1回目の人生 ①
ロザリア視点の話です。
それから、年月が過ぎた。
十歳だったロザリアは成長し、気が付けば学園の最終学年を迎えようとしていた。アレクシスと婚約してから十年。長い時間を共に過ごしてきた。
その間に、ロザリアは何度も理解した。アレクシスは、自分を女性として見ていないことを。
七歳の頃、初めて出会った時から抱き続けてきた恋心は、成長するにつれてますます大きくなっている。けれど、アレクシスから向けられるものは変わらない。
――わたくしは婚約者ではあっても、女性として愛されている訳ではない。
その事実だけは、変わらなかった。
それでも、幼い頃とは変わったこともある。アレクシスがロザリアへ向ける表情は、以前よりも柔らかくなっていた。長い時間を共に過ごしたからだろうか。
アレクシスとアリアンヌ、そしてロザリア。三人で過ごす時間も、いつしか当たり前のものになっていた。アリアンヌが体調を崩せば二人で心配し、元気になれば一緒になって喜んだ。恐れ多いことではあったが、ロザリアにとってもアリアンヌはもはや妹のように感じていた。
そんな時間を重ねるうちに、アレクシスから家族へ向けるものに似た温かさを感じるようになった。それはロザリアが望んでいたものとは違う。けれど、アレクシスにとって自分はもう、ただの婚約者ではない。家族に近い存在として、大切にされている。
そう思えるだけのものを、確かに感じていた。
――なら、それだけで、……十分だわ。
だからこそ、そう自分に言い聞かせていた。
そして、学園の最終学年が始まる数日前。
ロザリアはいつものように皇城を訪れていた。
「ロザリア。少し、話がある」
アレクシスにそう言われ、ロザリアは彼の執務室へと案内された。
執務室にある応接用のソファに腰を下ろせば、アレクシスは少しだけ困ったように息を吐く。
「陛下からの命令が下った」
「皇帝陛下からですか?」
首を傾げれば、アレクシスは頷く。
「聖女の世話役を務めるようにと言われた」
「……聖女様?」
思わず聞き返した。突然出てきたその言葉に、目を瞬かせる。
「そうだ。どうやら近いうちに、聖女が学園へ編入するらしい」
聖女。
その存在について、ロザリアも知識がないわけではない。この国にとって、世界にとっても特別な存在だ。
――女神に選ばれた存在。
そんな少女が、学園へやって来る。
「それで、アレクシス様がお世話役を?」
「私が一番適任だと、陛下はお考えになられたようだ」
アレクシスはどこか冷めたような表情だった。その言葉を聞きながら、ロザリアは胸の奥に小さな感情が生まれるのを感じていた。
――面白くない。
素直にそう思った。これまでアレクシスの隣にいたのは自分だった。もちろんアリアンヌは別だ。けれどこれから先、聖女がアレクシスのそばにいることになる。それが、どうしても面白くないと思ってしまう。
しかし、その気持ちを表に出すことはしない。
「そういうことでしたら、仕方がありませんわね」
微笑みながら告げると、アレクシスは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「すまない。出来る限り、今までと変わらないようにするつもりではある」
「お気になさらないでくださいませ。皇帝陛下からのご命令なのでしょう?」
「……ああ」
「でしたら、わたくしも理解しておりますわ」
そう言って、ロザリアは胸の奥に生まれた感情を気付かせないように、微笑み続けていた。
◇
学園に編入した聖女を紹介したいとアレクシスに言われ、ロザリアはアレクシスと共に指定された部屋を訪れた。
部屋へ入り、聖女の姿を目にした瞬間、ロザリアはほんの僅かに目を見開く。
小柄な少女だった。ストロベリーブロンドの髪と、鮮やかなオレンジ色の瞳をした可愛らしい印象の少女。ボブカットの髪が、その小さな顔をより一層幼く見せている。
ロザリアとはまったく違う。ロザリアは背が高く、顔立ちもどちらかといえば大人びている。釣り上がった目元は幼い頃から気の強そうな印象を与えてきた。
けれど、目の前にいる少女は違う。小柄で可愛らしく、守ってあげたくなるような雰囲気を持っていた。
――何だか、嫌な予感がするわ。
