2回目の人生 ②
ロザリア視点の話です。
次は絶対に間違えたりしない。
そう決意したロザリアだったけれど。
廊下の向こうから歩いて来るアレクシスの姿を見つけた瞬間、胸がわずかに騒いだ。反射的に足を止めそうになり、表情を固くする。
――……いけませんわ。
何を期待しているのだろう。前の人生で散々思い知らされたはずだ。アレクシスはロザリアを愛してはいない。家族のように大切に思っていたとしても、女性として愛されることはないのだと。
それ以上を求めたから、自分は最後にすべてを間違えた。
――もう、あの方のことで人生を狂わせるつもりはありませんわ。
ロザリアは小さく息を吐くと、何事もなかったかのように歩き出す。向こうから近付いて来るアレクシスを見ても、もう足を止めない。
「おはようございます、アレクシス様」
「おはよう、ロザリア」
いつもと変わらない挨拶。それだけだった。
それなのに、柔らかく微笑んでいるアレクシスを見て、胸の奥がざわついていることに気付く。そのことに、ロザリアは眉を寄せる。
――……別に、もう何とも思っておりませんわ。
何とも思っていない。もう、アレクシスが誰と話そうと、誰に微笑みかけようと。……誰を大切にしようと、自分には関係ない。そう自分に言い聞かせる。
ぎゅっと唇を引き結ぶ。背後でアレクシスの名前を呼ぶ明るい声が聞こえた。
「アレクシス様!」
その瞬間。
反射的にそちらを振り返ってしまう。ロザリアは数秒、固まった。
「…………」
違う。別に、気になったわけではない。たまたま。そう、ただ、聞き覚えのある声が聞こえたから、つい振り返ってしまっただけ。それだけだ。
ロザリアは何度も自分に言い聞かせながら、そっと視線を逸らす。
――次は絶対に、間違えませんわ。
だから。
もう二度と、アレクシスのことで自分の人生を狂わせたりなどしない。
そう、強く思った。
その日の午後。
ロザリアは一人で学園の庭園を歩いていた。特に目的があったわけではない。ただ、少しだけ一人になりたかった。
――まったく。
思い出すのは、先ほど廊下ですれ違ったアレクシスのことだった。ほんの短い挨拶を交わしただけだ。それなのに、どうしてあんなにも気になってしまうのだろう。
――もう、あの方のことなど気にしないと決めたでしょう。
自分自身へ言い聞かせるように、ロザリアは小さく息を吐いた。
「……もう知りませんわ」
「何がだ?」
「っ!?」
突然聞こえた声に、勢いよく振り返る。
少し離れた場所。そこに立っていた人物を見て、ロザリアは目を見開く。
「クロード王太子殿下――」
その名を呼んでから、ロザリアははっとする。
「……失礼いたしました。サラザール様」
慌てて言い直すと、黒髪の青年は僅かに眉を上げた。目の前にいる彼は、隣国アストリア王国の王太子、クロード・レオニス・アストリア。王族特有の黒髪に赤い瞳をした美丈夫だ。
クロードはこの学園では身分を隠して学園に通っている。その為、安易に名前を呼ぶべきではなかった。ロザリアは己の失態をすぐさま謝罪した。
ちなみに、クロードは認識阻害の魔法具であるイヤーカフを身に着けている。アレクシスから事前に紹介を受け、そのことを知らされていたために、ロザリアには認識阻害の効果が及んでいなかった。
「随分と慌てたな」
「……申し訳ございません」
「別に謝る必要はない」
クロード――いや、レオ・サラザールはそう言うと、ロザリアの姿をじっと見た。
「それより。何をそんなに不機嫌そうな顔をしている」
「不機嫌などではございませんわ」
「そうか?」
「ええ」
クロードの問いに即答する。
けれど。
「さっきから、随分と物騒な顔をしているぞ」
「……しておりませんわ」
「している」
「しておりません」
「している」
「……………………」
ロザリアはすっと目を細めた。
この人は、一体何なのだろう。そう思ってしまう。
「サラザール様」
「何だ」
「わたくし、今は一人になりたいのですけれど」
「そうか。なら好きにしろ」
クロードはあっさりと答え、それだけを告げて踵を返す。
「……え?」
あまりにもあっさりとした態度に、思わず声を漏らしてしまう。その声にクロードが振り返る。
