第3話「伴侶」
深海は今日も穏やかだった。
青い光が海流に揺れ、珊瑚の隙間を小さな魚たちが泳いでいく。
アウルはその景色を眺めながらゆっくりと尾びれを揺らしていた。
少し前まで思うように泳げなかったのが嘘みたいだった。
「だいぶ慣れたな」
「そうか?」
「沈まなくなった」
「ああ、それはそうだな」
アウルは嬉しそうに笑う。
「沈むのも面白かったけどな」
「私は遠慮したい」
思わず笑ってしまう。
レヴィが冗談を言うことなど滅多にない。
「笑うんだな」
「……たまには」
静かな空気が流れる。
海流が二人の間をゆっくりと通り過ぎた。
レヴィはその横顔を見つめる。
人魚になってからの日々。
新しい名前。
新しい生活。
新しい笑顔。
もう碧ではない。
それでも。
アウルと過ごした時間は、確かに自分の中へ積み重なっていた。
レヴィはゆっくり息を吐く。
「アウル」
「なんだ?」
その声は穏やかだった。
「人魚の求婚は、一度しかできない」
アウルは静かに耳を傾ける。
「一度伴侶を選べば、生涯その者だけだ」
「うん」
「以前……私は禁忌を犯した」
アウルは首を横に振る。
「違うだろ」
「え?」
「あれは、お前が俺を助けたかったから言った言葉だ」
真っすぐな瞳だった。
責める色はない。
ただ受け止めている。
レヴィは少しだけ目を伏せた。
そして。
もう一度アウルを見つめる。
今度は逃げなかった。
「アウル」
「俺は、お前を伴侶にしたい」
静かな海だった。
波もない。
海流だけが二人を包んでいる。
アウルは少しだけ目を丸くした。
驚いたように瞬きをする。
それから。
ふわりと笑った。
「うん」
迷いはなかった。
「俺も、レヴィと一緒にいたい」
その笑顔は、太陽の光が海へ差し込んだように明るかった。
レヴィの胸の奥で、何かが静かにほどける。
長い年月、沈み続けていたものだった。
「ありがとう」
その一言が自然とこぼれた。
アウルは少し照れくさそうに笑う。
「こちらこそ」
しばらく見つめ合う。
誰も何も言わない。
言葉はいらなかった。
レヴィはそっと手を伸ばく。
頬へ触れる。
以前より少し温かく感じた。
ゆっくりと距離を縮める。
アウルはその意味を理解すると、小さく目を見開いた。
「……あ」
けれど逃げない。
ただ少しだけ照れたようにはにかむ。
「これは……助けるためじゃないんだな」
「ああ」
「そうか」
嬉しそうに笑う。
「それなら、嬉しい」
その言葉に、レヴィまで少し照れてしまう。
静かに額を寄せる。
そして。
優しく唇を重ねた。
短い口づけだった。
海流が二人の周りをゆっくりと巡る。
もう苦しくはならない。
命を繋ぐためでもない。
ただ。
互いの想いを伝えるためだけの口づけだった。
唇が離れる。
アウルは頬を少し赤く染めながら照れ笑いを浮かべた。
「……なんだか照れるな」
「そうだな」
「でも」
アウルは嬉しそうに目を細める。
「もう一回してもいいか?」
レヴィは思わず固まった。
「……お前は」
「だめか?」
「…………」
答えの代わりに、レヴィは小さく笑った。
それだけで十分だった。
青い光が二人を包む。
深海は静かに歌うように揺れていた。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




