第1話「会えた」
海は荒れていた。
深海まで届くほどに。
海流は乱れ、
波は狂ったように暴れている。
レヴィは暗い海の底を泳いでいた。
思うように進めない。
海が拒んでいる。
それはもう分かっていた。
求婚した。
禁忌を犯した。
本来なら二度と選ばないはずだった。
伴侶は一人だけ。
蒼士郎だけだった。
そうあるべきだった。
だから。
これは当然の罰なのかもしれない。
レヴィは目を閉じる。
海の歌も聞こえない。
潮の流れも乱れている。
何もかもがおかしかった。
このまま終わるのだと思った。
碧にはもう会わない。
会ってはいけない。
忘れてもらう。
それでいい。
それが正しい。
そう思っていた。
その時だった。
ふいに。
音がした。
レヴィは顔を上げる。
海の中を伝う微かな音。
聞き間違えるはずがなかった。
知っている。
ずっと聞いていた音だった。
碧。
胸の奥が大きく揺れる。
まさか。
そんなはずがない。
けれど。
音は確かに近付いてくる。
浅瀬から。
荒れた海の中を。
まっすぐ。
碧の音だった。
「……何をしている」
呟く。
声は海へ溶けた。
次の瞬間。
レヴィは泳ぎ出していた。
海流が身体を叩く。
思うように進めない。
波が乱れる。
海が拒む。
それでも。
止まれなかった。
碧がいる。
この海に。
この荒れた海に。
息が詰まる。
嫌な予感しかしなかった。
海流を切り裂くように泳ぐ。
そして。
見つけた。
暗い海の中。
沈んでいく人影を。
白い泡に包まれながら。
ゆっくり。
深い方へ。
落ちていく。
「碧!」
レヴィは反射的に飛び込む。
腕を伸ばす。
掴む。
冷たい身体だった。
意識はない。
呼吸も弱い。
レヴィは碧を抱き寄せる。
そのまま海面へ向かう。
波が荒れる。
風が叫ぶ。
それでも。
離さなかった。
ようやく海面へ出る。
碧の顔を支える。
呼吸をさせる。
何度も。
何度も。
必死に。
「碧」
返事はない。
胸が痛む。
怖かった。
蒼士郎の時とは違う。
違うはずなのに。
失うかもしれない恐怖だけは同じだった。
「碧」
もう一度呼ぶ。
その時。
碧が小さく咳き込んだ。
水を吐く。
苦しそうに息を吸う。
意識が戻る。
レヴィは息を吐いた。
ようやく。
本当にようやく。
碧の瞼がゆっくり開く。
焦点が合う。
青い瞳がこちらを見る。
そして。
碧は笑った。
まるで。
長い旅の終わりみたいに。
安心したように。
嬉しそうに。
とても綺麗に。
「ようやく、会えた」
レヴィは言葉を失う。
胸の奥が強く痛んだ。
どうして。
どうしてそんな顔をする。
どうしてそんな風に笑う。
怒るべきだった。
止めるべきだった。
なのに。
安堵が先に来る。
会えた。
その言葉が胸へ沈んでいく。
深く。
深く。
痛いほどに。
「……どうして」
声が掠れる。
碧は笑ったままだった。
レヴィは碧の肩を掴む。
思わず力が入る。
「どうして来た」
波が荒れる。
海が叫ぶ。
それでも。
レヴィの声の方が震えていた。
「どうして」
もう一度問う。
怒るように。
責めるように。
けれど本当は違う。
怖かった。
失うのが。
碧まで失うのが。
怖かった。
碧はしばらく黙っていた。
荒れる海の中。
二人だけが波に揺られている。
そして。
少しだけ笑った。
困ったように。
照れたように。
「会いたかったから」
波が止まった気がした。
レヴィは息を呑む。
海はまだ荒れている。
風も吹いている。
それなのに。
その一言だけが。
静かな深海みたいに胸へ沈んでいった。
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ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
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