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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第7章:「溺れる」
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第4話「海」


朝練を休んだ。


自分でも驚いた。


熱があるわけじゃない。


怪我をしたわけでもない。


身体は動く。


泳げる。


それでも。


今日はプールへ行きたくなかった。


大学へ向かう気にもなれなかった。


スマホには通知が溜まっている。


コーチからの連絡。


部員からのメッセージ。


大会の記事。


何も開かないまま、

碧は部屋を出た。


どこへ行くのかも考えていなかった。


気付けば海へ向かっていた。


春の海は静かだった。


夏みたいな賑やかさはない。


人も少ない。


波だけがゆっくり砂浜へ寄せては返している。


碧は靴を脱ぎ、

そのまま海へ入った。


冷たい。


けれど嫌じゃなかった。


むしろ心地いい。


何も考えなくて済む気がした。


腰まで浸かり、

そのまま身体を倒す。


水面へ浮かぶ。


空が見えた。


青い空だった。


雲が流れている。


風が吹く。


波が身体を揺らす。


ただそれだけ。


泳がない。


進まない。


どこかへ向かわない。


ただ浮いている。


そんなことをしたのは、

いつ以来だろう。


競技を始めてからはずっと。


速く泳ぐことばかり考えていた。


タイム。


フォーム。


呼吸。


順位。


勝敗。


数字。


数字。


数字。


気付けば。


泳ぐことは戦うことになっていた。


波が揺れる。


身体がゆっくり上下する。


海は何も言わない。


期待もしない。


評価もしない。


頑張れとも。


もっとできるとも言わない。


ただそこにある。


その静けさが、

どうしようもなく心地良かった。


碧は目を閉じる。


胸の奥に溜まっていたものが、

少しずつ沈んでいく気がした。


いや。


違う。


沈んでいるのは自分かもしれない。


深海の底へ。


静かな場所へ。


何も聞こえない場所へ。


逃げたい。


そう思った。


期待も。


比較も。


数字も。


全部。


少しだけ忘れたかった。


波が頬を撫でる。


潮の匂いがする。


その時だった。


ふと。


海の奥を見たくなった。


理由は分からない。


ただ。


呼ばれている気がした。


海が。


静かに。


ゆっくりと。


おいで、と。


そんなはずないのに。


碧は目を開ける。


遠くの水平線が光っている。


あの日と同じだった。


レヴィと初めて出会った日。


海を教えてもらった日。


自由に泳ぐことを思い出した日。


全部。


この海だった。


「……レヴィ」


名前が零れる。


返事はない。


波だけが揺れている。


もう何ヶ月も会っていない。


いるかどうかも分からない。


それでも。


今だけは。


会える気がした。


理由なんてない。


根拠もない。


ただ。


海が呼んでいる気がした。


レヴィが呼んでいる気がした。


碧は静かに目を閉じる。


波に身体を預ける。


何も考えない。


何も頑張らない。


ただ浮かぶ。


ただ揺られる。


その時間だけが、

今の碧を支えていた。


まるで。


溺れる寸前の人間へ差し出された、

たった一本の浮き輪みたいに。


海は静かに揺れていた。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』


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