第4話「名づけ」
名前を失ったと分かってからも、彼は思ったより落ち込まなかった。
むしろ新しい身体に興味津々で、尾びれを眺めたり、珊瑚に触れたりして過ごしている。
だが不便なこともあった。
「そういえば」
彼はふと思い出したように振り返った。
「俺、名前ないんだな」
レヴィは小さく頷く。
「そうだな」
「それって結構困るな」
彼は苦笑した。
「呼ぶ時も困るだろうし」
少し考えて。
そして自然に言った。
「レヴィ」
「何だ」
「名前、付けてくれないか」
レヴィは目を瞬く。
「私が?」
「うん」
当たり前みたいに頷く。
「人間の名前はなくなったんだろ?」
「だったら新しい名前が欲しい」
彼は楽しそうに笑った。
「せっかくだからレヴィに付けてほしい」
その言葉に、レヴィは少しだけ黙り込む。
名前。
それは人魚にとっても特別なものだった。
しばらく考える。
青い光が静かに揺れる。
海流が二人の間を流れていく。
人間だった頃の名。
碧。
もう本人は覚えていない。
だが。
完全に失くしてしまうのは違う気がした。
レヴィは静かに口を開く。
「アウル」
彼が目を瞬く。
「アウル?」
「お前の名前だ」
しばらく沈黙が落ちる。
レヴィは少し不安になった。
気に入らなかっただろうか。
そう思った瞬間。
「アウル」
彼は嬉しそうに繰り返した。
「アウル」
もう一度。
まるで歌うみたいに。
「いいな」
ぱっと顔が明るくなる。
「すごく好きだ」
尾びれが大きく揺れる。
青い光が周囲へ散った。
「ありがとう」
「……そうか」
「ありがとう、レヴィ」
また言う。
「本当にありがとう」
何度も。
何度も。
心の底から嬉しそうに。
レヴィは少し困った。
そこまで喜ばれるとは思わなかった。
「気に入ったなら良かった」
そう言うと。
アウルは楽しそうに笑った。
「たくさん呼んでくれ」
「何?」
「嬉しいから」
あまりにも真っ直ぐな言葉だった。
「呼ばれるたびに、自分の名前なんだって思えるだろ」
そう言って笑う。
海流に乗る泡みたいに軽やかだった。
「だからたくさん呼んでほしい」
レヴィは返事に困る。
碧ならこんなことは言わなかった。
照れ臭そうに笑うことも。
嬉しいと真っ直ぐ伝えることも。
なかった。
それなのに。
「……分かった」
気付けばそう答えていた。
するとアウルはまた笑う。
本当に嬉しそうに。
「ありがとう」
その笑顔を見ながら、レヴィは小さく目を伏せた。
碧はもういない。
そう思う。
それでも。
アウルという名前は、不思議と胸に馴染んだ。
まるでずっと前から知っていたように。
「アウル」
試しに呼んでみる。
すると彼はすぐ振り返った。
「ん?」
その顔が嬉しそうで。
レヴィは少しだけ照れた。
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ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
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