理由は分からない。聖女が何かをしたわけでもない。まだ言葉すら交わしていない。それなのに、胸の奥に説明のできないざわつきを感じていた。
「ベルナール嬢。こちらが私の婚約者、ロザリア・ヴァレンティア公爵令嬢だ」
「初めまして、ベルナール嬢」
ロザリアは目の前の少女へ穏やかに笑みを向ける。緊張しているかもしれない。だから少しでも安心させられるようにと考えて、できる限り柔らかな表情をと心掛けた。
「アレクシス様より、ベルナール嬢のことは伺っておりますわ。聖女として学園へ編入されることになったのでしょう? これから大変でしょうけれど、早く馴染めるよう祈っておりますわ」
本当なら、学園生活の手助けをすると言った方が良かったのだろう。けれど、これからアレクシスの側にいることを許された少女に、そんな言葉をかける気にはなれなかった。
「ありがとうございます」
少女が笑顔で礼を告げる。声まで可愛らしかった。
目の前にいる少女の笑顔に、嫌な予感が止まらない。こういう感覚を無視するべきではないような気がした。そして何より、これ以上アレクシスをこの少女のそばに置いておきたくない。
だからロザリアは、ふと隣にいるアレクシスへ視線を向けた。
「アレクシス様、本日はこの後もご予定がおありでしょう?」
「ああ。皇帝陛下から任された仕事がある」
「まあ。それでしたら、あまりお引き止めしてはいけませんわね」
ロザリアはそう言って控えめに微笑む。アレクシスも穏やかに笑いながら礼を告げた。それから少女に挨拶をして、ロザリアとアレクシスはその場を後にした。
そうして。
――あの時の嫌な予感は、見事に当たった。
学園生活が始まってからというもの、リリアーナはことあるごとにアレクシスの側へ現れるようになったのだ。
最初は皇帝から世話役を任されているのだから、仕方がないのだと思っていた。分からないことがあればアレクシスへ尋ね、困ったことがあれば助けを求める。その程度ならば、何も言うつもりはなかった。
けれど、次第にその頻度は増えていく。
授業の合間、昼食の時間、そして放課後。何かにつけて、リリアーナはアレクシスのもとへやって来た。アレクシスが他の者と話をしていても、ロザリアと二人でいる時でさえお構いなしだった。
そして、そのたびに。
「アレクシス様!」
と、嬉しそうにアレクシスの名を呼ぶ。
最初のうちはロザリアも我慢した。アレクシスも事あるごとにリリアーナに「名前で呼ぶのはやめてもらえないだろうか」と告げていたことも理由の一つだ。それに、リリアーナを注意したロザリアをアレクシスは支持してくれた。正しいのはロザリアだとはっきりと明言してくれたから、ロザリアも穏やかでいられたのだ。
聖女だから。平民として育った少女だから。皇族や貴族の常識を知らないこともあるのだろう。そう考えて、できるだけ優しく接していた。
けれど、さすがに限度というものがある。
リリアーナの側には、常に四人の令息たちがいた。侯爵家の子息、伯爵家の子息、大司教の子息。それぞれ全員が将来を期待されている有力者の子息たちだ。そんな彼らがリリアーナの周囲に集まり、彼女のために動いている。困っていることがあれば助け、何かあれば話を聞き、まるで彼女を守る騎士であるかのようだった。
――それだけの方々がいらっしゃるでしょうに。
それなのに、どうしてアレクシスにまで付き纏うのか。ロザリアには理解できなかった。
何度も遠回しに伝えたのだ。アレクシスにも予定があること。皇太子として、多くの仕事を抱えていること。それを伝えてもリリアーナはお構いなしにアレクシスの元へ走っていく。アレクシスの婚約者として告げても駄目だった。
自分の婚約者にまとわりつく他の女性に、いい感情を持てるはずがない。どうしてそのことに思い至ってくれないのか、本当に分からなかった。
そして、令息たちとの接触があまりにも多いことから、そのことに対しても注意をした。リリアーナの側にいる四人の令息たちのうち、三人にもそれぞれ婚約者がいることを伝えたのだ。
けれど、何を言ってもリリアーナには通じなかった。
むしろ。
「皆さんは、そんなこと気にしていません!」
そう言って、笑う。
――気にしていないのは、貴女たちだけでしょう!
