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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第1章:「深海 碧」
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6/11

第4話「違う時間の海」


朝四時半。


まだ空は暗い。


島の港には、

静かな波音だけが響いていた。


深海碧は、

濡れた髪をタオルで拭きながら堤防を歩く。


朝練終わり。


肺は熱く、

身体は重い。


それでも、

今日も大学へ行って、

午後はトレーニングがある。


スマホを見る。


スケジュールは、

隙間なく埋まっていた。


息を吐く。


その時。


遠くから、

小さくギターの音が聞こえた。


碧は足を止める。


静かな旋律。


波の音に溶けるような、

柔らかい音だった。


聞き覚えがある。


堤防の先。


街灯の下に、

凪が座っていた。


ケースを横に置いて、

膝の上でアコースティックギターを弾いている。


黒髪が潮風に揺れる。


碧は少し目を細めた。


「……こんな時間まで起きてたのか」


声をかけると、

凪が驚いたように振り返る。


「うわ、兄貴」


「お前こそ何してんの」


「ちょっと曲作ってた」


そう言って、

凪は笑う。


碧は堤防へ腰を下ろした。


夜明け前の海。


凪の隣。


昔は当たり前だった景色なのに、

どこか懐かしい。


凪はギターを軽く鳴らしながら言う。


「兄貴、朝練?」


「まあ」


「今日も?」


「今日も」


短いやり取り。


けれど、

嫌な沈黙ではなかった。


凪は海を見つめる。


「兄貴さ」


「ん?」


「最近ずっと海いるよね」


碧は少しだけ笑った。


「お前もだろ」


「俺は好きだから」


その言葉に、

碧は返事ができなかった。


好き。


その感覚を、

最近うまく思い出せない。


昔は、

自分も同じだったはずなのに。


「……覚えてる?」


凪がぽつりと言う。


「小さい頃、

 毎日一緒に泳いでたの」


碧は海を見る。


波が静かに揺れている。


「兄ちゃん、

 魚みたいだった」


懐かしい言葉に、

碧は少しだけ笑った。


「それ、お前ずっと言ってんな」


「だって本当にそうだったし」


凪は楽しそうに笑う。


でもそのあと、

少しだけ静かになった。


「……高校くらいから、

 一緒に泳がなくなったよね」


潮風が吹く。


碧は何も言えなかった。


中学で全国優勝してから、

生活は全部変わった。


朝練。

遠征。

大会。

合宿。


気付けば、

一日中泳いでいた。


その代わり。


凪と過ごす時間は、

少しずつ減っていった。


昔は同じ時間を生きていたのに。


今は違う。


碧は朝の海を泳ぐ。


凪は夜の海でギターを弾く。


同じ海なのに、

見ている景色が違った。


「兄貴」


凪が静かに言う。


「……最近、ちゃんと寝てる?」


碧は一瞬だけ目を瞬かせる。


「なんだよ急に」


「いや、なんか」

「ずっと疲れてる顔してるから」


波の音。


碧は視線を落とした。


疲れている。


そんなこと、

自分が一番分かっていた。


けれど。


「大丈夫」


気付けば、

そう答えていた。


昔からずっと、

そうやってきた。


凪は何も言わない。


ただ静かに、

ギターを鳴らす。


優しい音だった。


碧は目を閉じる。


波の音。

潮風。

ギターの旋律。


少しだけ、

昔に戻れた気がした。


けれど。


ポケットのスマホが震える。


画面には、

大学の監督からのメッセージ。


『午後のフォーム確認、

 遅れるな』


現実が、

また碧を引き戻す。


「……行く」


碧が立ち上がる。


凪は小さく頷いた。


「うん」


堤防を歩き出した時、

後ろから声が飛ぶ。


「兄貴」


碧が振り返る。


朝焼け前の薄暗い海。


その前で、

凪が少し困ったように笑った。


「たまには、

 楽しそうに泳げよ」


その言葉に、

碧は何も返せなかった。


ただ、

胸の奥だけが、

少し痛かった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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