第5話「そばに」
名前を得てからというもの、アウルは上機嫌だった。
自分の名前を何度も口にしては嬉しそうに笑う。
「アウル」
「アウルか」
「いい名前だな」
そう言って尾びれを揺らす姿は楽しそうで、見ているこちらまで不思議な気分になる。
その時だった。
ふいに。
息が詰まる。
「っ……」
アウルの顔色が変わった。
胸を押さえる。
呼吸がうまくできない。
海の中にいるのに。
苦しい。
「アウル」
レヴィはすぐに異変に気付いた。
アウルの身体を支える。
苦しそうに肩が震えている。
「レ……ヴィ……」
声も途切れ途切れだった。
レヴィは迷わなかった。
そのまま顔を近付ける。
そして。
口づける。
柔らかな感触。
海流が二人の間を静かに流れていく。
青い光が揺れる。
しばらくして。
胸を締め付けていた苦しさが少しずつ消えていった。
呼吸が戻る。
身体の力が抜ける。
アウルは大きく息を吐いた。
「はぁ……」
ようやく楽になる。
レヴィは安心したように目を閉じた。
「大丈夫か」
「うん……」
まだ少しぼんやりしている。
だが先ほどより顔色は良かった。
「ありがとう」
アウルは素直に礼を言った。
「助かった」
レヴィは小さく頷く。
「まだ身体が人魚になじんでいないらしい」
静かに説明する。
「あと数日か、数週間か」
「完全になじめば今のような息苦しさはなくなるはずだ」
アウルは真面目に聞いている。
「それまでは」
レヴィは少しだけ視線を逸らした。
「口づけさせてくれ」
アウルは瞬きをする。
それから柔らかく笑った。
「そうか」
「それはありがとう」
素直に頷く。
「お願いする」
レヴィは少しだけ安心した。
説明は伝わったらしい。
そう思った瞬間。
アウルが首を傾げる。
「ただ」
「?」
「口づけだけじゃ寂しいな」
レヴィは固まった。
アウルは全く気付いていない。
続ける。
「だって」
「せっかく会えたのに」
青い瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「口づけの時しか近付いてくれないんだろ?」
不満そうだった。
本当に少しだけ。
「それは寂しい」
レヴィは言葉を失う。
アウルは気付かない。
「俺はレヴィと話すの好きだぞ」
さらりと言う。
「一緒にいるのも好きだ」
海流みたいに自然だった。
何の迷いもない。
何の計算もない。
だから余計に質が悪い。
レヴィは目を逸らした。
「……そうか」
それしか言えない。
するとアウルは笑った。
朝の海みたいな笑顔だった。
「だから」
尾びれを揺らす。
「口づけ以外でも近くにいてくれ」
静かな沈黙が落ちる。
レヴィはしばらく答えられなかった。
碧なら。
こんなことは言わなかった。
絶対に。
だが。
目の前のアウルは違う。
自由で。
真っ直ぐで。
無邪気で。
「……分かった」
ようやくそう答える。
するとアウルは嬉しそうに笑った。
「よかった」
その笑顔を見ながら。
レヴィは胸の奥を押さえた。
海流に流されるみたいに。
少しずつ。
少しずつ。
振り回されている気がした。
ご覧いただきありがとうございます。
『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