何度その言葉を飲み込んだか分からない。彼ら本人が気にしていなくとも、婚約者の令嬢たちはどう思うのか。家は、周囲は。そのことをなぜ考えられないのか分からない。リリアーナはともかく、側にいる彼らは貴族の在り方をしっかり教育されてきただろうに。困った側近候補たちだと、溜め息を吐くことしか出来なかった。
それから、しばらくしてアレクシスが学園を不在しがちになる。
どうやらアリアンヌのところへ行っているらしい。聖女の世話をしているせいで、あまり構えなかったからというのもあるだろう。ロザリアとしても、ここ最近のアレクシスは疲れているように見えた。なので、アリアンヌのところで息抜きが出来ていればいいと思っていた。
けれどその反動か、リリアーナはアレクシスが学園に来るたびにまとわりつくようになった。以前も頻度が多かったが、それよりもさらに多い。
あまりにもアレクシスに付き纏うリリアーナに、堪忍袋の緒が切れ、ついに強い口調で苦言を呈してしまう。
そうしたら。
「ロザリア。それ以上の発言は看過できなくなる」
そう、強い声でアレクシスに制された。
睨みつけられたわけではない。怒鳴られたわけでもない。けれど、意思の強い青い瞳が「それ以上は駄目だ」と告げていた。
その場はすぐに謝罪をして立ち去った。
けれど。
――どうして、わたくしが怒られないといけないの?!
理性としては分かっている。けれど、感情としては納得できなかった。
だから、という訳ではないのだけれど。
ロザリアやアレクシスたちのやり取りを見ていた令嬢たちが、心配そうにロザリアの元に集まって来る。
「ロザリア様、大丈夫ですか……?」
「……大丈夫ですわ」
心配そうに声を掛けてくれる令嬢に、俯いて震えた声で答える。
そうすれば。
「大丈夫なわけがありませんわ」
すぐそばにいた令嬢が、怒りを滲ませた声を上げた。
「ロザリア様は、何も間違ったことは仰っていませんでした」
「ええ。むしろ、今までよく我慢なさっていたと思いますわ」
一人がそう言えば、周囲の令嬢たちも次々と頷く。
「聖女様は、あまりにも殿下に頼りすぎです」
「ご自分の周囲には、いつも四人もの殿方がいらっしゃるというのに」
「それだけではありませんわ。あの方々には、皆様きちんと婚約者がいらっしゃるのでしょう?」
「それなのに、あのように親しくされて……。婚約者の方々がお気の毒ですわ」
ロザリアは俯いたまま、そっとハンカチを取り出す。
「………………」
何も言わず、ただ震えるように小さく息を吐き、目元へハンカチを当てた。令嬢たちから見れば、それは必死に涙を隠そうとしているように見えるだろう。
実際に。
「ロザリア様……」
「どうか、お気を落とされませんよう……」
周囲から痛ましげな声が聞こえてくる。
――そうでしょうね。
ロザリアはハンカチの陰でそっと口元を歪める。そして誰にも見えないように、ほんの僅かに嗤う。
強い口調でアレクシスに制されれば、ロザリアは傷付くに決まっている。これまで、どれほど我慢していたのか。どれほど耐えていたのか。周囲の者たちはそう考えるだろう。
そして、今まで聖女に不満を抱きながらも口を閉ざしていた令嬢たちは。
――ロザリア様も、もう限界だったのですね。
そう思うに違いない。
それでいい。ロザリア自身が何かを命じる必要はない。誰かにリリアーナを攻撃するよう頼む必要もない。ただ、少しだけ傷ついたように見せればいいだけだ。
淑女として、そして将来の皇太子妃として教育を受けている身でありながら、本来ならばこのように感情を露わにすることなど許されない。けれど今回だけは、我慢できなくなってしまったように見せる。そうすれば、周囲は勝手に自分のために動いてくれるだろう。
ハンカチを目元から離した時には、ロザリアの口元から笑みは消えていた。そこにいたのは傷つきながらも、必死に涙を堪えようとしている令嬢だけだった。
「……皆様。わたくしのことは、どうかお気になさらないでくださいませ」
震えた声で。
どこまでも健気にそう告げれば、令嬢たちの怒りはさらに深くなる。
――ええ。どうぞ、ご自由に動いてくださって構いませんわ。
儚げに微笑んだロザリアの瞳には、涙など一滴も浮かんではいなかった。