「何だ」
「いえ……」
引き留めたいわけではない。けれど、何だか拍子抜けしてしまった。
「……何でもございませんわ」
「そうか」
今度こそ、クロードは歩き出した。その背中を見送る。
そして。
――何ですの、あの方。
そんなことを思った。
初対面ではないが、いきなり不機嫌そうな顔をしているなどと言って失礼極まりない。しかも、一人になりたいと言えば本当に去って行く。普通なら、もう少し何か言うものではないだろうか。
……いや、だからこそ、なのだろう。
クロードは、ロザリアが何を考えているのか、聞こうとしなかった。
何に悩んでいるのか、誰のことを考えていたのかも。ただ、一人になりたいと言ったから、その通りにした。きっと、それだけだったのだ。
筆頭公爵家の娘として、皇太子殿下の婚約者として。常に衆人環視に見られていたロザリアには初めての経験だった。
ロザリアはほんの少しだけ目を伏せる。
――……変な方ですわね。
先ほどまで胸の奥にあったざわつきは、いつの間にか少しだけ薄れていた。
◇
それから数日後。
「またお前か」
庭園のベンチに座っていたロザリアへ、聞き覚えのある声が掛けられた。顔を上げれば、そこにはクロードが立っていた。
「それはこちらの台詞ですわ」
「俺はここを通っただけだ」
「わたくしは座っていただけですわ。サラザール様は、そのまま通り過ぎればよろしいでしょう?」
「そうだな」
そう言いながら、クロードはなぜかロザリアの隣へ座った。
「……あの、サラザール様?」
「何だ」
「通り過ぎるのではありませんでしたの?」
「気が変わった」
「まあ」
ロザリアは呆れたように息を吐く。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
「……今日は随分と機嫌がいいな」
「普通ですわ」
「前よりはましだ」
「前回も普通でしたわ」
「そうか」
「ええ」
少しの沈黙。けれど、その沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。クロードは何も聞かない。ロザリアも何も話さなかった。ただ、隣に誰かがいる。
それだけなのに、ロザリアはふと気付く。
――アレクシス様のことを考えておりませんわね。
今までは一人になると、どうしても思い出してしまっていた。考えないようにしようとしても、ついアレクシスを思い出してしまうのだ。
けれど今は、隣にいるクロードと話すことによって、アレクシスを思い出すことはない。そのことに、少しほっとした。
ロザリアはそっと横目でクロードを見る。黒髪を後ろで一つに結んだ横顔。その視線が、不意にこちらを向いた。
「何だ」
「っ……何でもございませんわ」
「そうか」
また、それだけ。
けれど、ロザリアの口元には、ほんの僅かな笑みが浮かんでいた。
◇
それから。
ロザリアとクロードは、少しずつ言葉を交わすようになった。
最初は、本当に些細なことだった。
「この国での生活には、もう慣れましたの?」
ある日、庭園で顔を合わせたロザリアが何気なく尋ねると、クロードは僅かに眉を寄せた。
「……まあ、それなりにはな」
「何かご不便なことでも?」
「食事が合わん」
あまりにも率直な答えに、ロザリアは瞬きをした。
「まあ」
「味が薄い」
「それは、アストリア王国と比べて、ということでしょうか?」
「そうだ」
ロザリアは少し考え込む。
確かアストリア王国の料理は濃いめの味付けで、油が多用されていると聞いたことがある。この国の料理とは味付けがかなり異なるのだろう。
「それでしたら、王都の南通りにある『金獅子亭』へ行かれてはいかが?」
「何だ、それは」
「アストリア王国の料理を出す店ですわ。現地の料理人が腕を振るっているそうですの」
「お前、行ったことがあるのか?」
「いいえ」
「では、なぜ知っている」
「皇太子妃教育の一環ですわ」
ロザリアがそう答えると、クロードは一瞬、黙った。
「……そこまで教えられるのか」
「他国の文化や食事を知ることも、必要なことでしょう?」
「面倒だな」
「そうですわね」
ロザリアはくすりと笑う。そんなロザリアを見て、クロードがわずかに目を細める。
