4. 少女がただ遊ぶだけ
紫菜奈ちゃんと手を繋いで歩き出してから、最初のうちは罪悪感がなかったと言えば嘘になる。こんな「遊び」で小さな人々にどれくらい迷惑かけることになるかもわかる。さっきまでの自分もその小さな人々の一員だったから。
それでも紫菜奈ちゃんの楽しそうな笑い声を聞くたびに、罪悪感よりも高揚感の方が勝っていく。壊れた建物から立ち上る土煙も、しばらくすると単なる景色の一部にしか感じられなくなっていった。
気づけば、目の前に広がる町は、ただの巨大な玩具箱にしか見えなくなっていた。道路はミニチュアの線路みたいで、建物はブロック遊びの積み木みたいだ。壊せば壊すほど、紫菜奈ちゃんが嬉しそうに笑ってくれる。それだけで、なんでもできてしまいそうな気がした。
「彩莉姉ちゃんも、こっちのビルで遊びたい?」
紫菜奈ちゃんに促されて、わたしはあの70メートルのビルへと近づいていく。さっき彼女が優しく抱きしめていた、あのビルだ。このビルの存在のおかげで、わたしは紫菜奈ちゃんの身長を把握できたんだよね。この町で一番高いビルなのに、今わたしの方が一回り高い。このビルを見下ろす日が来るとは思わなかった。
そういえば、このビルの展望台に登ったことがある。あの時の眺めは、今とよく似ている。ただ決定的に違うのは、今は自分の足が地面に付いていることだ。
さっき紫菜奈ちゃんがこのビルを抱きしめていた時の姿を思い出す。優しく、それでいて力強く、大切な宝物でも扱うみたいだった。わたしもあんなふうにやってみたい。
両腕を広げて、そっとビルを抱き寄せてみる。ガラスの感触がひんやりと冷たい。壁面の継ぎ目がざらざらと肌に当たって、思っていたより硬い。それでも頬を寄せると、大きなぬいぐるみを抱いているみたいで、思わず頬がゆるんだ。
壊れない……よね? さっき紫菜奈ちゃんが抱いても無事だったからきっと十分に頑丈だろう。
そう気を抜いた次の瞬間だった。ほんの少し腕に力がこもっただけで、めきめきという嫌な音が鉄骨の奥から響いて、ビルはあっけなく、ぐしゃりと音を立てて崩れてしまった。
「あ、あれ……?」
真下に残ったのは、ただの瓦礫の山だった。紫菜奈ちゃんがやった時は、あんなに綺麗な形のまま残っていたのに。
「あはは! 彩莉姉ちゃん、力強すぎるの!」
紫菜奈ちゃんはお腹を抱えて笑っている。恥ずかしさに顔が熱くなるけれど、その笑い声を聞いていると、つい、こっちまで笑いたくなってくる。
「ちゃんと手加減できるようになったら、彩莉姉ちゃんも紫菜奈みたいに上手にできるようになるの」
まるで今までもずっとこんな「遊び」をしていたような熟練者の台詞……。どれくらい別の町で暴れていたのか、とかつい想像してしまった。
「そ、そういうものなの……?」
なんだか変な励まされ方をしている気がしたけれど、悪い気分ではなかった。
試しに、もう一度別の建物で挑戦してみることにした。さっきよりもずっと小さめのビルを選ぶ。そっと両手で包み込むようにして、力加減を確かめながらゆっくりと力を込めていく。
「また駄目か!」
この建物も犠牲になってしまった。
「まだだ。次!」
ついやる気になって、こうやって次々とこのあたりのビルはわたしの力加減の練習のために使われていく。
「あ……できた、かも?」
何となくコツが掴めた気がする。紫菜奈ちゃんが手を叩いて喜んでくれる。ほんの小さな成功だったけれど、どこか誇らしい気持ちになった。
「次はキャッチボールするの!」
紫菜奈ちゃんはそう言うと、道端に転がっていた小さな乗用車を軽く放り投げてきた。わたしは慌てて両手を伸ばして受け止める。その車の飛ぶ姿はスローモーションに見えて、本当のキャッチボールよりずっと楽だった。
「ほら、次はこれ!」
紫菜奈ちゃんは楽しそうに、今度は道端の自動販売機を放ってくる。中の缶やペットボトルが受け止めた拍子に何本かこぼれ落ちた。それを見て二人でけらけらと笑い合う。童心に返ったみたいに、次から次へと物を投げ合う遊びに夢中になっていった。
「次はこれ!」
紫菜奈ちゃんが道路の脇から両手で拾い上げたのは、一台の路線バスだった。彼女の手のひらより少し大きいくらいのそのバスを、山なりに大きく放り投げてくる。
わたしは慌てて両手を伸ばし、なんとかそれを受け止めた。想像していたより軽い。金属とプラスチックでできた、玩具の車みたいな重さだった。ひんやりとした車体の感触が、手のひらいっぱいに広がる。
「やった、キャッチできた……」
得意げにそう言いかけたところで、手のひらの中から、つんと鼻をつく嫌な匂いが漂ってくることに気づいた。バスの底からじわりと液体が滲み出している。もしかしてこれって軽油?
