第3話「渡したくない」
その日は珍しく、
碧の方がよく喋っていた。
朝練帰り。
大学へ行くまでの少しの時間。
いつもの海。
いつもの場所。
レヴィは海面へ肘を預けるようにしながら、
静かに話を聞いていた。
「昨日さ」
碧が笑う。
「講義中に寝てるやついて」
「起こしたら逆ギレされた」
レヴィは首を傾げる。
「何故怒る」
「知らねぇよ」
碧は吹き出す。
「俺もそう思った」
波が揺れる。
碧は少し考えてから続けた。
「でもあいつ昔からああなんだよな」
「あいつ」
レヴィが聞き返す。
「大学の友達」
「同じ水泳部の」
碧は特に気にした様子もなく答えた。
けれど。
その瞬間。
レヴィはわずかに眉を寄せる。
「男か」
碧は目を瞬かせた。
「男だけど」
レヴィは一度だけ頷いた。
「そうか」
短い返事。
いつも通りだった。
いつも通りのはずだった。
けれど。
胸の奥に小さな棘が刺さったような感覚が残る。
友達。
同じ部活。
同じ時間を過ごす相手。
ただそれだけの話なのに。
なぜか心がざわついた。
碧は首を傾げた。
「何だよ」
「別に」
レヴィは海を見る。
興味がなさそうな声。
だが実際は違った。
頭の中には、見たこともないその人間の姿が勝手に浮かんでいた。
碧と並んで笑う姿。
自分の知らない場所で言葉を交わす姿。
考える必要もないことなのに、意識がそこから離れない。
碧は少し笑う。
「なんだそれ」
「友達だよ」
レヴィは黙って海を見たままだった。
碧は眉をひそめた。
絶対気にしている。
なんとなく分かる。
理由は分からないけれど。
レヴィは静かに海面を見つめている。
波が揺れる。
朝焼けの光が水面へ落ちる。
やがて。
レヴィがぽつりと言った。
「よく一緒にいるのか」
碧は笑う。
「いるな」
「部活も同じだし」
「講義も被るし」
「飯も食う」
話しながら、
なんとなくレヴィを見る。
人魚は黙っていた。
その沈黙が少し面白い。
「なんだよ」
「気になるのか」
冗談半分で言う。
レヴィは即答した。
「別に」
碧は吹き出した。
嘘だ。
絶対嘘だ。
こんなに分かりやすいのに。
レヴィは不機嫌そうに海を見る。
碧はますます面白くなった。
「お前さ」
「なんだ」
「嫉妬してんの?」
静かな海だった。
数秒。
沈黙。
そして。
「何故だ」
真顔だった。
だが、その言葉を口にした瞬間、レヴィ自身の胸がわずかに揺れた。
嫉妬。
人間の感情だ。
自分には関係ないと思っていた。
なのに否定しきれない何かが胸の奥にある。
碧が誰かと過ごしていると聞いただけで落ち着かなくなる理由を、うまく説明できない。
碧は笑いを堪えきれない。
「いやその顔」
「どんな顔だ」
「機嫌悪そう」
レヴィは少し眉を寄せた。
本当に意味が分からないらしい。
いや。
分からないのではなく、分かりたくないのかもしれなかった。
碧は肩を震わせながら笑う。
海が揺れる。
朝日が少しずつ昇っていく。
その光の中で。
レヴィは黙ったまま碧を見る。
笑っている。
最近よく見る顔だった。
初めて会った頃とは違う。
苦しそうな顔ではない。
海を見て。
魚を追いかけて。
子どもみたいに笑う。
その顔を見ていると。
胸の奥が静かに落ち着く。
同時に。
少しだけ落ち着かなくなる。
碧は友達の話を続けている。
大学のこと。
部活のこと。
人間の世界のこと。
レヴィの知らない時間。
知らない場所。
知らない人間。
不意に。
胸の奥がざわついた。
嫌だった。
理由は分からない。
碧が誰と話そうと自由だ。
誰と過ごそうと自由だ。
そんなことは分かっている。
それなのに。
面白くない。
碧が楽しそうに笑うたび。
その笑顔を向けられている相手がいることを意識してしまう。
その場に自分がいないことを思い出す。
自分の知らない碧が増えていくようで、妙に胸が重くなった。
レヴィは小さく目を伏せた。
波が静かに揺れる。
碧はそんな人魚の変化に気付かない。
ただ不思議そうに笑う。
「やっぱ変だな、お前」
レヴィは顔を上げた。
青金の瞳が碧を見る。
しばらく。
何も言わない。
碧の顔を見ていると、胸のざわめきが少しだけ静まる。
だが同時に思う。
その笑顔を、自分以外の誰かも見ているのだと。
その事実がなぜこんなにも気になるのか分からない。
そして。
ぽつりと呟く。
「お前は」
碧が首を傾げる。
「ん?」
レヴィは少しだけ視線を逸らした。
言葉が見つからない。
引き留めたいわけではない。
縛りたいわけでもない。
それなのに。
誰かの話をする碧を聞いていると、胸の奥が妙に騒がしくなる。
人魚にはない感情だった。
伴侶でもない。
家族でもない。
名前も知らない感情。
けれど確かにそこにある。
だから。
うまく言葉にならない。
結局。
レヴィは小さく首を振る。
「……別に」
碧は吹き出した。
「またそれか」
海が揺れる。
朝日がふたりを照らす。
レヴィは何も言わない。
けれど。
胸の奥には確かに残っていた。
知らない人間の話をする碧が。
自分の知らない場所で笑う碧が。
少しだけ。
いや。
思っていた以上に。
気に入らなかった。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




