第2話「選ぶ」
夜明け前の海は静かだった。
水平線はまだ群青色の闇を抱え、遠くの空だけが淡く白み始めている。鏡のようになめらかな海面には微かなうねりだけが走り、世界は息を潜めたまま朝を待っていた。
碧は海面に浮かびながら、
ぼんやり空を見上げている。
隣にはレヴィ。
波に揺られながら、
いつものように他愛ない話をしていた。
「なあ」
レヴィが視線だけ向ける。
「人魚ってどうやって伴侶選ぶんだ」
先日の話が気になっていた。
伴侶。
生涯一人。
変わらない存在。
人間とはずいぶん違う。
レヴィは少し考えた。
その間だけ、視線が海面へ落ちる。
「選ぶ」
「それは聞いた」
碧は苦笑する。
「もっとこう」
言葉を探す。
「告白とかするのか」
レヴィが眉を寄せた。
「告白?」
「好きです、とか」
「付き合ってください、とか」
「そういうやつ」
しばらく沈黙。
そして。
「しない」
即答だった。
碧は吹き出す。
「しないの!?」
「必要ない」
「いや必要だろ」
「何故だ」
本気で分かっていない顔だった。
碧は思わず笑う。
「お前ら恋愛下手そうだな」
レヴィは意味が分からないという顔をした。
しばらくして。
「伴侶にしたいなら求婚する」
そう言った。
その言葉を口にする直前、レヴィはほんのわずかに言葉を切った。
碧は目を瞬かせる。
「求婚」
「ああ」
「いきなり?」
「いきなりではない」
レヴィは静かに海を見る。
だが視線はどこか定まらず、遠い水面をなぞるように揺れた。
「長い時間を共に過ごす」
「相手を知る」
「そして選ぶ」
その声は真面目だった。
冗談ではない。
人魚にとっては当たり前の話なのだろう。
碧は少し考える。
「じゃあ人魚同士で求婚するんだな」
「ああ」
「人魚が人魚に」
「普通はそうだ」
答えたあと、レヴィは一瞬だけ口を閉ざした。
何か続きを飲み込むような間だった。
普通。
その言葉に、
碧はなぜか少しだけ引っかかった。
普通は。
つまり。
普通じゃない場合もあるのだろうか。
けれどレヴィは続きを話さない。
碧も深くは聞かなかった。
波が静かに揺れる。
淡い朝の光が海面に滲み始め、ふたりの周囲に砕けた銀色のきらめきが広がった。
「求婚って何て言うんだ?」
ふと思いついて聞く。
レヴィは少し考えた。
その沈黙が、先ほどよりわずかに長い。
「決まっていない」
「決まってないのか」
「相手による」
碧は意外そうな顔をする。
もっと儀式みたいなものがあると思っていた。
レヴィは続ける。
「名を呼ぶ者もいる」
「共に生きようと言う者もいる」
そこで一度だけ言葉が途切れる。
「海を見せる者もいる」
碧は笑う。
「案外普通なんだな」
レヴィは首を傾げる。
「普通ではない」
「どこが」
「伴侶だからだ」
真顔だった。
けれどその瞳は一瞬だけ伏せられ、すぐに朝焼けの海へ戻る。
碧は吹き出す。
「重いんだよお前ら」
レヴィは少し眉を寄せた。
「そうか?」
「そうだよ」
碧は肩を竦める。
「人間はもっと軽い」
「何故だ」
「知らねぇよ」
ふたりの間に笑いが落ちる。
波が揺れる。
東の空がゆっくりと朱に染まり、薄桃色の光が雲の縁をなぞっていく。静かな海はその色を一枚ずつ映し取り、夜の青を少しずつ手放していった。
しばらくして。
碧はぽつりと聞いた。
「断られたらどうなる」
その瞬間。
レヴィの瞳がわずかに揺れた。
本当に一瞬。
けれど確かに。
視線が碧へ向きかけて、途中で止まる。
碧は気付かない。
レヴィは海へ視線を向けたまま答える。
「どうもならない」
答えるまでに、ごく短い間があった。
静かな声だった。
「選ばれなかっただけだ」
それ以上は続かない。
まるで続きの言葉があるのに、口にしないように。
碧は小さく頷いた。
けれど。
レヴィの横顔だけが、
少し遠く見えた。
まるで。
深海の底へ沈んだ何かを見ているみたいに。
昇り始めた朝日が海を黄金色に染める。その光の中にいても、レヴィの表情だけはどこか届かない場所にあるようだった。
海鳥の鳴き声が遠くからひとつ響く。
新しい朝は確かに訪れているのに、その静けさの奥には言葉にならない感情が淡く沈んでいた。
朝日が昇る。
海は今日も静かだった。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
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