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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第10章:「人魚」
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第1話「人魚」

海の底は静かだった。


深海の王族だけが立ち入ることを許された場所。


古い珊瑚に囲まれたその空間は、海流さえ穏やかで、まるで海そのものが眠っているようだった。


レヴィは岩棚に腰を下ろし、目の前を見つめる。


そこに眠る人影を。


碧だった。


いや。


もう碧ではないのかもしれない。


海の魔女と契約を交わしてから、一週間が過ぎていた。


目覚める気配はまだない。


けれど身体は確かに変化している。


人間だった足は失われ、美しい尾びれへと変わっていた。


深海の青から透明へ溶けていく尾。


光を受けるたび、薄い硝子のように輝く。


髪は青みを帯びた黒。


水に溶けるように揺れている。


肌は人間だった頃より白く、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細だった。


閉じられた瞼の下にある瞳はまだ見えない。


それでも。


目を開けば海の色をしているのだろうと思った。


レヴィは静かに手を伸ばす。


頬に触れる。


冷たい海の中なのに、不思議と温もりを感じた。


綺麗だった。


ただ綺麗だった。


蒼士郎とも違う。


人魚とも違う。


人間とも違う。


どこにもいない存在だった。


だからこそ不安になる。


代償は何だ。


海の魔女は何を奪った。


身体を見る限り、大きな変化はない。


確かに中性的な美しさは増している。


けれど。


それだけとは思えなかった。


記憶か。


声か。


名前か。


それとも。


もっと別の何かか。


答えはまだ分からない。


レヴィは目を伏せる。


海の魔女はいつだってそうだった。


願いを叶える。


だが。


代償を教えることはない。


それを知るのはいつも願った後だ。


その時。


眠る身体が小さく震えた。


苦しそうに眉が寄る。


呼吸が乱れる。


胸が上下し、水泡がこぼれる。


レヴィはすぐに身体を引き寄せた。


額へ触れる。


頬へ触れる。


そして。


そっと口づける。


人魚の身体がまだ馴染んでいないのだろう。


人間だった名残が残っている。


口づけをすると呼吸が落ち着くことに気付いたのは数日前だった。


最初は偶然かと思った。


けれど違う。


苦しそうにするたび。


呼吸が浅くなるたび。


口づけると穏やかになる。


まるで。


完全な人魚になるための最後の時間みたいに。


やがて震えが収まる。


表情も静かになる。


レヴィは小さく息を吐いた。


どれほど長く生きていても。


待つ時間には慣れない。


特に。


失いたくないものほど。


レヴィは眠る姿を見つめる。


この場所へ連れてきたのも、そのためだった。


他の人魚たちから守るため。


好奇の視線から守るため。


海の魔女と契約し、人魚になった人間など前例がない。


王族である自分の傍に置かなければ何が起こるか分からなかった。


だから。


ここにいる。


ずっと。


ただ目覚めるのを待っている。


深海は静かだった。


海流も穏やかだった。


眠る人魚の髪がゆっくり揺れる。


レヴィはその姿を見つめる。


そして誰にも聞こえない声で呟いた。


「……早く戻ってこい」


返事はない。


ただ。


眠る人魚の指先がほんのわずかに動いた気がした。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』


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