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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第9章:「深海へ」
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第3話「代償」

荒れた海は少しも静まらなかった。


波は夜の海を叩き続け、

風は低く唸っている。


それでも。


二人だけは不思議なほど静かだった。


碧は海面に浮かびながら、

レヴィを見ていた。


レヴィはまだ何も言わない。


ただ碧を見つめている。


信じられないものを見るみたいに。


遠い昔の夢を見るみたいに。


やがて。


レヴィはゆっくり視線を落とした。


「……方法はある」


小さな声だった。


碧は黙って続きを待つ。


「人魚が人間へ口づけをすると、しばらく海の中で呼吸ができる」


波が揺れる。


レヴィの銀色の髪が海面へ広がった。


「深海の水圧にも耐えられる」


「そんなことできるのか」


碧は思わず目を丸くする。


レヴィは頷いた。


「昔からある力だ」


それはまるで。


人間を海へ連れて行くための力だった。


伴侶を迎えるための力。


あるいは。


海の魔女の元へ辿り着くための力。


人魚は半分人間で半分魚だ。


遥か昔。


人と海が今より近かった頃。


そんな力が必要だった時代があったのかもしれない。


レヴィは遠い記憶を辿るように海を見る。


けれど。


その視線はすぐに碧へ戻った。


深い青の瞳。


どこか苦しそうな目だった。


「碧」


名前を呼ぶ。


碧は頷く。


レヴィは少しだけ目を伏せた。


「本当にいいんだな」


波が揺れる。


風が吹く。


その声だけが静かだった。


「もう人間には戻れない」


碧はしばらく黙っていた。


不思議だった。


怖くないわけではない。


人魚になる。


人間ではなくなる。


家族とも。


今の人生とも。


別れることになる。


それなのに。


心は驚くほど静かだった。


「誘ったのはそっちだろ」


碧は小さく笑う。


レヴィの肩がわずかに揺れた。


「それに」


碧は言葉を続ける。


「そんな顔しないでくれ」


レヴィが目を見開く。


碧は少し困ったように笑った。


「今にも泣きそうな顔してる」


レヴィは答えない。


ただ黙っていた。


自分がどんな顔をしているのか。


本人にも分からなかった。


ただ。


怖かった。


碧が失うものの大きさを知っているから。


蒼士郎の時にはできなかった選択を。


今。


碧は選ぼうとしているから。


レヴィは静かに息を吐く。


「人魚になるためには海の魔女の元へ行く」


碧は頷く。


「願いには代償が必要だ」


風が吹く。


海が鳴る。


「何を失うかは私にも分からない」


沈黙が落ちる。


けれど。


碧は目を逸らさなかった。


「そりゃそうだろ」


あっさりした声だった。


レヴィが顔を上げる。


「姿も種族も変えるんだ」


碧は苦笑する。


「代償くらい払うさ」


波が揺れる。


「何を失うかは分からないけど」


そして。


静かに続けた。


「百も承知だ」


レヴィは言葉を失う。


碧自身も驚いていた。


もっと迷うと思っていた。


もっと怖くなると思っていた。


けれど。


不思議なほど覚悟が決まっていた。


人魚になりたい。


海へ行きたい。


そう思う自分に驚きはある。


それでも。


今はそれ以上に。


目の前の人魚の方が気になった。


レヴィはずっと苦しそうだった。


ずっと一人で抱えていた。


海に拒まれて。


禁忌を犯して。


それでも碧を守ってくれた。


胸の奥が痛む。


自分に何ができるのかは分からない。


人魚のことなんて何も知らない。


海のことだって。


まだ少ししか知らない。


それでも。


ただ一つだけ。


はっきりしていることがあった。


レヴィの力になりたい。


その願いだけが。


静かに胸の奥へ沈んでいく。


深海の底まで届くみたいに。


確かに。


揺らぐことなく。


そこにあった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』


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