第1話「距離」
碧と別れたあとも、
レヴィはしばらく海面近くに残っていた。
夜明けはもう終わっている。
朝日が海を照らし、
波は穏やかに揺れていた。
碧はもういない。
大学へ向かったのだろう。
友人たちの元へ。
家族の元へ。
人間の世界へ。
レヴィは静かに目を閉じた。
潮の流れが身体を撫でていく。
海は何も言わない。
ただ静かに揺れている。
それなのに。
胸の奥だけが落ち着かなかった。
碧が笑う。
碧が海を見る。
碧が自分の名を呼ぶ。
そんな些細な記憶ばかりが浮かぶ。
深海へ沈めたはずの感情が、
ゆっくりと浮上してくるようだった。
レヴィは小さく息を吐く。
分かっている。
ずっと前から。
気付かないふりをしていただけだ。
伴侶にしたい。
その願いが、
胸の奥にある。
静かに。
確かに。
波の下で育つ珊瑚のように。
気付けば、
そこに根を張っていた。
だから。
駄目だった。
レヴィは海へ潜る。
光の届かない深さまで。
青は濃くなり、
やがて闇へ変わっていく。
深海は静かだった。
昔から変わらない。
蒼士郎がいた頃も。
いなくなった後も。
ずっと。
人魚は伴侶を一度しか選ばない。
それが掟であり。
本能だ。
だから本来。
二度目はない。
蒼士郎で終わったはずだった。
終わらなければならなかった。
あの日。
断られた時に。
海は静かだった。
蒼士郎は優しかった。
レヴィを拒絶したわけではない。
ただ。
選ばなかった。
それだけだった。
それでも。
歌は失われた。
長い年月をかけて、
海の歌は遠ざかっていった。
だから知っている。
二度目など許されない。
胸の奥へ沈めるべき感情だ。
なのに。
碧の笑顔が浮かぶ。
魚を追いかけて笑っていた顔。
海が好きだったと呟いた声。
「会いに来た」
そう言って照れていた横顔。
思い出すたび、
胸の奥が波立つ。
レヴィは目を閉じた。
違う。
蒼士郎ではない。
もう分かっている。
最初は重ねていた。
けれど今は違う。
碧だから見てしまう。
碧だから気になる。
碧だから。
会いたいと思ってしまう。
それが一番厄介だった。
蒼士郎ではないのなら。
ただの恋だ。
今の自分の意思だ。
誰のせいにもできない。
レヴィはゆっくり顔を上げた。
深海の水が静かに揺れる。
遠くで魚の群れが流れていく。
海は広い。
人間と人魚が交わるには、
あまりにも。
だから。
離れなければならない。
碧には人間の人生がある。
家族がいる。
夢がある。
帰る場所がある。
自分が近付けば。
きっと壊してしまう。
レヴィは静かに目を伏せた。
伴侶にしたい。
海へ連れて行きたい。
その願いごと。
全部。
深海の底へ沈める。
そう決めた。
決めなければならなかった。
だから。
もう浅瀬へは行かない。
碧が来ても会わない。
呼ばれても姿を見せない。
海流が静かに身体を押す。
深海の闇は優しかった。
何も見なくていい。
何も望まなくていい。
何も失わなくていい。
レヴィはその暗さへ身を沈める。
けれど。
最後に浮かんだのは。
朝焼けの海で笑う碧だった。
その記憶だけが、
深海へ沈まずに残り続けていた。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
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▼ もうひとつの人魚BL
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