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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第1章:「深海 碧」
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7/11

第5話「海に呼ばれる」


夜の海は静かだった。


波の音だけが、

暗い海岸にゆっくり響いている。


深海碧は、

堤防へ腰を下ろしたまま海を見つめていた。


大学の練習帰り。


身体は疲れているはずなのに、

眠る気になれなかった。


だからまた、

海へ来てしまう。


白いTシャツの袖を、

潮風が揺らす。


遠くの海は暗い。


けれど碧には、

その暗さが不思議と怖くなかった。


昔からずっとそうだった。


その時。


不意に、

祖母の声を思い出す。


『深海の子は、

 昔から海に呼ばれるんだよ』


波の音が、

記憶を揺らしていく。


碧は静かに目を閉じた。


――高校二年の夏。


夕暮れの縁側。


潮風。

風鈴の音。

スイカの甘い匂い。


祖母が魚を干しながら、

穏やかな声で話していた。


『夜の海で歌を聞いたら、

 振り返っちゃいけないよ』


当時中学三年だった凪が、

スイカを持ったまま顔を上げる。


「またその話?」


『またじゃないよ』


祖母は少し笑った。


『この島の海には、

 昔から人魚がいるんだから』


碧は縁側に寝転びながら、

ぼんやり海を眺めていた。


この頃にはもう、

全国優勝後の忙しさが始まっていた。


朝練。

遠征。

取材。


海を見る時間だけが、

少し息をつける時間だった。


「俺、小さい頃ちょっと怖かったなぁ」


凪が苦笑する。


「夜の海」


『そりゃ怖いさ』


祖母が言う。


『人魚は綺麗だからねぇ』


風が吹く。


風鈴が、

ちりん、と鳴った。


『みんな、

 海へ行きたくなる』


凪が少し肩を縮める。


「なんかそれ、

 怖いんだけど」


『綺麗なものほど、

 気を付けなきゃいけないんだよ』


祖母の声は静かだった。


脅かすような言い方ではない。


まるで、

本当に知っているみたいな口調。


凪がスイカを齧りながら、

ちらっと碧を見る。


「兄貴は平気そうだけどね」


「何が」


「夜の海とか」


碧は少し笑った。


「まあ、昔から怖くはない」


『碧は特に気を付けな』


祖母がふと真面目な声になる。


碧が視線を向ける。


祖母は海を見つめたまま、

ゆっくり言った。


『深海の子は、

 海に好かれやすい』


波の音。


夕暮れの海が、

静かに光っていた。


『海に呼ばれたら、

 帰って来れなくなるからねぇ』


凪が「怖っ」と笑う。


碧も軽く笑って流した。


その時はまだ、

昔話だと思っていた。


人魚なんて、

いるわけないと。


――目を開ける。


現在の海は暗い。


祖母はもういない。


大学へ入った年、

静かに亡くなった。


あの日から、

実家へ帰るたび、

縁側は少し広く感じる。


碧は無意識に海を見る。


波が揺れる。


暗い水面の奥。


そこに、

何かがいる気がした。


深い青。


金の光。


脳裏に、

あの瞳が浮かぶ。


そして耳の奥で、

低い声が響く。


『……そんな顔で泳ぐな』


潮風が吹く。


碧はゆっくり息を吐いた。


どうしてなのか。


最近ずっと、

海に見られている気がする。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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