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深海に溺れる  作者: 深幸-みさき-
第5章:「伴侶」
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第4話「一番近い」

夜明け前の海は静かだった。


風もない。


波も穏やかだ。


碧は海面に浮かびながら、

ぼんやり空を見上げていた。


隣にはレヴィがいる。


最近は会話も増えた。


沈黙も嫌じゃない。


むしろ心地良いと思う時さえある。


不思議なことだった。


人魚相手なのに。


「なあ」


碧が声をかける。


レヴィが視線だけ向けた。


「前から気になってたんだけどさ」


「なんだ」


碧は少し考える。


そして。


「伴侶ってそんなに特別なのか」


レヴィが瞬きをした。


静かな海だった。


波の音だけが聞こえる。


「特別だ」


迷いなく答える。


その即答に、碧は少しだけ驚く。


人間ならもっと迷う気がした。


誰か一人を絶対だと言い切ることに、

どこか怖さを感じるからだ。


碧は苦笑する。


「いや、それは分かる」


「お前らそういうの一直線だし」


レヴィは眉を寄せた。


「悪いことか」


「悪くはないけど」


碧は笑う。


「だいぶ重たいぞ」


レヴィは納得していない顔だった。


しばらく沈黙が落ちる。


やがて。


碧がぽつりと聞いた。


「家族とは違うのか」


レヴィは少し考えた。


海面へ視線を落とす。


「違う」


短い返事。


「どう違う」


波が揺れる。


朝焼け前の淡い光が海へ滲む。


レヴィは言葉を探しているようだった。


人魚にとっては当たり前のことだ。


当たり前すぎて、

説明が難しいのかもしれない。


やがて。


「家族は、生まれた時からいる」


そう言った。


「伴侶は、自分で選ぶ」


碧は少し頷く。


「まあ、それは人間も同じか」


レヴィはさらに考える。


そして。


「一番近い」


碧は目を瞬かせた。


「近い?」


「ああ」


レヴィは静かに頷く。


「誰よりも」


波が揺れる。


碧は何となく黙った。


レヴィは続ける。


「親よりも」


「兄弟よりも」


「友よりも」


その声は静かだった。


当たり前のことを話しているだけ。


そんな口調。


けれど。


どこか重い。


「何かあれば、まず伴侶だ」


レヴィは海を見る。


「それが普通だ」


碧は思わず苦笑した。


「ほらやっぱ重い」


「そうか?」


「そうだよ」


人魚は不思議そうな顔をする。


本気で分からないらしい。


碧は肩を竦めた。


「人間はもっと色々あるからな」


「家族とか」


「友達とか」


「仕事とか」


「夢とか」


言いながら。


少しだけ胸が痛んだ。


夢。


その言葉だけが。


自分はまだ何かを選べていない。


大事なものが増えるほど、

一つだけを最優先にするなんて難しいと思う。


だからレヴィの価値観は、

少し羨ましくて、少し息苦しかった。


レヴィはそんな碧を見ていた。


しばらく。


何も言わない。


そして。


ぽつりと聞く。


「それらより大事なものはないのか」


碧は少し考えた。


答えに困る。


あるのかもしれない。


ないのかもしれない。


まだ分からない。


だから。


「さあ」


としか答えられなかった。


レヴィは静かに目を伏せる。


人魚なら迷わない。


伴侶だ。


選ぶまでもない。


それは愛情だけではない。


生きる上での軸みたいなものだ。


だから迷う碧が理解できない。


同時に、その迷いを当然のように抱えている人間という存在が、

少しだけ遠く感じた。


けれど人間は違うらしい。


その違いが、

少しだけ不思議だった。


空がゆっくり明るくなる。


朝日が近い。


碧は海面へ浮かびながら、

ふと笑った。


「でもさ」


「なんだ」


「そこまで大事にされるなら」


少し照れくさそうに言う。


「伴侶っていいな」


レヴィの瞳が揺れた。


本当に。


ほんの少しだけ。


その言葉に胸がざわつく。


碧にとっては軽い感想なのだろう。


だがレヴィには違った。


伴侶とは憧れるものではない。


いつか命ごと預ける相手だ。


だからこそ、

その言葉を無邪気に口にする碧に、

説明できない感情が生まれた。


碧は気付かない。


朝焼けの空を見ている。


レヴィはその横顔を見る。


海を見ている顔。


笑う顔。


少し困った顔。


最近。


知っている表情が増えた。


波が静かに揺れる。


やがて碧が立ち上がった。


「そろそろ行く」


大学がある。


朝練もある。


人間の時間だ。


レヴィは頷く。


碧は砂浜へ向かう。


その背中を見ながら。


レヴィは黙っていた。


友達。


大学。


家族。


人間の世界。


碧には帰る場所がたくさんある。


自分の知らない場所。


自分の届かない場所。


胸の奥が少しだけ重くなる。


理由は分からない。


分かりたくもなかった。


碧は振り返る。


「じゃあな」


いつもの笑顔だった。


レヴィはしばらく黙る。


そして。


「……また来るのか」


碧が笑う。


「来るけど?」


当然だろ。


そんな顔だった。


レヴィは小さく目を伏せる。


「そうか」


短い返事。


けれど。


胸の奥に広がった重さは、

少しだけ軽くなっていた。


朝日が昇る。


海は今日も静かだった。

ご覧いただきありがとうございます。

『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。


ふたつの海の物語──。

真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。

月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。


▼ もうひとつの人魚BL

『夜凪に溶ける』

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