第6話「アウル」
深海の朝は静かだった。
青い光が海底へ降り注ぎ、珊瑚の隙間を小さな魚たちが行き交っている。
王族の住まう場所は今日も穏やかだった。
少し離れた場所では、彼が珍しそうに周囲を見回している。
人魚になってまだ日が浅い。
見るものすべてが新しいのだろう。
珊瑚に触れてみたり。
光を追いかけたり。
小魚の群れを眺めたり。
その横顔には、好奇心と喜びが素直に浮かんでいた。
碧ならしなかった表情だった。
レヴィは静かに目を伏せる。
失ったものは多い。
それでも。
視線の先にいる彼は確かに生きていた。
海で。
この世界で。
レヴィは小さく息を吐く。
そしてその名を呼んだ。
「アウル」
彼が振り返る。
迷いなく。
自然に。
「なんだ?」
レヴィがこちらへ泳いでくる。
相変わらず表情は薄い。
けれど最近は少しだけ分かるようになってきた。
今は機嫌が悪いわけではない。
たぶん普通だ。
アウルは嬉しくなって笑った。
「どうした?」
「別に」
「なんだそれ」
思わず吹き出す。
レヴィは少しだけ眉を寄せた。
その反応が面白くて、アウルはまた笑った。
海流がゆっくり二人の間を通り過ぎる。
青い光が尾びれを照らし、泡が静かに浮かんでいった。
レヴィはその様子を見つめていた。
アウル。
その名を呼ぶたびに思う。
碧ではない。
笑い方も違う。
表情も違う。
言葉も違う。
まるで別の誰かみたいだった。
本来なら喪失だったのだろう。
失ったものの方が多い。
名前も。
記憶も。
人間だった頃の人生も。
それなのに。
嫌ではなかった。
不思議なくらい。
胸の奥に残る痛みはある。
けれどそれとは別に、海流に乗るような穏やかな感情があった。
アウルは突然こちらを見た。
「レヴィ」
「なんだ」
「呼んでみただけだ」
嬉しそうに笑う。
まるで子供みたいな笑顔だった。
レヴィは小さく息を吐く。
「そうか」
それだけ返す。
けれど。
少しだけ口元が緩んだ。
アウルは気付かない。
気付かないまま、また楽しそうに泳ぎ始める。
青い尾びれが光を受けて揺れる。
新しい命だった。
新しい人生だった。
海流は静かに流れていく。
名前もまた、その流れに溶けるように馴染んでいく。
アウル。
その名はもう、
彼のものだった。
ご覧いただきありがとうございます。
『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




