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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第7章:「溺れる」
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第1話「期待」

春の陽射しがプールの水面へ反射している。


眩しい。


それなのに。


今日はやけに水が重かった。


碧は壁へ手をつき、

荒くなった呼吸を整える。


肺が苦しい。


腕も重い。


けれど。


それ以上に気になったのは。


電光掲示板だった。


表示されたタイムを見て、

胸の奥が静かに沈む。


遅い。


分かっていた。


泳いでいる途中から。


身体の感覚で。


水の流れで。


分かっていた。


それでも。


数字になると逃げられない。


「深海」


コーチの声が響く。


碧は顔を上げた。


「はい」


「疲れてるか?」


「いえ」


反射みたいに答える。


コーチは少し考えるような顔をした。


「無理はするな」


「次の記録会もある」


「焦らなくていい」


優しい声だった。


責めているわけじゃない。


分かっている。


なのに。


胸の奥へ小さな重りが沈んでいく。


焦らなくていい。


その言葉の裏にあるものを、

勝手に考えてしまう。


焦るな。


戻せ。


期待している。


そう聞こえてしまう。


碧は小さく息を吐いた。


プールサイドから上がる。


身体が重い。


春なのに。


まだ冬が残っているみたいだった。



更衣室では、

部員たちが話していた。


「最近調子悪いのか?」


「疲労じゃね?」


「大会続いてたしな」


軽い会話だった。


悪意なんてない。


むしろ心配している。


それくらい分かる。


「まあ次は大丈夫だろ」


「深海だし」


誰かが笑う。


碧も笑った。


「何だよそれ」


「いや事実だろ」


「期待してるからな」


その言葉に。


胸の奥が少しだけざわついた。


波が揺れるみたいに。


静かに。


静かに。



家へ帰ると母がいた。


「おかえり」


「ただいま」


夕食の匂いがする。


いつもの家。


いつもの景色。


母は碧を見ると、

少しだけ安心したように笑った。


「今度の大会楽しみにしてるからね」


悪気なんてない。


応援しているだけだ。


だから。


「うん」


そう返した。


それだけだった。


食卓へ座る。


テレビではスポーツニュースが流れている。


新しい若手選手。


注目株。


将来有望。


そんな言葉が並ぶ。


碧は無意識に視線を逸らした。



夜。


ベッドへ横になる。


眠らなければならない。


明日も朝練だ。


身体を休めなければならない。


そう思うのに。


目が閉じられない。


天井を見つめる。


静かな部屋だった。


けれど。


頭の中だけが騒がしい。


タイム。


順位。


大会。


期待。


期待。


期待。


その言葉ばかりが波みたいに押し寄せる。


誰も責めていない。


誰も怒っていない。


それなのに。


溺れそうだった。


期待されることには慣れていたはずだ。


子供の頃から。


速かった。


勝っていた。


結果を出していた。


だから期待される。


それが当たり前だった。


なのに。


最近は違う。


タイムが落ちる。


結果が出ない。


周囲の声が増える。


心配される。


期待される。


励まされる。


その全部が重い。


深海の水みたいに。


ゆっくり。


確実に。


身体へ絡みついてくる。


碧は目を閉じた。


苦しい。


そう思った。


ふと。


頭の中へ海が浮かぶ。


夜明け前の海。


静かな波。


冷たい潮風。


そして。


青金の瞳。


レヴィ。


その名前が浮かんだ瞬間。


胸の奥が少しだけ軽くなる。


どうしてだろう。


会えなくなって何ヶ月も経つのに。


今でも思い出す。


海を見るたび。


苦しくなるたび。


会いたいと思う。


碧は小さく目を閉じた。


会いたい。


ただ。


会いたかった。


その願いだけが。


静かに胸の奥へ沈んでいった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』


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