妃教育を受けてきた。皇帝からすれば、失うには痛すぎる駒だろう。
「でしたら」
ロザリアはゆっくりと微笑む。
「手放さざるを得ない状況を作ればよろしいのですわ」
その言葉にクロードが僅かに眉を寄せる。
「……お前に瑕疵が付けば、俺の王太子妃には出来んぞ」
「まあ」
ロザリアは首を傾げる。
「なぜ、わたくしに瑕疵を付けなければいけませんの?」
「……何?」
「現状、浮気をなさっているのはあちらでしょう?」
クロードは一瞬、意味が分からないというような顔をした。
しかし数秒後、ロザリアが何を告げたいか理解したらしい。
「……なるほど」
ゆっくりとクロードの口元が歪む。
「怖い女だな」
「あら」
「俺は、お前の方に瑕疵が付かない方法を考えているのかと思っていた」
「その必要はございませんわ」
ロザリアは優雅に微笑んだ。
「婚約を解消する理由を作るのでしたら、アレクシス様の方に作っていただけばよろしいのですもの」
「……なるほどな」
クロードは愉快そうに嗤う。
「悪くない」
「でしょう?」
「ああ。むしろ、良い案だ」
赤い瞳が楽しげに細められる。
「さて。ならば、どうやってあの皇太子に自分で瑕疵を作らせる?」
その問いに、ロザリアはほんの少しだけ微笑んだ。
「そのために」
視線を遠くへ向ける。
「少し、協力していただかなければならない方がおりますわ」
◇
数日後。
ロザリアは学園の廊下を歩いていた。
少し先には見慣れた集団の姿がある。リリアーナと、彼女の周囲にはセドリック、ルーカス、エドワード、ルシアンと、いつもの集団がいた。
周囲へ視線を巡らせる。アレクシスの姿はない。他の生徒も近くにはいなかった。
――都合がよろしいですわね。
ロザリアはそのまま彼らへ近付いていく。
「あら」
ロザリアの声にリリアーナたちが振り返る。
「ロザリア様……」
リリアーナの表情が僅かに強張る。その反応を見て、ロザリアはいつものように微笑んだ。
「また、皆様で仲良く集まっていらっしゃるのね」
「……何かご用ですか?」
セドリックが警戒するように尋ねる。
「まあ。別に?」
ロザリアは肩を竦めた。
「ただ、相変わらずだと思っただけですわ」
「相変わらず?」
「ええ」
ロザリアの視線がリリアーナへ向けられる。
「ベルナール嬢は、アレクシス様にも随分とまとわりついていらっしゃるようですし」
「……まとわりついてなんて」
「まあ、違うとおっしゃるの?」
リリアーナの言葉に笑みを浮かべ、楽しげに首を傾げる。
「殿方との距離も、随分とお近いようですもの」
ロザリアの言葉にリリアーナの表情がむっとしたものへ変わった。
「私は、ただアレクシス様たちと仲良くしているだけです!」
「あら。そうですの」
「それに、アレクシス様だって、そう思ってるはずです!」
強気に宣言するリリアーナに、ロザリアは呆れたような表情を浮かべる。
そして。
「残念ですけれど」
相手を挑発するように、口元に笑みを浮かべる。
「ベルナール嬢がどれほどアレクシス様を思ったところで、既成事実でもない限り、アレクシス様と結ばれることなどありませんわ」
「………………!」
その場の空気が一瞬だけ変わった。
リリアーナの目が大きく見開かれる。
「な、何でですか?!」
「だって、そうでしょう?」
ロザリアはあくまでも穏やかな声で告げる。
「わたくしは、アレクシス様の正式な婚約者ですもの」
そしてほんの少しだけ、楽しげに微笑む。
「どれほど仲がよろしかろうと、それだけで婚約者になれるほど甘い話ではございませんわ」
「……そんな」
戻ってくる前のロザリアも、そのことは分かっていた。何事もなければ、いずれアレクシスと婚姻するのは自分だと。けれど、アレクシスがどう動くか分からなかった。何より、女性として愛されていない事実が悲しくて、罪を犯してしまったのだ。戻って来た今となっては、なぜあんな馬鹿なことを仕出かしてしまったのだろうと、そう思うばかりだけれど。
過去の鬱憤を晴らすように、黙り込むリリアーナにことさら優しく笑って見せる。
「まあ、ベルナール嬢には難しいお話だったかしら?」
「……っ!」
リリアーナの顔がみるみる赤くなっていく。
ロザリアはそれを確認すると、優雅に一礼する。
「それでは、ごきげんよう」
そして何事もなかったかのように、その場を去っていく。
背後からリリアーナが何かを言い返そうとする気配がした。けれど、何を言われてもロザリアは振り返らなかった。
その日の放課後。
「焚きつけたのか」
庭園で報告を受けたクロードは、面白そうに笑った。
「ええ。少々、刺激を与えて差し上げましたわ」
「既成事実でもない限り、結ばれることはない、と」
