第6話「伴侶」
夜明け前の海だった。
波は穏やかで、
空にはまだ星が残っている。
碧は海面に浮かびながら、
ぼんやり空を見上げていた。
隣にはレヴィがいる。
いつもの場所。
いつもの時間。
最近はそれが当たり前になっていた。
不思議なくらい自然に。
「なあ」
碧が声をかける。
レヴィが視線だけ向けた。
「なんだ」
碧は少し考えたあと、
ふと思いついたように聞いた。
「お前は伴侶いるのか」
静かな海だった。
その一言が落ちた瞬間だけ、
波音が遠のいたような気がした。
レヴィは答えない。
碧は首を傾げた。
「レヴィ?」
返事はない。
ただ。
青金の瞳がわずかに揺れた。
ほんの一瞬。
何かを見たように。
あるいは思い出したように。
その視線は碧を通り過ぎ、
どこか遠くへ流れていく。
碧はそこで口を閉じる。
聞くべきではなかっただろうか。
そんな考えがよぎる。
レヴィは海を見ていた。
ずっと遠く。
碧には見えない場所を。
波が静かに揺れる。
長い沈黙だった。
その沈黙は拒絶ではなく、
言葉にできない何かを抱え込んでいるようにも見えた。
やがて。
碧が小さく息を吐く。
「……いたのか」
独り言みたいな声だった。
レヴィの睫毛がわずかに震える。
だが答えない。
否定もしない。
肯定もしない。
喉元まで何かがせり上がり、
それを押し戻すように視線を伏せる。
ただ静かに海を見ている。
それだけで十分だった。
碧はそれ以上何も聞かなかった。
聞きたくなかったわけじゃない。
けれど。
聞いてはいけない気がした。
レヴィの横顔は静かだった。
どこか遠くを見ている。
まるで。
もう届かない場所を。
波が揺れる。
朝焼け前の海が淡く光る。
しばらくして。
碧が少しだけ笑った。
「悪い」
レヴィが視線を向ける。
その動きはいつも通りのはずなのに、
どこか僅かに遅れていた。
「別に」
短い返事だった。
けれど。
それ以上話は続かない。
碧も追及しなかった。
無理に踏み込まない。
そんな優しさだった。
レヴィはゆっくり目を伏せる。
遠い昔。
同じように朝の海を眺める人間がいた。
潮風に黒髪を揺らしながら、
水平線の向こうへ目を細めていた。
その姿を、
レヴィは何度も隣で見ていた。
波が揺れる。
指先が海面をなぞる。
沈みかけた記憶が、
その感触に引かれるように浮かび上がる。
だが追わない。
追えばまた失う痛みまで蘇る気がした。
ただ一度だけ瞼を閉じ、
深く沈めるように息を吐いた。
その記憶は終わっている。
とっくの昔に。
それなのに。
ふと視線を上げると、
そこには碧がいる。
朝焼けを待ちながら、
何気なく波を眺めている。
その横顔から、
レヴィの目は離れなかった。
碧が誰かの話をすると、
知らないうちに耳を傾けている。
笑えば視線が向く。
姿が見えなければ探している。
今もそうだった。
碧が手で海水をすくい、
昇り始めた光を見て小さく笑う。
その仕草を、
レヴィは黙って見ていた。
深い海へ視線を向けても、
やがてまた碧へ戻る。
まるで確かめるように。
あるいは抗うように。
レヴィはゆっくり目を閉じた。
人魚は伴侶を一度しか選ばない。
それが掟であり。
本能だ。
だから本来。
二度目はない。
伴侶という言葉を聞いた瞬間に揺れた心を、
認めたくなかった。
それなのに。
お前を海へ連れて行きたい。
お前を渡したくない。
どうしても。
朝焼けが海を染め始める。
碧はその光を見て笑った。
レヴィは何も言わない。
胸の奥に沈めたはずの感情だけが、
静かな波のように揺れていた。
ただ静かに。
その笑顔を見つめていた。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




