第3話「海を知る」
「お前は海を知らない」
ある日。
開口一番、
レヴィはそう言った。
碧は眉をひそめる。
「は?」
夜明け前の海。
波に揺られながら、
碧は呆れたようにレヴィを見る。
「いやいや待て」
「俺、
競泳やってんだけど」
「知っている」
「海もずっと泳いでる」
「それでも知らない」
即答だった。
碧は思わず顔をしかめる。
相変わらず言い方が腹立つ。
レヴィはそんな碧を気にする様子もなく、
静かに海の奥を見た。
「来い」
「またそれか」
説明不足な人魚である。
けれど。
碧は結局ついて行った。
*
海の中を進む。
今日はいつもより少し深い。
けれど不思議と怖くなかった。
レヴィがいるからだろうか。
そんなことを考えて、
碧は慌てて思考を振り払った。
すると。
レヴィが突然足を止めた。
「見ろ」
指差した先。
暗い海の中で、
小さな光が揺れている。
青白い光。
ふわふわと浮かぶ、
不思議な魚。
碧は目を見開いた。
「……何だこれ」
「深海魚」
「深海魚ってもっと怖いやつじゃないのか」
「それもいる」
レヴィは平然と言う。
「これは綺麗な方だ」
その言い方に、
碧は少し笑った。
魚たちは静かに光を放ちながら、
海の中を漂っている。
まるで星みたいだった。
碧はしばらく見入る。
こんなもの。
知らなかった。
海で泳いできたはずなのに。
*
さらに進む。
今度はレヴィが手を伸ばした。
「力を抜け」
「は?」
「いいから」
碧は半信半疑で身体の力を抜く。
すると。
海が動いた。
いや。
自分が運ばれている。
波とは違う。
もっと大きくて、
もっと穏やかな流れ。
「海流だ」
レヴィが言う。
「海は動いている」
碧は驚いた。
今まで逆らうことしか考えていなかった。
速く泳ぐために。
前へ進むために。
けれど。
流れに身を任せるだけで、
こんなにも楽だった。
レヴィはその様子を見ながら言う。
「人間はすぐ逆らう」
「仕方ないだろ」
「何故だ」
「勝たなきゃいけないから」
言った瞬間。
碧は少しだけ後悔した。
レヴィは何も言わない。
ただ静かに海流を見ている。
その横顔を見ていると。
勝つとか。
負けるとか。
そんなものが、
少し遠く感じた。
*
夜が明ける少し前。
海面近くへ戻った時だった。
レヴィがふいに海を指差す。
「触ってみろ」
碧が手を伸ばす。
ぱしゃり。
その瞬間。
青い光が広がった。
碧は目を見開く。
「うわっ」
水面が光る。
指先が光る。
波が光る。
まるで海に星を落としたみたいだった。
「夜光虫」
レヴィが静かに言う。
碧は子どもみたいに何度も水を掻いた。
光が広がる。
綺麗だった。
驚くほど。
「すげぇ……」
思わず漏れる。
レヴィはそんな碧を見ていた。
ほんの少しだけ。
昔の誰かを思い出すみたいに。
けれど。
碧は気付かない。
夢中で光る海を見ていた。
*
帰る前。
ふたりは海面に浮かんでいた。
空が少しずつ明るくなる。
風が吹く。
波が揺れる。
その時だった。
「聞こえるか」
レヴィが言った。
碧は耳を澄ませる。
最初は何も分からなかった。
けれど。
静かにしていると。
音がある。
波。
風。
魚が跳ねる音。
遠くで鳴く鳥。
海の呼吸みたいな音。
ずっとそこにあったのに、
今まで聞こうともしなかった音。
レヴィは目を閉じる。
「海はうるさい」
碧は思わず笑った。
「いや、静かだろ」
「そうか?」
「そうだよ」
レヴィは少し考えてから。
小さく首を傾げた。
その仕草が妙に人間らしくて、
碧はまた笑ってしまう。
海が揺れる。
風が吹く。
そして。
碧はふと思った。
海って、
こんなに綺麗だっただろうか。
昔は知っていた気がする。
凪と泳いでいた頃。
何も考えずに笑っていた頃。
あの頃の自分は。
ちゃんと知っていたのかもしれない。
碧は朝焼けに染まる海を見る。
隣にはレヴィがいる。
不思議な人魚。
けれど。
レヴィといると。
少しずつ。
忘れていたものを思い出していく。
碧は静かに海を見つめた。
――海って、綺麗だ。
その気持ちが。
胸の奥へ、
ゆっくりと沈んでいった。
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『深海に溺れる』は、毎日【22:00】に更新予定です。
ふたつの海の物語──。
真逆の空気感を持つ、もうひとつの人魚BLも同時連載中です。
月光に照らされる、切なくきらめく初恋の物語もぜひあわせてお楽しみください。
▼ もうひとつの人魚BL
『夜凪に溶ける』




