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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第8章:「選ぶ」
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第3話「家族」

夜だった。


家の灯りが静かにリビングを照らしている。


テレビの音。


食器の触れ合う音。


母の笑い声。


当たり前の景色だった。


ずっと見てきた景色だった。


碧はその光景を眺めながら、

ゆっくりと息を吐く。


家族は何も知らない。


レヴィのことも。


海のことも。


人魚のことも。


当たり前だ。


話したことがない。


話せるはずもない。


それでも。


碧は思う。


もし自分がいなくなったら。


母は泣くだろうか。


父は怒るだろうか。


凪はどう思うだろう。


胸の奥が静かに痛んだ。


大切だった。


家族は大切だ。


ずっと支えてもらった。


泳ぐことを応援してもらった。


勝った時は一緒に喜んでくれた。


負けた時も背中を押してくれた。


その全部を知っている。


だから。


捨てたいわけじゃない。


競技だってそうだ。


苦しかった。


辛かった。


それでも。


嫌いになったことは一度もない。


水の中は好きだった。


速く泳げた時は嬉しかった。


勝てば嬉しかった。


夢だってあった。


もっと上へ行きたいと思っていた。


全部本当だった。


全部嘘じゃない。


碧は目を閉じる。


それでも。


胸の奥に浮かぶのは海だった。


夜明け前の海。


静かな波。


自由な水。


そして。


レヴィ。


青金の瞳が浮かぶ。


何も求めない人だった。


もっと速くとも言わない。


勝てとも言わない。


期待もしない。


ただ。


碧を見ていた。


それだけだった。


碧はソファへ深く身体を預ける。


逃げているのかもしれない。


そう思った。


人魚になる。


海へ行く。


レヴィと生きる。


そんな選択。


普通じゃない。


競技から逃げているだけだと、

言われても仕方がない。


自分でも思う。


そうなのかもしれないと。


期待から。


重圧から。


数字から。


逃げたいだけなのかもしれない。


けれど。


碧はゆっくり首を振る。


違う。


少しだけ違う。


逃げたいわけじゃない。


応えようとしていた。


ずっと。


誰よりも。


応えたかった。


期待にも。


記録にも。


夢にも。


ちゃんと向き合っていた。


努力もした。


苦しくても泳いだ。


結果も出した。


だから。


疲れてしまった。


ただ。


疲れてしまった。


その言葉が胸の奥へ沈んでいく。


静かに。


深く。


波の下へ落ちていくみたいに。


碧は窓の外を見る。


夜の空だった。


海は見えない。


けれど。


潮の匂いがする気がした。


昔のことを思い出す。


子供の頃。


凪と一緒に泳いだ海。


勝ち負けなんてなかった。


タイムもなかった。


ただ楽しかった。


水の中が好きだった。


自由だった。


そして。


レヴィと泳いだ海を思い出す。


魚を追いかけた日。


夜光虫を見た日。


何も考えず波へ身を任せた日。


あの時間だけは。


本当に自由だった。


碧は小さく笑う。


少しだけ泣きそうだった。


「俺」


誰に言うでもなく呟く。


声は静かな部屋へ溶けていく。


「もっと自由に泳ぎたい」


その言葉は驚くほど素直だった。


昔みたいに。


何も背負わずに。


ただ海を好きだった頃みたいに。


そして。


レヴィみたいに。


自由に。


自由に泳ぎたい。


その願いだけが。


夜の静けさの中で、

波みたいに胸を揺らしていた。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』


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