第5話「会えない」
気付けば海へ来なくなっていた。
冬の海は冷たい。
朝練もある。
大学もある。
競技の予定も詰まっている。
海へ来ない理由ならいくらでもあった。
だから。
別におかしくはない。
碧はそう思っていた。
そう思うことにしていた。
大学の講義を受けて。
練習をして。
帰宅して。
また朝を迎える。
変わらない日々だった。
むしろ以前より忙しいくらいだ。
考える暇なんてない。
そのはずだった。
なのに。
ふとした瞬間に思い出す。
朝焼けの海。
静かな声。
青金の瞳。
魚を追いかけて笑った時間。
海を教えてもらったこと。
自由に泳ぐことを思い出した日。
そんな記憶ばかりが、
波みたいに何度も戻ってくる。
碧は小さく息を吐いた。
窓の外はもう暗い。
練習から帰ったばかりだった。
疲れている。
身体は重い。
なのに眠る気になれなくて、
ソファへ座ったまま天井を見上げる。
静かだった。
部屋も。
心も。
深海の底みたいに静かだった。
その静けさが妙に苦しい。
碧は顔を覆う。
何だよ。
本当に。
何なんだよ。
レヴィはもう何ヶ月も現れていない。
海へ行ってもいない。
連絡先も知らない。
そもそも人魚だ。
会えなくて当然だろ。
最初から。
会える方がおかしかった。
それなのに。
胸の奥がざわつく。
波が引いていくみたいに、
何かが足りない。
そんな感覚が消えない。
碧は目を閉じた。
もし今。
海へ行ったら。
レヴィはいるだろうか。
そんなことを考える。
会えないかもしれない。
それでも。
会いたいと思った。
その瞬間だった。
碧はゆっくり目を開く。
会いたい。
ただ会いたい。
それだけのことが、
どうしてこんなに苦しいんだろう。
友達だからか。
違う。
友達に会えなくても、
こんな風にはならない。
知り合いだからか。
違う。
そんな軽いものじゃない。
胸の奥へ沈んでいた何かが、
ゆっくり浮かび上がってくる。
ずっと見ないふりをしていた感情。
認めたくなかった感情。
波に押し上げられるみたいに、
少しずつ形になる。
碧は唇を噛む。
そして。
ぽつりと呟いた。
「俺……」
声は小さかった。
誰も聞いていない。
それでも。
続きの言葉が怖かった。
違うと言いたかった。
勘違いだと笑いたかった。
けれど。
もう無理だった。
会えなくて寂しい。
会いたい。
元気か気になる。
海を見ると探してしまう。
そんな自分を知っている。
だから。
もう分かっていた。
「俺」
胸の奥で波が揺れる。
ゆっくり。
静かに。
深く。
そして。
「レヴィのこと好きなのか……」
言葉にした瞬間、
心の奥へ沈んでいたものが音もなく形になる。
否定できなかった。
違うと言えなかった。
好きだった。
気付いた時にはもう。
深海へ沈むみたいに。
逃げられないところまで来ていた。
碧はソファへ背を預ける。
天井を見上げる。
笑いたいのか。
泣きたいのか。
自分でも分からない。
ただ。
会いたかった。
どうしようもなく。
会いたかった。
窓の外では冬の風が吹いている。
遠い海も、
きっと同じ夜だった。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
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