「あ、これ……危ないかも」
万が一火花でも散ったら。想像しただけで肝が冷える。さっきの爆発した車の光景がふっと脳裏をよぎった。わたしは慌てて、そのバスを思い切り海の方角へと放り投げた。バスは大きな弧を描いて飛んでいき、水平線の近くで、遠くの海面にざぶんと大きな水しぶきを上げて沈んでいく。数秒遅れて、かすかな水音が耳に届いた。
「彩莉姉ちゃん、今の投げ方かっこいい!」
「そう?」
「紫菜奈も投げよう!」
こう言って紫菜奈ちゃんはまたバスを拾って、今回は自分で海へ投げ出した……が、浜辺の近くに落ちて爆発してしまった。
「もう少しなのに! やっぱり彩莉姉ちゃんには叶わないの」
紫菜奈ちゃんはちょっと悔しそうな顔でこっちを見ている。
「いや、わたしなんかそんな……」
さっきはただ危ないと思って力いっぱい投げ出しただけなのに。でもやっぱり車は発火する可能性があって危ないからもうやめた方がいいと思う。とりあえず別の遊びにしよう。
紫菜奈ちゃんと手を繋いだまま、次はどこで遊ぼうかと辺りを見回す。少し歩くと、古い寺院の建物が見えてきた。木造の本堂が、崩れた町並みの中で、ぽつんと静かに佇んでいる。
「わあ、古そうなお寺なの」
紫菜奈ちゃんの声に誘われて、わたしもそちらへ一歩踏み出す。……その時だった。足元に転がっていた瓦礫の山に、うっかり爪先を引っかけてしまった。
「わっ……!」
ぐらりと体勢が崩れる。とっさに手を突いて支えようとしたけれど、伸ばした手のすぐ先に、あの本堂があった。避ける間もなく、手のひらが屋根をかすめる。
ばきばきっ、と乾いた音が響いた。それだけで、木造の本堂はあっけなく押し潰され、屋根も柱もばらばらに崩れ落ちてしまう。
「あ……」
しまった、と血の気が引いた。壊すつもりなんてなかったのに。ただ躓いただけで、この体は、手が触れるだけで何もかもを潰してしまう。
それでも、崩れた瓦礫の中から、びくともせずに立っているものがあった。
石造りの大きな仏像だ。本来の大きさなら人の何倍も大きいだろう。7メートルくらいかな? 立派な仏像だ。でも、今のわたしたちの目には、手のひらに乗るくらいの小さな置物にしか見えない。
「わあ、可愛いお人形なの!」
紫菜奈ちゃんはそれを指先でつまみ上げて、しげしげと眺めている。くるくると色んな角度から見つめる姿は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供そのものだった。
「ちょっと、それは人形じゃなくて仏像だよ……」
そう言いながらも、わたしも一緒になってその小さな仏像を覗き込んでしまう。あんなに頑丈で厳かだったはずのものが、今はただの手乗りサイズの人形だ。そのギャップに、なんだかおかしさがこみ上げてくる。
「彩莉姉ちゃんも持ってみるの?」
紫菜奈ちゃんが仏像を差し出してくる。恐る恐る受け取ってみると、見た目よりずっしりと重い。石でできているのだから当然なのだけれど、その重みが、これが本当はとても大きくて頑丈なものなのだと教えてくれる気がした。
「なんか、罰当たりな気がしてきた……」
そう呟きながらも、わたしは仏像の頭をそっと指先で撫でてみる。表情ひとつ変えないその顔は、こんな無茶苦茶な状況になっても、どこか泰然としているように見えた。
「ねえ、この仏像さん、笑ってるみたいなの」
紫菜奈ちゃんが仏像の口元を指差す。確かに、その表情は穏やかな微笑みをたたえていた。何百年もの間、ずっとこの顔で人々を見守ってきたのだろう。それが今、わたしたちみたいな存在に手のひらの上で転がされているのだから、少し申し訳ない気持ちにもなる。
「今度からは、もうちょっと優しく扱おうね」
「うん、約束するの」
「じゃあ、また今度ね」
紫菜奈ちゃんはそう言って、仏像を瓦礫の上にそっと置いた。乱暴に扱っていたようでいて、意外と丁寧なその仕草に、思わず頬が緩んでしまう。
こうして、わたしたちの「遊び」は、まだまだ続いていく。罪悪感を抱きながらも、この非日常をとことん楽しみたいという、単純な高揚感もある。夕暮れに変わっていく空の下、わたしたちはまた次の「遊び場」を探して、町を歩き出した。