「お前は、嫌ではないのか」
「何がですの?」
「そういうものを学ぶことがだ」
ロザリアは少しだけ考えた。
「……嫌だと思ったことはございませんわ」
それは本心だった。
いつかアレクシスの隣に立つために。その思いで、ずっと学んできた。だから嫌だと思ったことは一度もない。
それに、アストリア王国の料理店については、隣国の王太子であるクロードが訪れることが分かった時点で、何かあったときのためにと教えられた情報でもある。それはまさに、現在のような状況を想定してのことだったのだろう。
「そうか」
「ええ」
少し昔を思い出すように、遠い目をして頷く。
そんなロザリアに、クロードはそれ以上何も言わなかった。
◇
別の日。
「勉学の方はいかがですの?」
「普通だ」
「まあ」
あまりにも興味のない返事に、ロザリアは思わず笑ってしまった。
「何か問題でも?」
「座学は問題ない」
クロードはそう言うと、僅かに眉を寄せた。
「だが、騎士科と魔導科の実技が薄い」
「薄い?」
「内容が甘い」
ロザリアは首を傾げる。
「具体的には、どういう点ですの?」
「実戦を想定していない」
クロードは腕を組み、その時のことを思い出すかのように視線を上に向けて告げた。
「魔物と戦うこともある。隣国との戦争が起きる可能性だってある。なのに、ここの実技は決められた手順を覚えさせるだけだった」
その言葉に、ロザリアは僅かに目を見開いた。
「この国は、平和ボケしている」
クロードが断言した。あまりにもはっきりとした物言いだった。
「まあ」
「何だ」
「随分とはっきりおっしゃいますのね」
「事実だ」
ロザリアは少し考える。
この国は長い間、大きな戦争を経験していない。魔物による被害も、国境付近を除けば少ない。だからこそ騎士や魔導士に求められるものも、いつの間にか変わってしまっているのだろう。
「……確かに、そうかもしれませんわね」
「否定しないのか」
「否定出来る材料がございませんもの」
ロザリアは素直に答えた。
「ただ、この国が平和であったこと自体は、悪いことではありませんわ」
「それはそうだ」
「ですが」
ロザリアは少しだけ表情を引き締めた。
「平和であることに慣れすぎて、その平和を守るための備えまで失ってしまえば、それは問題ですわね」
「……なるほど」
「何ですの?」
「いや」
クロードはほんの僅かに口元を緩めた。
「お前は、意外と話が分かる」
「失礼ですわね」
「褒めている」
「褒めているようには聞こえませんわ」
「そうか」
「ええ」
そんなやり取りを交わしたこともあった。
気付けば、庭園で顔を合わせれば自然と言葉を交わすようになっていた。
この国のこと、アストリア王国のこと、学園で学ぶこと、政治のこと。時にはお互いのプライベートのことを話したりもした。あれは好ましい、口に合うなどの、ほんの些細なことばかりだけれど。
ロザリアが話せば、クロードは聞いた。クロードが何かを言えば、ロザリアは自分の考えを返す。アレクシスと話す時とはどこか違っていた。
アレクシスはいつだってロザリアの言葉を穏やかに聞いてくれた。けれど、クロードは違う。
「それは違うだろう」
「まあ。何がですの?」
「お前の考えは甘い」
「サラザール様の考えが極端なのですわ」
「そうか?」
「ええ」
意見がぶつかることもある。けれど、それが不思議と、嫌ではなかった。
自分の言葉を否定されても、違う考えをぶつけられても。クロードは、ロザリアを否定しているわけではない。ただ、ロザリアとは違う考えを持っているだけ。それが分かるから、嫌な気持ちになることがないのだ。
――こういう会話も、あるのですわね。
ふと、そんなことを思った。アレクシスの隣にいた頃は、いつも未来の皇太子妃として正しい答えを口にしようとしていた。間違ったことを言わないように、恥をかかせないように。彼の隣に立つに相応しい自分でいられるようにと必死だった。
けれど、クロードの前では。
正しい答えを探す必要がなかった。自分が思ったことを言えばいい。そして違うのなら、違うと言われればいい。それだけだった。
そのことが、ロザリアには思っていた以上に心地よかった。




