第2話「返事」
海は荒れていた。
黒い波が何度もぶつかり合い、
夜の海を揺らしている。
レヴィは碧を抱えたまま海面へ浮かんでいた。
腕の中の体温が確かにある。
呼吸もある。
生きている。
それだけで胸の奥が痛かった。
失わずに済んだ。
その安堵が、
今さら波のように押し寄せてくる。
けれど。
それ以上に理解できなかった。
どうして来た。
どうしてこんな海へ飛び込んだ。
死んでもおかしくなかった。
実際。
あと少し見つけるのが遅ければ。
考えたくもなかった。
レヴィは碧の肩を掴む。
波が二人を揺らす。
「どうして」
声が震える。
自分でも気付いていた。
怒っているわけではない。
怖かったのだ。
「どうして来た」
碧はしばらく黙っていた。
海水で濡れた前髪が額へ張り付いている。
呼吸もまだ苦しそうだった。
それでも。
その瞳はまっすぐレヴィを見ていた。
逃げることなく。
逸らすことなく。
「どうしてって」
小さく笑う。
どこか呆れたみたいに。
「お前が言ったんだろ」
レヴィは息を止める。
碧は続ける。
静かに。
けれど迷いなく。
「人魚にならないかって」
波が揺れる。
胸の奥も揺れる。
レヴィは何も言えない。
あの言葉を思い出す。
忘れてくれと言った。
忘れてほしかった。
忘れなければならなかった。
それなのに。
碧は覚えていた。
ずっと。
大事なものみたいに。
碧は海を見る。
荒れる波を。
その向こうを。
そして。
ゆっくり言った。
「人魚になりに来た」
レヴィの呼吸が止まる。
碧は笑わない。
冗談でもない。
本気だった。
「レヴィと生きたいと思った」
その言葉が胸へ落ちる。
静かに。
深く。
深海の底まで沈むみたいに。
レヴィは言葉を失う。
理解できない。
理解したくない。
理解してしまうのが怖い。
碧は続ける。
「だから教えてくれ」
波が揺れる。
夜の海が揺れる。
「どうしたら人魚になれる」
静寂が落ちた。
海だけが荒れている。
風だけが鳴っている。
それなのに。
レヴィの世界だけが止まった。
人魚になりたい。
そう言った。
碧が。
自分と生きたいと。
そう言った。
耳がおかしくなったのかと思った。
夢でも見ているのかと思った。
そんなはずがない。
ありえない。
人間が。
自ら海を選ぶなんて。
まして。
自分を選ぶなんて。
レヴィは碧を見つめる。
言葉が出ない。
胸の奥がひどく痛む。
嬉しいのか。
苦しいのか。
分からない。
ただ。
信じられなかった。
蒼士郎の時は違った。
蒼士郎は最後まで人間だった。
海を愛していた。
けれど。
海へ来ることは選ばなかった。
それが当たり前だった。
それが自然だった。
だから。
碧の言葉は理解を超えていた。
レヴィはしばらく何も言えなかった。
波だけが揺れる。
荒れる海の中で。
ただ碧だけが静かだった。
覚悟を決めた人間の目をしていた。
レヴィはゆっくり目を閉じる。
胸の奥で何かが震えている。
長い年月をかけて沈めたはずの感情が。
再び浮かび上がってくる。
違う。
分かっている。
それでも。
どうしても。
嬉しかった。
碧が。
自分を選んでくれたことが。
どうしようもなく。
嬉しかった。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




