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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第1章:「深海 碧」
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第3話「人生の分岐点」


県総体を突破した時から、

周囲の空気は少し変わり始めていた。


「深海んとこの長男、すごいらしいぞ」


そんな声を、

島のあちこちで聞くようになった。


けれど。


本当に全部が変わったのは、

中学三年の夏だった。


全国大会。


会場は、

息が詰まりそうなほど広かった。


観客席。

眩しいライト。

響くアナウンス。


碧はスタート台の上で、

静かに息を吐いた。


緊張は不思議と無かった。


ただ、

勝ちたいと思っていた。


泳ぐことが好きだった。


速くなれるのが嬉しかった。


だから、

もっと遠くへ行きたかった。


『男子1500メートル自由形、

 決勝――』


アナウンスが響く。


観客席のざわめき。


碧はゴーグルを直した。


水面を見る。


その瞬間だけ、

世界が静かになった。


スタート音。


飛び込む。


水の中へ入った瞬間、

身体が軽くなる。


腕を伸ばす。

水を掻く。

前へ進む。


海とは違う。


塩の匂いもしない。

波もない。


それでも、

泳ぐこと自体は好きだった。


水の中では、

余計なことを考えなくて済むから。


碧はひたすら前を向いた。


隣の選手。

後半のラップ。

肺の痛み。


全部、

どうでもよかった。


ただ、

速く。


もっと。


もっと。


気付けば、

誰も隣にいなかった。


最後のターン。


限界まで肺が熱い。


それでも、

身体は止まらなかった。


そして。


ゴールタッチした瞬間、

会場が揺れる。


大歓声。


電子掲示板。


一位。


深海碧の名前が、

全国一位の場所に表示されていた。


碧はしばらく動けなかった。


耳の奥で、

心臓だけが鳴っている。


勝った。


全国で一番になった。


その瞬間。


観客席から、

誰より大きな声が聞こえた。


「碧!!」


父だった。


立ち上がって、

興奮した顔で手を振っている。


母は泣いていた。


凪も、

目を輝かせながら叫んでいた。


「兄ちゃんすげぇ!!」


碧は、

そこでようやく笑った。


嬉しかった。


本当に。


期待されることも、

誇らしかった。


島に帰った後は、

もっとすごかった。


港に横断幕。


“祝・全国優勝”


近所の人たちが、

次々声をかけてくる。


「島の英雄だな!」


「テレビ見たぞ!」


「日本代表も夢じゃない!」


父は、

どこか誇らしげだった。


母も嬉しそうだった。


凪は自分のことみたいに喜んだ。


「兄ちゃん、めちゃくちゃかっこよかった!」


その顔を見ていると、

碧も嬉しくなる。


もっと頑張ろうと思った。


期待に応えたいと思った。


だから。


最初は、

全部幸せだったのだ。


けれど。


少しずつ、

変わっていく。


高校へ上がる頃には、

父の口癖は


『優勝できるだろ?』


になっていた。


周囲も、

“すごい”ではなく、


“勝って当然”


みたいな顔をするようになった。


タイムが少し悪いだけで、

残念そうな顔をされる。


メディアが来る。


大学から声がかかる。


スポンサーの話が出る。


気付けば、

碧自身より先に、


“深海碧”

という名前だけが

どんどん有名になっていった。


そしていつからか。


泳ぐたびに、

息が苦しくなるようになった。


それでも辞められなかった。


期待に応えたかった。


期待されることが、

嬉しかった頃を知っているから。


だから碧は今でも、

泳ぎ続けている。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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