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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第9章:「深海へ」
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第5話「海の底」

深海は静かだった。


あれほど荒れていた海が、

少しだけ穏やかになっている。


波の音も遠い。


乱れていた海流も、

ほんのわずかに落ち着いていた。


碧はレヴィの腕の中で目を開ける。


暗いはずの海だった。


けれど。


不思議と何も見えないわけではない。


海底の岩肌。


揺れる海藻。


青白く光る小さな生き物たち。


夜空の星みたいに。


深海には光が浮かんでいた。


「……綺麗だな」


思わず呟く。


胸の奥にあった不安が、

その光景に少しだけ押し流される。


レヴィは少しだけ振り返った。


そして。


ほんのわずかに目を細める。


「そうか」


短い返事だった。


それでも。


どこか嬉しそうだった。


碧がこの海を恐れるだけではなく、

美しいと思ってくれたことが、

レヴィには少しだけ救いだった。



さらに深く潜る。


その途中で。


碧は気付いた。


海流が変わっている。


さっきまでの荒れた流れではない。


穏やかだ。


優しい。


まるで。


何かを迎え入れるみたいに。


碧はその変化に目を見張る。


自分が知らない海が、

まだこんなにもあるのだと胸が高鳴った。


レヴィも気付いていた。


海が少しだけ静かになっている。


拒絶は消えていない。


けれど。


弱くなっていた。


求婚した相手が。


自ら海を選んだ。


その事実を。


海も知ったのかもしれない。


レヴィは何も言わなかった。


ただ碧を抱く腕に、

少しだけ力が入る。


安堵にも似た感情と、

この先へのわずかな警戒が、

胸の内で静かに混ざり合っていた。



やがて。


碧は息を呑んだ。


目の前に巨大な影が現れる。


最初は岩山だと思った。


違う。


建物だった。


海底遺跡。


崩れた柱。


巨大な階段。


朽ちた塔。


どこか神殿にも見える。


どこか王宮にも見える。


人間の世界とは全く違う。


けれど。


確かに誰かが生きていた痕跡だった。


「すげぇ……」


思わず声が漏れる。


驚きがそのまま言葉になった。


知らない世界の広さに、

胸が熱くなる。


レヴィは遺跡の間を泳いでいく。


その時だった。


視線を感じた。


碧は振り返る。


そして固まった。


いた。


人魚だ。


一人ではない。


二人でもない。


何人も。


何十人も。


遺跡の柱の陰から。


階段の上から。


水中庭園のような場所から。


こちらを見ている。


銀色の尾びれ。


青い尾びれ。


深い紫。


夜空みたいな黒。


様々な色の人魚たち。


誰も近付いてこない。


ただ見ている。


驚いたように。


息を呑むように。


中には碧を見ている者もいた。


けれど。


多くはレヴィを見ていた。


深海の王族。


海に拒まれた人魚。


そして。


人間を連れて帰ってきた人魚を。


静かに見つめていた。


「……見られてるな」


碧が小さく言う。


好奇心と居心地の悪さが、

同時に胸をくすぐる。


レヴィは前を向いたまま答える。


「気にするな」


「無理だろ」


思わず返す。


レヴィの肩がわずかに揺れた。


笑ったのかもしれない。


碧は少しだけ安心する。


その反応がいつものレヴィらしくて、

張っていた気持ちが少し緩んだ。



遺跡を越える。


さらに奥へ。


さらに深く。


光は少なくなり。


静寂は深くなる。


まるで海そのものの心臓へ向かうみたいだった。


周囲の人魚もいなくなった。


遺跡も消えた。


残るのは深い闇だけ。


碧はふと気付く。


レヴィが少し緊張している。


珍しい。


あのレヴィが。


普段は揺るがない背中が、

ほんのわずかに強張って見えた。


「……怖いのか」


思わず聞く。


レヴィは少し黙る。


そして。


静かに答えた。


「分からない」


その声はいつもより小さかった。


自分でも説明できない感覚だった。


警戒なのか。


不安なのか。


あるいはもっと別の何かなのか。


「ただ」


そこで言葉が途切れる。


深海の底。


どこまでも静かな闇。


その先に。


何かがいる。


碧にも分かった。


空気が変わった。


海そのものが変わった。


潮の流れが止まる。


音が消える。


世界が息を潜める。


胸がざわつく。


怖いはずなのに、

目を逸らしたくなかった。


レヴィは前を見る。


遥か先。


深海の最奥。


誰も近付かない場所。


海の魔女がいる場所を。


そして。


静かに告げた。


「着くぞ」


その言葉と同時に。


闇の向こうで何かが光った。


まるで。


深海が目を開いたみたいに。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』


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