第2話「来ている」
碧は今日も海へ来ていた。
レヴィは深海からゆっくり浮上しながら、
遠くの海面を見上げる。
まだ夜明け前。
空は暗く、
水平線だけがわずかに白み始めている。
いつもの時間だった。
海流が静かに揺れる。
そして。
そこにいる。
黒髪の人間。
碧だった。
レヴィは姿を見せない。
浅瀬へ近付かない。
遠くから見ているだけだ。
それでいい。
そう決めた。
碧は海へ入る。
冷たい水を掻き分けながら、
ゆっくり沖へ向かっていく。
その泳ぎを、
レヴィは知っている。
初めて見た日から。
何度も。
何度も見てきた。
だから。
遠くからでも分かる。
今日の調子。
呼吸の癖。
泳ぎ方。
全部。
碧はしばらく泳いだあと、
海面へ浮かんだ。
視線が海を彷徨う。
何かを探すみたいに。
レヴィは目を閉じた。
違う。
分かっている。
探しているわけじゃない。
ただ海を見ているだけだ。
そう思おうとした。
けれど。
碧は少しだけ首を傾げる。
そして。
周囲を見回した。
その仕草を見た瞬間。
胸の奥が小さく波打った。
会いに来ている。
そう思ってしまった。
いや。
違う。
海へ来る理由は他にもある。
泳ぐためかもしれない。
海が好きだからかもしれない。
なのに。
どうしても期待してしまう。
レヴィはゆっくり深く潜った。
光が遠ざかる。
深海は静かだった。
静かすぎるほどに。
それでも。
しばらくすると、
また海面が気になった。
碧はもう帰っただろうか。
今日はどれくらい泳いだのだろう。
誰かと話しているのだろうか。
そんなことを考えてしまう。
レヴィは小さく眉を寄せた。
馬鹿らしい。
自分で離れると決めたのに。
深海の魚たちが静かに泳いでいく。
海底遺跡も。
揺れる珊瑚も。
昔と何も変わらない。
変わったのは自分だけだった。
碧と出会う前なら、
浅瀬など気にも留めなかった。
人間が来ようと。
去ろうと。
どうでもよかった。
けれど今は違う。
海流の向きひとつで。
潮の匂いひとつで。
碧が来たことを知ってしまう。
海が教える。
今日も来ていたと。
レヴィは目を閉じた。
胸の奥へ沈めたはずの感情が、
波に押し戻されるみたいだった。
忘れたいわけじゃない。
けれど。
近付いてはいけない。
伴侶にしたいと思ってしまった。
その時点で。
もう。
離れるしかない。
海面から朝日が差し込む。
淡い光が深海まで届き、
青い水を静かに染めていく。
レヴィはその光を見上げた。
碧はもう帰った頃だろう。
大学へ。
友人の元へ。
人間の世界へ。
それでいい。
そうでなければならない。
そう思うのに。
胸の奥だけが、
潮に引かれるように浅瀬を向いていた。
まるで。
帰る場所を探しているみたいに。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




