第6話「海へ」
凪と別れたあと。
碧は一人で海へ向かっていた。
夜風が強い。
島の道を歩きながら、
何度も海の音が聞こえる。
いつもと違う。
遠くからでも分かった。
波が荒い。
風が鳴っている。
海が騒いでいた。
防波堤へ出た瞬間、
碧は思わず足を止める。
海が荒れていた。
黒い海面がうねり、
白い波が何度も砕けている。
風が吹くたび、
飛沫が空へ舞った。
こんな海は見たことがなかった。
嵐というほどではない。
けれど。
何かがおかしい。
海そのものが苦しんでいるみたいだった。
碧は波を見つめる。
胸の奥がざわつく。
理由は分からない。
けれど。
真っ先に浮かんだのはレヴィだった。
あの日。
求婚のあと。
海は荒れた。
レヴィは怯えた顔をしていた。
まるで。
海に拒絶されているみたいに。
「……レヴィ」
名前が零れる。
風にさらわれる。
返事はない。
当たり前だ。
それでも。
会わなければいけない気がした。
今すぐ。
どうしても。
碧は波打ち際へ近付く。
冷たい飛沫が頬へ当たる。
怖くないと言えば嘘になる。
この海へ入って生きて帰れる保証なんてない。
そもそも。
レヴィに会える保証すらない。
海へ飛び込んで。
そのまま沈むかもしれない。
誰にも見つからず。
深い海の底へ消えるかもしれない。
けれど。
不思議と足は止まらなかった。
引き返そうとは思わなかった。
凪の顔が浮かぶ。
母の顔も。
父の顔も。
家の灯りも。
全部。
胸の奥へ静かに沈んでいく。
大切だった。
本当に。
大切だった。
それでも。
それでも。
碧は海を見る。
荒れる波の向こう。
その先を。
深い海の底を。
「会いたい」
小さく呟く。
その言葉だけが残った。
レヴィに。
会いたかった。
理由なんてもう分からない。
好きだからかもしれない。
一緒にいたいからかもしれない。
ただ。
会いたかった。
それだけだった。
碧はゆっくり息を吸う。
潮の匂いがする。
海の匂いだった。
子供の頃から知っている匂い。
ずっと好きだった匂い。
そして。
一歩前へ出る。
その時。
背後から声が飛んだ。
「おい!」
碧は振り返らない。
「何してる!」
風に混じって聞こえる。
島の人だろう。
「危ないぞ!」
「やめろ!」
「戻れ!」
叫び声が重なる。
当然だった。
こんな海へ入ろうとしている。
身投げだと思われても仕方がない。
実際。
似たようなものかもしれなかった。
人間としての人生を終わらせようとしているのだから。
碧は少しだけ笑う。
そして。
海を見る。
荒れ狂う波。
深い夜の海。
その向こう。
レヴィがいる。
そう思った。
だから。
迷わなかった。
碧は海へ飛び込む。
冷たい水が全身を包み込む。
波が身体を攫う。
闇が広がる。
上も下も分からない。
息が苦しい。
身体が沈む。
それでも。
不思議と恐くなかった。
ただ一つだけ。
胸の奥に残っている。
会いたい。
レヴィ。
意識が揺れる。
荒れる海の中で。
碧はその名前だけを抱き締めるように目を閉じた。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




