第4話「笑う顔」
「お前、本当に魚みたいだな」
碧が言った。
夜明け前の海。
レヴィは振り返る。
「何がだ」
「泳ぎ方」
碧は笑う。
「なんかこう……
海と一緒に泳いでる感じ」
レヴィは少し考える。
海と一緒。
当たり前だった。
人魚だから。
けれど。
人間から見ると違うらしい。
碧は水面へ仰向けになりながら、
空を見上げる。
「すげぇよな」
「何が」
「お前」
あっさり言う。
レヴィは目を瞬かせた。
碧は気付いていない。
ただ思ったことを言っただけだ。
「深海魚も知ってるし」
「海流も分かるし」
「夜光虫も」
「海の音も」
碧は笑う。
「海の先生じゃん」
レヴィは黙った。
そんな風に言われたことはない。
深海では当たり前の知識だった。
教わるものでもない。
ただ生きていれば知っている。
だから。
少しだけ不思議だった。
碧は身体を起こす。
波が揺れる。
その拍子に、
近くを小さな魚の群れが通った。
銀色の魚たち。
朝焼けの光を反射して輝く。
「うわ」
碧が目を輝かせる。
そして。
何の遠慮もなく追いかけ始めた。
「おい」
レヴィが呼ぶ。
聞いていない。
碧は子どもみたいに魚を追う。
もちろん追いつけない。
魚の方が速い。
逃げられる。
また追う。
逃げられる。
そして。
「ははっ」
笑った。
自然だった。
作った笑顔じゃない。
誰かへ向ける愛想笑いでもない。
本当に楽しそうだった。
レヴィの動きが止まる。
海が静かになる。
いや。
止まったのはレヴィ自身だった。
碧はまだ魚を追いかけている。
笑っている。
何も考えていない顔。
海を楽しんでいる顔。
その姿を見た瞬間。
遠い記憶が揺れた。
夏の海。
黒髪。
笑い声。
――レヴィ!
振り返る蒼士郎。
眩しい太陽。
自由な泳ぎ。
海を愛していた人間。
胸の奥が痛む。
反射的に思い出してしまう。
けれど。
違う。
レヴィはゆっくり目を細めた。
蒼士郎じゃない。
あいつはもっと無鉄砲だった。
もっと明るかった。
もっと人を巻き込んだ。
碧は違う。
苦しそうで。
不器用で。
何かを抱えたまま生きている。
笑うことさえ、
少し下手だ。
けれど。
今。
魚を追いかけながら笑っている。
その顔は。
蒼士郎とは違う。
全然違う。
なのに。
目を離せなかった。
「レヴィ!」
碧が呼ぶ。
振り返る。
濡れた黒髪。
少し幼く見える笑顔。
「見ろよ」
魚の群れが、
朝焼けの海を横切っていく。
碧は嬉しそうだった。
ただそれだけだった。
レヴィはしばらく何も言わなかった。
碧が首を傾げる。
「どうした?」
「……別に」
レヴィは静かに視線を逸らした。
胸の奥が落ち着かない。
蒼士郎を思い出したからではない。
それは分かる。
もう。
分かってしまっている。
最近。
碧を見る時間が増えた。
海へ来る時間を覚えている。
笑う顔を探している。
苦しそうな顔を見ると気になる。
放っておけない。
それはもう。
蒼士郎とは関係ない。
レヴィは静かに海を見る。
波が揺れる。
朝日が昇る。
その光の中で。
碧はまた笑った。
レヴィは小さく目を閉じる。
――違う。
蒼士郎じゃない。
分かっている。
それでも。
どうしてこんなにも。
目を離せないのだろう。
朝焼けが海を染めていた。
そしてその光は、
レヴィの胸の奥にある答えを。
少しずつ照らし始めていた。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