「……よくご存じですわね」
「報告を受けた」
クロードは肩を竦める。
「随分と分かりやすい餌を撒いたものだ」
「あら。わたくしは、事実を申し上げただけですわ」
「そうか?」
「ええ」
ロザリアはにっこりと微笑む。クロードはそんなロザリアを見て、小さく息を吐く。
「……やはり、怖い女だな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
「好きにしろ」
それだけを告げ、クロードは僅かに笑った。
そして、少しだけ声を落とす。
「ならば、こちらも頃合いを見て動く」
「何をなさるおつもりですの?」
「お前が撒いた餌を、少しだけ食いつきやすくしてやる」
赤い瞳を細めてクロードは嗤う。
その言葉にロザリアは、静かに彼を見た。
「……具体的には?」
「それをお前が知る必要はない」
クロードはあっさりと言い放つ。
「必要以上に手を汚すな。これは俺の側で処理する」
「まあ」
ロザリアは僅かに眉を上げた。
「随分と頼もしいこと」
「だろう?」
クロードはにやりと笑う。
「お前はただ、その時を待っていればいい」
そうしてロザリアは、静かにその時が訪れるのを待つことにした。
◇
それから、数日後。
「行くぞ」
いつもの庭園でクロードと顔を合わせたロザリアは、開口一番そう告げられた。
「……どちらへですの?」
「着けば分かる」
それだけを言うと、クロードはさっさと歩き出してしまう。ロザリアは僅かに眉を寄せながらも、その後を追った。
向かった先は、学園の校舎の一角だった。普段、一般の生徒が立ち入ることのない区画。
その奥にある一つの扉の前で、クロードは足を止めた。
「ここですの?」
「ああ」
そこは、皇族や他国から訪れる高位の貴族が、体調を崩した際や長時間にわたる行事の合間などに、休息を取るために用意された貴賓用休養室だった。
一般の生徒が利用する医務室とは異なり、室内は完全な個室となっている。急な休息にも対応出来るよう、室内には上質な寝台が置かれ、壁際には長椅子と小さなテーブルが備え付けられていた。必要であれば侍女や従者が控えることも出来るだけの十分な広さもある。
もっとも、その扉の向こうで何が待っているのかまではロザリアにも分からない。……察するものはあるけれど。
クロードが扉へ手を掛ける。
「準備はいいか?」
問いかけにロザリアは小さく頷く。
そして、扉は開かれた。
クロードと共に室内へ足を踏み入れる。
室内のその光景を目にして、ロザリアは固まった。
「――――――っ!?」
寝台の上に、上半身はシャツ一枚で、その前を大きくはだけたアレクシスが眠っていた。そのすぐそばには、裸体を隠すように、シーツを身体へ巻き付けたリリアーナがいる。
一瞬、ロザリアの思考が停止した。
けれど、次の瞬間には。
「きゃああああああああああああああっ!!」
学園中に響き渡るのではないかと思うほどのを声を、ロザリアは上げた。
悲鳴が辺りへ響き渡る。
「ロザリア様!?」
リリアーナが顔を上げる。
けれど、ロザリアは彼女を見ることすら出来ないというように、震える手で口元を覆った。
「な、何を……、何をなさっておりますの……!?」
その声は、悲鳴の直後とは思えないほど震えていた。
ロザリアの叫び声を聞きつけたのだろう。廊下の向こうから、慌ただしい足音が近付いてくる。
「今の悲鳴は何だ!?」
「こちらだ!」
最初に駆け付けたのは、学園の警備を担当する者たちだった。続いて、異変に気付いた教師たちも次々と姿を現す。
「何が――」
室内を覗き込んだ一人の教師が言葉を失う。
「……これは」
その後ろにいた者たちも。次々と同じ光景を目にして固まった。
誰もが唖然とした。寝台の上には、上半身はシャツ一枚だけを身につけ、前を大きくはだけた皇太子がいる。そして、そのすぐそばには、身体をシーツで隠している聖女がいた。
さらにその光景を目撃し、顔を青くして立ち尽くす皇太子の婚約者の姿まである。
誰も、すぐには言葉を発することが出来なかった。
「……一体、これは」
「皇太子殿下が……」
「聖女様と……?」
小さなざわめきが室内と廊下へ広がっていく。
その時。
「何事ですか!?」
慌ただしい声と共に、学園長が駆け込んできた。
しかし、貴賓用休養室の中を見るなり、その顔から血の気が引いていく。
「…………」
しばらく完全に言葉を失っていた。
やがて。
「……陛下へ」
掠れた声が漏れる。
「皇帝陛下へ、至急ご連絡しなければ……」
顔を青くしたまま、学園長は踵を返す。ほとんど逃げるような勢いで、学園長がその場を立ち去る。
なお、その騒ぎの中でも、アレクシスが目を覚ますことはなかった。




